きょう、(小説 三好長慶)

近世のきのう、中世のあした。三好長慶の物語

三 夏菊の段  ――細川六郎 一向一揆を煽動し、三好元長 顕本寺の天井を血に染める――

三 夏菊の段

 

(飛車が、龍に成ろうとしている)

飯盛山城。木沢長政が再び将棋盤を眺めている。敵陣がなくなり、駒は自陣しか残っていない。自陣からも角が消えていた。

ここまでの流れは、ほぼ長政の構想通りに進んでいる。ただ、飛車たる元長の戦果は想定以上だった。放っておけば、いずれ元長が次の足利、細川になってしまう気がする。それに、玉将の片割れもいい加減煩くなってきていた。

(そろそろ、こちらにも手をつけねばならぬしな……)

部屋の隅から碁盤を引き寄せた。奇妙な盤面で、白・黒の碁石に加え、緑や紫など通常使われない色の石が多く入り乱れている。

「龍に勝てる駒などおらぬからなあ。……ならば、こうするまでよ」

おもむろに碁盤上の石を掴み取り、将棋盤の上に向かって投げつける。将棋の盤面は滅茶苦茶になり、碁盤は石が減ってすっきりした。これこそあるべき未来なのだ。

「これぞ一挙両得よ」

長政の胸には揺るぎない決意がある。次から次へと知恵が湧いてくる実感があった。

 

  *

 

大物崩れにより二十年以上続いた細川家の内乱は一旦の決着がついた。力を落としたものの、いまも細川家が天下第一等の大名であることは疑いようもない。今後は細川六郎が新たな秩序を築き、世に安寧をもたらしていく。そういう民の期待を感じ取ったか、朝廷は改元の準備を進めていた。享禄五年は、もうすぐ天文元年(1532年)になるはずだ。

 

元長は荒れていた。何もかもが思うようにいかなかった。

大物崩れの直後は、畿内の国人がこぞって元長に誼を通じてきた。細川宗家ではなく、元長個人との主従関係を望む者も多かった。しかし、そうした国人たちは一枚一枚三好宗三の切り崩しに遭い、いまは細川六郎に声望が集中している。政情が落ち着き、六郎が細川家の家督を継承することが認知されると、国人衆は掌を返すが如く六郎に付き従うようになった。

人々は依然、家格による序列を求めている。まして細川家は日本最大の大名だった。

加えて、敵がいなくなった途端に、四国衆と丹波衆の諍いが再燃した。天王寺の決戦では何の役にも立たなかった癖に、柳本賢治の遺臣が元長を中傷し始めたのだ。やれ、主家をないがしろにしているだの、一皮向けば“大悪の大出”の血が出てくるだの。手柄を奪われまいと柳本賢治を暗殺、その上六郎様の認可も得ずに赤松晴政と勝手な交渉、武士の風上にも置けぬ奴よと聞くに堪えない罵声が届いてきた。怒り狂った元長は柳本賢治の遺児と遺臣を攻め上げ、纏めて腹を切らせてしまった。

さすがにやり過ぎたと内心反省したが、この件は堺公方府内で問題視された。持隆が仲裁に入ったが聞き入られず、止むなく、元長が出家することで皆の寛恕を請うことになった。

それだけではない。六郎は、細川宗家の力を得、また元長の抑え込みに成功すると、あからさまに足利義冬を冷遇し始めた。宗三の入れ知恵で、手っ取り早く朝廷や公方の後ろ盾を得るために、近江に逃亡している現将軍、足利義晴との和平を画策しているという噂である。

これには持隆も激怒した。元長も持隆も、もとより足利義冬・細川六郎を畿内上陸の名分として利用したに過ぎない。だが、足利義晴と和を結び朝廷にすり寄るということは、京へ入ってこれまで通りの政治をやるということだ。それでは、堺公方府の政権構想を捨てるに等しい。

元長と持隆は、義冬と六郎の家督争いに協力する。代わりに彼らは、海洋国家の構築に協力する。これが、十年近く前に四人で結んだ協定だった。六郎はそれを反故にしようとしているのだ。

 

「結局、戦で、現場でどれだけ活躍しても無駄なのか。貴い人間に気に入られなければ駄目。これまでの秩序を変えては駄目。それでは、それでは夢など持たぬ方がよいとでもいうのか! 畜生め!」

 

  *

 

宥めるのはつるぎの役目だった。とと屋の宿所にふらりと現れた元長は、愚痴や恨み言を散々喚いた後、自己嫌悪のようなことを長々と零した。

「私の好きなお前さまを、そんなに悪く言わないで」

辛抱強く話を聞いたつるぎがそう頼むと、元長はもう何も言えなくなってしまう。つるぎの膝を枕にふて寝し始めた。時おり、顔を膝に埋めたままで腹を撫でてくる。つるぎは妊娠していた。

「まだ四月といったところだろう。随分大きくないか」

「千熊丸たちの時と比べても、随分大きいのですよ。この子もきっと男子ですわ。きっとすごい武人になって、三好の名を高めますわ」

「つるぎがそう言うなら、そうかもしれんなあ」

後頭部しか見えないが、夫が微笑んだのが分かる。つるぎは充足感を感じた。無理やり堺についてきた甲斐があったと思った。妻というものは、夫が甘えたい時にきちんと横にいることが肝心なのだ。

「千熊も、この一年で随分頼もしくなった」

「とと屋の書籍を読みつくしてしまったって、与兵衛殿が驚いていましたよ。それに堺の空気を吸ったせいか、風趣染みた雰囲気が出てきて。武野紹鴎殿は“この若君は歩く名物だ”なんて仰ってましたわ」

「なんだそれは」

「“幽玄”ともいうそうです。いまは時分の花だが、磨けば真の花になるやもしれぬと」

そう言いながら、つるぎは元長の剃髪した頭を指先でこすった。

「よせよ」

「それにしても、法名を“海雲”だなんて。政庁を開けば海船政所。仏門に入れば海雲。本当、お前さまは真っ直ぐな方ですね」

「悪いか」

「真っ直ぐなお前さまが好きなのです。わたしだって“つるぎ”ですもの」

二人で笑った。久しぶりに屈託のない時間を過ごしたような気がした。元長が無事に帰ってきた喜びが、あらためて身体いっぱいに満ちていく。

 

  *

 

よくない知らせが、またもやってきた。

宗三が直々に元長を訪ねてきたのである。ちょうど顕本寺の表にいた元長の近くまで馬を進め、宗三は騎乗のまま口を開いた。

「元長殿。此度の一件、何か申し開きはあるか」

「……? 何の話だ」

「河内十七箇所で生じた、法華宗と一向衆の衝突の件に決まっているだろう。法華宗に肩入れして一向宗徒を蹴散らした上、一向宗の寺宝を強奪するとは。いったい貴公は何を考えているのだ。武家が坊主同士の争いに加わるなど、堺公方府の信望をぶち壊す気か」

「そんな話は知らぬ。身に覚えもない。三好宗三ともあろう男が流言に乗せられて何とするぞ」

「潔くなされよ。確かに元長殿の軍勢による狼藉だと、本願寺京都府京都市)の蓮淳殿より訴状が届いているのだ。本願寺一揆の組成も辞さない構え。もはやこれは政権全体を揺るがす問題なのだぞ。支度を整え、至急海船政所へ出頭せよ」

言い終わると、宗三はすぐに馬を返して去ってしまった。元長は茫然と立ち尽くしてそれを見送っていた。何か、言いようのない凶兆が、得体の知れない悪意が、黒雲のように身体を包んでいる気がする。額から脂汗が流れて目に染みた。

 

いま、民草にまで広く浸透している宗派は一向宗法華宗である。一向宗は日本の大地から産まれたような宗派であるから、農民や地侍からの支持が極めて厚い。法華宗は現世利益を認めており、そのため知恵や勤労を尊ぶところがあるから、町衆からの支持が厚かった。その他、比叡山滋賀県大津市)や真言宗はいまも根強い支持を有しているし、武家や茶人からは臨済宗が好まれている。紀伊根来衆に至っては独自の交易網と強大な武力を有し、中央政権の支配を寄せ付けていない。

京や堺、各地の港湾都市で主に普及しているのは法華宗であり、この顕本寺もその流れで建てられた。海運商業を重視する元長は法華宗を厚く庇護している。

武家と宗教は双子のような存在である。それぞれの秩序があり、武力があり、利権がある。武家と宗教は歴史の中で何度も手を組み、また何度も争ってきた。加賀一向一揆のように一国を支配する勢力すら存在している。しかし、武家が宗教勢力同士の争いに加担したり、寺社が武家同士の争いに加担したりすることは稀である。衝突することはあっても、互いの内部秩序にまで干渉することは不自然だし、人々の共感も得られないからだ。

(何の因果か分からぬが、困ったことになったぞ)

宗三が言った本願寺の蓮淳は、一向宗の元締めのような存在である。一向宗中興の祖である蓮如の息子にして、現法主である証如の祖父。一向宗の勢力拡大を統率する一方、教団内部の締め付けも相当厳しく行っているらしい。武家や他宗派の間でも噂されるくらい、剛腕ぶりに定評があった。

(言うなれば、一向宗における管領のようなものか。管領格二人から同時に睨まれるとは我ながら呆れたものよ。それとも、名誉に思った方がよいのかな)

唇が僅かに歪む。出頭すべきか否か。出頭すれば直ちに首を刎ねられ、本願寺に届けられる可能性もあった。しかし、申し開きをせねば兵を寄越されるだろうし、陰謀の手掛かりを掴むこともできないだろう。

(いかんなあ。こういう時、わしには頼る相手が一人しかいない)

長逸に経緯を伝え、厳重に留守をするよう指示した上で、元長は持隆の屋敷に向かった。

 

「先ほどから聞いておれば、蓮淳殿からの訴状以外に元長の仕業だという証が何もないではないか!」

海船政所全体に響き渡るような声で、持隆の弁護が続いている。

「これでよいのか、各々方! 確かな証もないのに元長を裁いて一向宗に詫びを入れるだと。そんなことをすれば、武家の名折れよ! 堺公方府は本願寺に頭が上がらぬと、世間の物笑いの種になるだけぞ」

持隆の言うことは正しかった。公平を欠いた裁きは政権の威信を傷つけ、乱の火種をつくる。調査では、河内十七箇所で法華宗一向宗の争いが起こって、足軽部隊の乱入のために一向宗が敗走したことは間違いなかった。ただ、争いの原因も、乱入した足軽衆の足取りも、どうもはっきりしない。傍目に見ても何者かによる煽動の臭いがした。

「しかし、元長殿が無関係だという証拠もあるまい」

唐突に木沢長政が口を開いた。

「我らの知らぬ証拠を、蓮淳殿が握っている可能性もある。それに、これまでも丹波衆との内輪揉めなど元長殿はよく問題を起こしている。また、そもそも法華宗の大旦那でもある。十人いれば九人は元長殿が怪しいと言うのではないかな」

「長政、おのれ!」

立ち上がりかけたが、周囲の者に静止された。

「わしとて元長殿の智勇には敬意を抱いておる。だが、私情を公に優先させることはできぬ。皆がようやくの思いで築いた堺公方府を守ることがまずは第一」

「お主が堺公方府を語るでないわ!」

元長が吠えた。議場はざわめいている。実際に問題をよく起こす元長を庇うことが難しい空気になった。六郎は明らかに長政に賛同している。六郎と視線を交わし、宗三が場を纏めようとした。

「それでは――」

「待て」

突然、それまで黙っていた足利義冬が腰を上げた。

「余は、元長の処罰を承服できぬ。元長がおらねば、そもそも我らは高国に滅ぼされていたことを忘れたか。皆の首が胴についているのは元長の働きあってのものぞ。武士たるものが、恩も義も見失うのか」

義冬は、その場にいる一人ひとりの面を睨むように見回し、

「意義のある者は申してみよ」

言い放った。

堺公方府の最高権威、足利義冬の発言である。皆、頭を下げて黙るしかなかった。結局、本願寺に対してはのらりくらりと時間を稼ぎ、そのあいだに調査を深めようということになって散会するに至った。直接調査を行うのは、実務や渉外の責任者である宗三だ。

義冬の言葉が、本意なのか、六郎への面当てなのかは分からない。しかし、元長は利用しているつもりだった義冬に命を助けられ、少なからぬ衝撃を受けていた。

 

  *

 

長逸と共に丹波の坂を進んでいく。目指すは波多野稙通の居城、八上城(兵庫県篠山市)である。海船政所での詮議の後、元長は何か気になることがあったようで四方へ使者を飛ばしていた。千熊丸は意図を知らされていない。見聞を広めよと言われただけである。

八上城は京の都から西、交通の要衝である西宮からは北に位置する。二人は西宮から北上したが、話に聞いていた以上に丹波は山深い国だった。大小の山々が重なり合って、どこに平地があるのか、どこに人里があるのかがまるで分からない。

「若殿、霧が出てきました。丹波の霧は濃くなると聞きます。それがしから離れぬように」

丹波というところは、芝生にどこか似ているな。京の隣に芝生があるようなものだ。不思議だな」

「京や摂津では、丹波衆はことに恐れられています。足腰が強く、勇猛、神出鬼没。丹波に攻め入るは自ら腹を切るに似たり、とか言いますな」

長逸の言う通り、こんな山間で戦を開こうものなら、あちこちで埋伏した丹波衆の襲撃を受け、一万の兵でもたちまち壊滅してしまいそうだった。ましてや、三好家と丹波衆は犬猿の仲である。長逸でなければこうも平然と歩けないだろうし、使者の役目も務まらないのだろう。長逸がいるお蔭で、千熊丸も安心していることができた。

 

八上城は、壮大な山城だった。同じ山城でも、阿波で見たものとはまるで規模が違う。死地に等しい国に、難攻不落の要害。これだけで丹波衆を敵に回すのは避けようという気になるのだろう。

波多野稙通は一国人の出から丹波全域を代表する勢力を築いた人物である。対面してみると毅然とした壮年の男で、山岳武士には不釣り合いなほどの風格があった。

稙通は、二人だけで堂々とやってきた長逸と千熊丸を憎からず感じてくれたようで、腹蔵なく旅を労い、寛ぐように声をかけてくれた。一方、稙通の嫡男だという晴通は、叔父や従兄弟の仇といまにも言い出さんばかりの顔で二人を睨んでいる。

 

挨拶の後、稙通と長逸だけで話をするということで、千熊丸は外に出された。

辺りの兵が遠巻きにこちらを見ているが、近づいてくる者はいない。所在ないので近くの大石に腰かけ、山々を眺める。どこまでも続く深い緑に青い空。力強い風と、流れ去っていく雲。まるで故郷に帰ったような心地がして、いつしか千熊丸はうとうとと微睡んでいた。

 

しばらく後、袖を引かれて目が覚めた。見ると、同じ年頃の娘が袖を握っている。微かに香を焚き染めた匂いがした。山里で嗅ぐ香は、不思議と柔らかい気がする。

「人の城で、よく落ち着いて寝られますね……。捕まったらどうしようとか、思わないんですか?」

「お前が、私を捕らえるのか」

千熊丸が返すと、少女は静かに笑った。静かな気配の女だった。

「あなたを案内するよう父上に言われたのに、いないんですもの。探したんですよ」

「父上とは?」

「先ほどお会いしたんでしょう。あたしは、あまねと申します」

「左様か。私は千熊丸だ」

少女は稙通の一人娘だった。十歳で、ひとつ年下にあたる。顔立ちは王朝絵巻の頃の美人と、いまの美人の間くらい。身体つきは細いというより、薄い。そうした儚げな見かけの割に、態度は人懐っこかった。千熊丸の袖に顔を近づけて息を吸う様子に、子供らしからぬ艶がある。

 

  *

 

長逸が稙通との密談を終えて表に出ると、千熊丸と少女が木に登って遊んでいた。なんと稙通の娘であるという。

「よいのですか。掌中の珠なのでしょう」

「それはそちらも同じであろう。元長殿はこちらを信用する証に、嫡男までを寄越してきたのだから。お蔭で、わしも腹を割ってそなたと話すことができたよ」

「……かたじけのうございます」

「それにしても、あの屈託のなさ。よい若君だな」

羨ましいことだ、とでも言いたげだった。稙通の視線の先には、城郭から千熊丸を睨んでいる晴通がいる。晴通は、妹と打ち解けた千熊丸がいかにも気に入らない様子である。

 

  *

 

元長は、木沢長政が陰謀の源流であると仮定し、各地に配下を遣って検証を重ねた。海船政所での元長への糾弾がいかにも挑発染みており、不自然に思えたからだ。そう考えると、丹波衆への敵意は一旦忘れることができた。思い切って長逸と千熊丸を遣わしたが、危険に遭うことはなかったようだ。

集まった情報を総合すると、読みは正しかったように思える。丹波衆との諍い、河内十七箇所での一向宗徒襲撃。巧妙に隠蔽してあったが、陰に木沢長政の気配が感じられた。もしかしたら元長の暗殺未遂や柳本賢治の暗殺も、長政の手によるものかもしれない。

長政の暗躍もまた、確かな証拠がなかった。長政は六郎から厚い信頼を得ているし、日増しに兵力を増強していると聞く。詰問するのもなかなか難しいだろう。

(だが……本当に我々が、彼奴の描いた思惑通りに踊っていたのだとしたら)

腹の奥に熱を感じた。恨みか、義憤なのかは分からない。腹の虫が、四の五の言わせずに殺してしまえと囁いてくる。柳本賢治の残党を滅ぼした時と同じだった。

今後の動きを沈思していると、急報が届いた。長政と畠山義堯の間で、戦が起こる気配だという。

 

  *

 

元長が真相を掴みつつあった。

何点か、微かな手がかりを残しておいたのだ。丁寧に糸を手繰ることができれば、長政に行きつく。辿りついたのはいまのところ宗三だけである。

海船政所での評議の後、僅か五日ほどで宗三は真相を掴んだ。飯盛山城に乗り込んできて、密使と名乗って人払いした上で、長政に刀を突きつけてきたのだ。世上に名高い左文字の刃は眩い輝きを放ち、宗三の表情に陰を映すかのようだった。

「兇徒が。言い残すことはあるか」

長政は動じず、笑みを浮かべて言ったものである。

「道を守って六郎を滅ぼすか、道を外して六郎を守るか。好きな方を選ぶがよい」

そうした長政の嘯きを容れて、処分は留保されたのだった。宗三が今後、長政につく保証はない。だが、長政には宗三の協力が必要だった。本懐を成し遂げるには、実力者を順番に排除していく必要がある。細川高国と浦上村宗の次は元長や一向宗法華宗などで、公方や六郎など脅威ではなかった。六郎の器に収まろうとしている限り、宗三も同様である。

元長は目下最大の強敵だった。いまは頭を押さえつけられているが、すべてを覆す突破力を持っている。腹を括れば、六郎を滅ぼすことなど造作もないはずだ。宗三ほどではないが、思ったより早く長政の計略も見抜いている。情報の収集力や分析力が高まってきている証左だ。戦や交易の力に政治的な才覚まで備われば、まさに龍である。手がつけられなくなる前に、何としても滅ぼさねばならぬ。

 

長政の本来の主君は畠山義堯という。河内・紀伊守護の畠山家は応仁の乱後、総州家と尾州家に別れて併存していた。長政は総州家家老であるが六郎にも二股をかけており、しゃあしゃあと堺公方府で重きをなしている。義堯は当然面白く思っていない。そこに、書状を送ってやった。

 

――義堯様の凡愚は目に余る。恥を天下に晒すくらいなら、真摯に諫言を受け容れ出家すべし――

 

義堯は激怒し、直ちに長政討伐の兵を挙げた。近隣勢力にも援軍の要請が飛ぶ。

真相こそが最大の餌である。元長はこの機を逃がさず攻め寄せてくるはずだ。

長政にとっても、いまからは命懸けである。この博打を制することができれば、それは天が自分を選んだということ。これから先も万事上手くいくはずだ。

 

  *

 

木沢長政が籠る飯盛山城が、畠山義堯と元長に囲まれている。義堯による長政討伐の呼びかけに、元長が即座に応じた。堺公方府の佞臣を討つ、と喧伝しているようだ。元長は鳴り物衆の大音量を連日轟かせて、城の防備を揉み潰しつつあった。長政はよく耐えているが、相手が悪すぎる。このまま、ひと月持ち堪えられるかどうかというところだった。

海船政所に駐在している宗三のところには、長政から事前に書状が届いていた。

“宗三の決断ひとつ”と記してある。

一向宗法華宗の件の調査から、企てが続々と明らかになっていた。わけても唸ったのは一向宗重鎮、蓮淳の抱き込みである。細川高国が攻め上がってきた時、浦上村宗の先遣隊が山科本願寺に狼藉を加えようとした。それを、京の守備に当たっていた長政が見事に防いだ。その上、教団内部で告発されそうになっていた蓮淳派の不正蓄財の証拠を掴み、揉み消すようなこともしていた。何のことはない、すべてが長政の自作自演である。長政配下の河内国人や大和国人の中には、南朝残党の流れを汲んだ諜報・工作活動に長けた者が多いようだった。

そんな長政がいま、己の命を餌に元長を釣り出している。なぜ危険な賭けをあえて行う必要があるのか。宗三には長政の狙いが分からなかった。勢力を伸ばしたいとか、堺公方府でいい顔がしたいとかなら労苦なく叶えられるはずだ。真の目的を隠している男を信用することはできない。

(共倒れになってくれれば一番よかったが。もう……それは無理かな)

六郎が、先に音を上げてしまった。思うように家中の統制が利かず、自分の威光が行き届かないことがいたく心痛のようだった。

「わしの名で和睦を命じたのに、なぜ元長は従わぬのじゃ。宗三、どうするぞ。わしは長政を失いたくない。さりとて、長政を庇護して元長に攻められるのはまっぴら御免じゃ。何か、よい手はないか、よい手は」

まだ十九の若殿である。長年阿波の館に逼塞していたから世間の機微もご存じない。幼い時から暗殺の危険にも晒され続けている。怯懦になられるのも、やっと手に入れた権力の座に執着なさるのも、

(無理はない)

と宗三は思っている。だからこそ自分が主君の鏡写しとなって、代わりにお望みを果たして差し上げねばならぬ。少なからぬ副作用が予想されたが、すべてに耐え凌ぐ決心はできていた。

「殿。心をどうかお安らかに。このわしが、きっとなんとかしてみせましょう。しばし堺を離れますが、くれぐれもお安らかに……。なに、十日もすれば戻ってきます故」

そう言って、宗三は海船政所を発った。目指すは……山科本願寺である。

 

  *

 

地震か、生駒山地で地すべりでも起きたのかと思った。

明け方、地の底が割れるような音が響き、元長自慢の鳴り物の音が掻き消されたのだ。それが膨大な数の人間が発する足音、鎧ずれ、武器の打ち鳴らし、念仏などの集合音であることに気づくと同時に、

「い、一揆です! 一向宗が突如蜂起、そ、その数、およそ五万! 野を埋め尽くすような宗徒の群れがこちらに向かってきます!」

物見が陣幕の中へ転がり込んできた。元長は床几を蹴り飛ばし、叫んだ。

「撤兵! 堺へ向かって駆けろ!」

 

一揆には戦術も糞もなかった。一人斬られようと二人突かれようと、南無阿弥陀仏を唱えながら“仏敵元長を滅すべし”の一心で襲いかかってくるのである。仲間の死体を踏み越えながら掴みかかってくる姿は、さながら亡者の群れのようだった。馬に飛び乗って逃げる際、畠山義堯の陣が呑み込まれるのが見えた。自分たちは、大魚の前のあめんぼに等しかった。

 

堺に辿りつけたのは、元長の他に五十名ほどだった。元長軍だけで、二千人近くが血祭りに上げられた勘定だ。動きの鈍い鳴り物衆は全滅したに違いなかった。落ち延びた者も何がしかの手傷を負っており、身体は血と汗と泥に塗れている。

未だ日中だというのに、既に町衆の家々は厳重に閉ざされている。道行く者もいない。普段の賑わいが嘘のようであった。そこに、留守をしていた長逸が駆けつけた。

「堺にも一揆が攻めてきたのです。小勢でしたのでそれがしと持隆様で蹴散らしはしましたが、じきに本隊と合流し、再度攻め寄せてくるでしょう。彼奴らは殿と、持隆様、それに義冬公の身柄を要求しています。一揆は、細川六郎と結託している気配が濃厚」

「あの阿呆は、武家の争いに坊主を招き入れたのか!」

はらわたが煮えくり返ったが、事態は逼迫している。喚く時間すら惜しい。

「長逸。持隆様と手分けし、生き残った四国衆を港に集めよ。一先ず阿波へ逃れるのだ。義冬公も必ずお守りせよ。わしの命の恩人であること、くれぐれも忘れるな」

「否。それがしが時間を稼ぎます。殿こそ皆を連れてお退きくだされ」

「ならぬ。お主のような男が生きてこそ後に望みも残るというもの。よいか、確かに命じたぞ」

 

とと屋へ駆けつける。つるぎと千熊丸は出立の準備を済ませていた。つるぎは、本当に賢い妻だった。

「よし。すぐに港へ向かえ。長逸が待っている」

「父上っ」

千熊丸が、袂にすがった。

「嫌だ。父上も一緒でなくては嫌です。一緒にいてこその家族ではありませぬか」

堪えきれず、千熊丸は肩を震わして泣き始めた。元長がどう腹を括ったか察知したものらしい。元長が残らねば、出航の時間を稼げない。元長が死なねば、一揆は収まらない――。

「利いた風な口をきくな! 父の気持ちが分からぬか!」

つるぎが千熊丸の頬を打った。打ちつつ、つるぎの瞳からも涙が溢れている。一人の女の身に妻と母とがない交ぜになっているのだろう。やがて、二人ともが元長の袂に顔を埋め、嗚咽し始めた。

「……泣くな。もう泣くでないよ」

精一杯優しげに言った。

「つるぎ、子どもたちを託すぞ。その大きな腹の子も……。来世では、二人で大きな船に乗って海の外へ行こうよ。わしは世界を股にかける商人になる。そなたは女将になって、再びわしを……きっと支えてくれ」

袖を濡らしながら、はい、ええ、そうしますとも……とつるぎが頷く。

「千熊。よいか、わしのように癇癪や短慮で失敗するでないぞ。いまにして思うと、わしの最大の敵は高国でも六郎でもなければ、長政や宗三のような輩でもなかった。この……未熟な腹の虫であったのだ。夢を追うには、心魂の高みが必要だったのだな」

千熊丸は目を真っ赤に染めながら、じっと聴いている。

 

そこへ与兵衛と与四郎が入ってきた。様子を伺っていたのか二人の顔も濡れている。与兵衛が一組の酒器を差し出し、酒を注ぐ。更に、与四郎が庭から摘んできた夏菊の花びらを上に散らした。

元長への手向けである。丁重に礼を言い、三人は一口ずつ菊酒を吸った。

つるぎと千熊丸は、与兵衛と与四郎が送ってくれるという。元長は再度礼を言った。

「さらば」

後は振り返らず、馬を駆けた。

 

一揆衆が再び攻め寄せてきた。僅かに残った供回りと防戦に努め、船が出るまでの時間を稼いだ後、顕本寺の本堂に入った。日はまもなく沈もうとしている。

堂内に元長一人。与四郎にもらった切り花を懐から取り出し、しげしげと眺めた。

「夏菊一輪、はるけき夢の跡」

意識が、菊の匂いに吸い込まれていく。恨みも怒りも悲しみも、身体を覆っていた邪気が溶けて消えた。諸肌脱ぎとなり、脇差を腹の前に当てる。ふたつほど呼吸を整え、腹を突いた。そのまま腹を横一文字に裂き、脇差を一度引き抜いた上で、今度は縦に切る。更に、右腕を十文字の洞に突っ込み、中のものを引きずり出した。

(ようやくお目にかかれたな、腹の虫殿よ)

残った力を振り絞り、それを打っ棄る。そのまま、元長の抜け殻は前へ崩れた。

 

  *

 

「惜しい将を亡くしたものよのう。……うむ、大強の大出を悼む一服もまた、格別じゃわ。あはは」

京から舞い戻った宗三の眼前、六郎はご機嫌だった。一夜にして、政敵がすべていなくなったのだ。

自分の分も茶を点てた。明日からは、一揆や長政の扱いという新たな政治課題に向き合うことになる。この一服の間だけでも、寂びた心でいたかった。

 

続く