きょう、(小説 三好長慶)

近世のきのう、中世のあした。三好長慶の物語

七 輪廻の段  ――三好長慶 恋を自覚し、芥川孫十郎 長慶に飯を振舞う――

七 輪廻の段

 

天文六年(1537年)の夏が近づいてきていた。京の細川屋敷、以前は荒れ果てていたこの屋敷もいまでは天下の政庁らしい絢爛豪華な館に生まれ変わっている。御所や公方が窮乏し、法華衆の寺院が焼き尽くされたいま、細川屋敷の輝きは群を抜いていた。

長慶が細川家の内衆として出仕してから、既に半年になる。

六郎に仕えたいと言ってきた時は、何ごとかと訝ったものである。従兄弟の持隆からは、かつての経緯を水に流し主従として未来志向の関係を築くことが得策、などと斡旋の文が届いた。筋は通っていることだし、宗三や長政も賛同したものだから、六郎も素直に受け入れることにした。

長慶は有能だった。宗三の下で訴訟の取次ぎや差出検地の調査、小者の差配、国人衆や公方への使者など、奉行として求められる仕事を難なくこなしている。人の倍もの業務量をさばきながら、連歌の会などにも精力的に顔を出しているようだった。

余暇の活動が諸家・諸勢力との信頼を増すことに繋がり、日頃の仕事が更に効率的に進む。こうした点は宗三もおおいに感心していた。いままで、宗三の目に適う奉行など滅多にいなかったのだ。

 

先日、宗三とはこんな会話をした。

「長慶はよく働いているようじゃな」

「ええ、非凡と言ってよいでしょう。奉行に求められる素養を完全に兼ね備えています」

「ほう。求められる素養とはなんじゃ」

なんとなく質問してみた。ほんの気まぐれである。

「ひとつは読解力。要点把握力とも言いますが。実務や交渉において、互いの要求や課題意識を正確に把握することができるかどうかで負荷や成果は大きく変わってきます。同様に、要点を相手に正しく伝える表現力や文章力も重要です」

「なるほどな」

「加えて、数に対する感性です。調査の際は正確に数を測ること。判断の際は思い込みや経験に頼らず、数による検証を行うこと。こうした積み重ねが仕事の質を高めるのです」

「ううむ、奉行というのも難しいものじゃのう」

「まだあります」

「まだあるのか」

こうした仕事論の話になると宗三は雄弁になる。それだけ熱意を込めて仕えてくれているのだから、話を遮るのも憚られた。貴人である六郎にとって、奉行の心得などは下種の世界の話でしかないのだが。

「敬意を払うことです。家格が上の者に対してはもちろんですが、同格や下の者、商人や農民、坊主などに対しても等しい態度で接すること。奉行の人気と実績とは、案外こうしたところで左右されるのです」

「ふうん。長慶はそんな才覚をどこで手に入れたのだろうなあ」

「……」

宗三は答えなかった。元長の話などに繋がり、六郎の機嫌が悪くなることを避けたのだろう。側近としては賢明な判断である。

 

宗三が話した奉行の素養は、そのまま宗三自身にもすべて当てはまる。宗三は、長慶の才覚に敬意を払っている様子だった。元長に対してよりも評価が好意的である。

もちろん、宗三も長慶を完全に信用している訳ではない。その動向は常に監視しているし、機密情報には一切触れさせていない。持隆や長逸などの四国衆がよからぬ動きを起こさぬよう、人質として長慶を利用している面もあった。

(長慶が本当に忠誠を誓ったのか。それとも、腹に一物あるのか)

見極めようと思った。細川宗家の権力を脅かす者には容赦しない。

六郎は、政務も軍務も凡庸である。自分でもそう思うし、才知を高める必要も感じていない。天下に君臨する細川宗家の当主たるもの、その時その時で役に立つ人間を使役すればそれでよいのだ。宗三や長政を始め、細川家の威光に従う者は星の数ほどいる。威光に跪かぬ者は滅んでいった。元長。一揆。彼らは身分という絶対的な天意に背いたのだ。

昨年、長政の献策で、調子に乗っていた法華一揆を京から追い払った。細川高国残党の掃討もほぼ完了した。京の治安が回復したこともあり、各地の大名から献金を集めて帝(後奈良天皇)の即位式も実現させた。践祚から、実に十年後の即位式である。こうした背景もあって、六郎は念願の従四位下右京大夫の官位を得た。細川宗家正統後継者として認められ、その権勢は日に日に高まっている。

 

駿河の今川家から、使者がお見えです」

従者が声をかけてきた。

「ああ、そうだったな」

昨年、今川家では家督争いが起きていた。僧から還俗したという今川義元が乱を制したが、その後も相模の北条氏との抗争や家臣の離反などで統治に難儀しているようだ。今回の使者も、公方や朝廷の権威を借りたいという主旨だと、宗三から事前に報告を受けている。官位や役職の推挙、和睦斡旋など、細川家への各地の大名家からの依頼は引きも切らない。

天下の秩序を守るためにも、家格の高い者同士で助け合うことは重要である。何より、名門今川家に貸しをつくるのは愉快だった。

 

  *

 

「千殿、という呼び方は変えた方がよいかな」

「そのままで構わないさ」

微笑んで返した。幼名を知る友がいてむしろ嬉しいくらいである。文でのやり取りはしていたが、会うのも、とと屋を訪れるのも久しぶりだった。同い年の田中与四郎は、手代として商人の本格修行を始めている。武家と商家で道は異なるが、未来に希望を抱く若者同士、相通じ合うものを感じる。

宗三の指示で、会合衆と打ち合わせをするために堺へ来ていた。議題として重要な決断が必要なものはなく、互いの情報共有化が主な目的である。他の細川家内衆たちは、こうした遠出の使者に出るのを嫌がった。常に六郎や宗三の近くにいないと不安なのだ。奉行組織の基本は上意下達なので、六郎や宗三の日々の予定を把握し、次の命令を先読みすることで寵を得ようと考える。こうして奉行は京に閉じ籠り、内向きの思考が組織に蔓延して、世論との乖離が広がっていく。公方や朝廷などでは、この傾向が一層顕著である。それぞれに悪意がある訳ではなく、心弱き者の宮仕えとはそんなものなのだろう。

長慶は使者の役目が好きだった。文で済むような話でも、他家や諸勢力と実際に顔を合わせて会話をすると、思わぬ本音や課題を知れたりする。こうした現地現場で得る生の声は、文書から得る知識よりも迫力や説得力に富んでおり実際の行政の場でも役立つことが多かった。

「それにしても、会合衆の見識はたいしたものだ。財政論であれ外交論であれ公方や細川家の奉行などよりも遥かに優れている」

「正直、私もそう思う。技術も学問も風流も、堺には最先端の情報が集まってくるからな」

堺で生まれ育った与四郎は、この町に強い誇りを抱いている。

会合衆の才知を堺の自治だけに留めているのは国家の損失というものではないかな。公方の行政なども会合衆に任せてしまえばよいのだ」

「それは無茶だろう。我々には金も知恵もあるが、家格がない。侍が商人の言うことを聞くとは思えん」

与四郎の言う通りだった。人が人を評価する際、まず重視するのは家格である。一般的には、家格の高さが人物や実力の質を保証してくれるということになっている。だが、中央政界では家格以外に取り得のない者が想像以上に多かった。

(堺の会合衆を始め、新興の有力者は次々と誕生している。何百年も前から受け継いできた家格というものに、いつまでも頼っていてよいのだろうか。出自に関わらず、才覚ある者を責任ある地位に登用していくべきでは?)

細川家に出仕して以来、そのように考えることが増えていた。家格による秩序というものが時代の前進を阻んでいるのかもしれぬ。昨今各地で流行している下剋上とは単なる野望の発露ではなく、世の歪みを正そうとする天の配剤なのではないか。いずれは武家内の下剋上だけではなく、武家政権が商家たちに乗っ取られるようなことも起こりえるのではないか――などと。

「千殿。いま何か、とんでもないことを考えているのだろう」

「ん?」

「そういう顔をしている時は、いつもそうだった」

「ふふ、そうだったかな」

「無茶はするなよ」

「たいしたことではないさ。ただ、将来天下を獲ったら内向きのことは与四郎に任せようと思ってな」

「なんだい、それ」

二人して笑った。屈託なく笑い合える友がいる。嬉しさが、暖かな日差しと重なり合っていた。

 

堺から京都への帰路、淀川の手前辺りで長逸勢に会った。長逸は長慶に代わって畿内の治安維持を六郎から命じられており、手勢を率いて各地を巡回している。地盤が畿内ではないことから、使い勝手のよい遊軍のような扱いを受けることが多かった。

軍勢から少し距離を取り、二人で馬を並べた。

「不穏な動きはないか」

「一先ずの安寧というやつですな。表だって乱を起こす者は見当たりませぬ」

「裏側で蠢く輩は」

「ひとつは河内」

「相変わらず、というものだな」

木沢長政の勢力はますます盛んである。六郎の権勢を上手く使いつつ、畠山尾州家の支援も受けているようだ。最近は大和西部まで影響力を伸ばしており、信貴山に城を築くようなこともしている。これまでの戦で力を温存してきた上、牢人や流民などと積極的に主従関係を結んでいっていることから、その動員兵力は既に大名級になっているものと思われた。宗三は警戒を強めているが、六郎からの信頼は大きい。六郎は宗三と長政を競い合わせることで、自身の立場を高めようとしている節があった。

「もうひとつは足利将軍」

「確かに」

足利義晴は、細川高国や浦上村宗を滅ぼした六郎に対してもともとよい感情は持っていないし、将軍親政を目指している気配すらある。公方と細川家間の実務調整で衝突が起こることもしばしばあった。

「西国に働きかけている節があります。大内は動かないでしょうが、尼子や大友などは分かりませぬ」

「そうか。このことは私の胸に納めておくが、持隆様だけには連携を頼む」

「御意」

中国勢や九州勢が大規模な軍事行動を起こした場合、四国も無傷ではいられない。持隆と大内家の繋がりなどを使って、あらかじめ打てる手は打っておくべきだった。

「動くとすれば、どちらが先かな」

「確かなことは言えませぬ」

「私が先に細川六郎を討てば、両者はどうなる」

「いかに迅速に京と公方を抑えられるか、次第でしょう」

少し困惑しながらも、長逸は正しいことを答えた。長慶は含み笑いをしながら宥める。

「冗談だ。こんなことを周りに聞かれたらえらいことだな」

「それがしは、思われているほど気が大きくはないのです。お戯れはおやめくだされ」

「すまぬすまぬ」

長逸は生真面目であるが、気が小さいというのは当たらない。私情よりも責任や使命を優先する男だ。仮に六郎を斬れと長慶が命じれば、躊躇なく斬るだろう。だからこそ、上に立つ者としては命令を吟味する必要があった。奉行働きを経験して以来、家臣の気持ちが少し分かったような気がする。

「話は変わりますが、つるぎ殿のお身体は大丈夫でしょうか」

「うむ。春先から感冒にかかっていたようだが、おおむね回復したと千満丸から文があった」

「少し、床に臥すことが増えましたな」

「苦労の連続だったもの、無理はない。孝行せねばな」

最後の一言は、自分に言い聞かせるようであった。

 

そこに、芥川孫十郎が近づいてきた。

「やあ、長慶殿。京と堺の往復とは、いつもながらご精勤でござるな」

「なんの、弓矢を背負って出陣を繰り返す方が、よっぽどのご苦労でしょう」

孫十郎は長慶の親戚で、五歳年上に当たる。出自は摂津国芥川(大阪府高槻市)の国人であるが、三好之長の敗死と共に家は没落した。いまは六郎家臣としてお家再興を目指しており、長逸の与力につくことも多かった。なかなかの武勇の持ち主で、一番槍や手柄首を獲ったこともあるらしい。

「しかし、お主は戦より奉行仕事がお好きか。初陣に出たという話も聞かぬが」

明け透けと孫十郎が聞いてきた。嫌味ではなく、心に浮かんだ通りに声を出しているに過ぎない。日頃から長慶のことを弟のように思っている様子だった。

「いずれとは思っておりますが、いまのお役目もなかなかに忙しいもので。今度は丹波にも行かねばならないのですよ」

苦笑しながら話題をかわした。長慶が一揆や高国残党と直接争って、畿内で思わぬ恨みを買うことは避けていた。長逸や康長と話しあって決めたことである。いずれ細川家と戦うこともあり得る、それまで汚れ仕事はそれがしが、と長逸は主張していた。

「お、丹波に行くのか。ならば、ひとつ頼まれてくれぬか。お主、肉は食えような」

「ええ、山育ちですから」

孫十郎の目が光った。

「それはよい。丹波でな、豚か猪の肉と脂を調達してきてほしいのだ」

「構いませぬが」

「うまいものを食わせてやろう。手に入れたら、京のわしの屋敷に持参してくれ」

本心からの善意なのだろう。妙な話になったが、悪い気はしなかった。この男と付き合っていると変わった体験ができそうである。

「承知しました」

「ようし。さすがのお主も、きっと驚くぞ。がっはは」

豪快な笑い声を残して、長逸と孫十郎の一行は去っていった。淀川を上る舟を待っている間、長慶は未知の食べ物を空想して暇を潰した。

 

  *

 

三好長慶がやって来るという。

ひとつ年長の彼と出会ったのは、もう五年も前のことだ。あの時十歳の少女だったあまねは、十五歳の乙女に成長している。背はそれほど高くならず、身体つきは相変わらず薄く儚い。それでも、静かな情感と意外な人懐っこさ、そして無自覚な艶気に惹かれて歌などを贈ってくる男は少なくなかった。縁談も幾つか持ちかけられたが、父の波多野稙通もあまね自身も、一旦はすべて断っていた。その理由をはっきり言葉にしたことはない。

長慶、当時の千熊丸に出会った時、あまねは自分の中の女を生まれて始めて意識した。彼の内から立ち昇る不思議な薫りが、あまねの胸に熱と湿度を運んできたのだ。あの薫りを忘れたことはないし、他で似たような薫りを知覚することもなかった。五年も再会することがなかったから、憧憬はかえって強まっている。こんなことばかりを考えている自分はおかしいのだろうかと、悩んだこともあった。そんなためらいがまた自分の艶を増していることにも気づいていない。

彼の噂だけはよく聞こえてきた。父の不幸と阿波への敗走。細川家と一向宗の和睦斡旋。若き当主としての成長ぶり、細川家内衆としての活躍ぶり……。若くして、三好長慶の名は畿内に轟いている。六郎への忠誠の真偽、人品の評判、今後の動向予測、親密な国人の名など、波多野家中でも彼の話題で盛り上がることは多いようだ。稙通は長慶や三好家に好意的だったが、油断ならぬと評する声も根強い。兄の晴通は、所詮三好は大悪の一族、そもそも我らにとっても宿怨の仇などと公言している。稙通と晴通の父子関係は上手くいっておらず、家が割れているように感じることもあった。

五感で得た好意、定まらぬ男の世評、家族の不和。恋を誘発する下地は充分過ぎるほど整っていると言ってよい。いままさに、女の輪廻にあまねが加わろうとしていた。

 

長慶が八上城の館に入ってくるのを、あまねは遠目に眺めていた。記憶の中の千熊丸よりも随分と背が伸びている。身体の力強さも増したようだったが、粗暴な武者臭さは感じなかった。都の公達、貴公子といった風情である。

(あたしなんかが並んだら、見劣りするかもしれない)

彼の成長ぶりが、あまねを不安にさせた。相手はいまを時めく俊英である。なれなれしく挨拶などをしたら変に思われないだろうか。そもそも、向こうはこちらのことを覚えているのだろうか。

躊躇って、あまねは自室に隠れた。今頃は父や兄が長慶を迎えて、何か政治向きの話でもしているのだろう。

 

しばらくして、顔を出すようにと使いが来た。断ろうかとも思ったが、よい理由は思いつかなかった。

応接の間にしずしず入ると、一同が待ちかねたように注目してきた。稙通が呼びかける。

「おう、おう、こちらへ座るがよい。さ、挨拶を。これ、そんなに離れたところにいてどうする」

長慶の至近に寄せられ、あまねは目を合わせることもできず、静かに頭を下げた。

「お久しぶりです、あまね姫」

彼の方から声をかけてきた。あまねがまごつくと、

「おや、お忘れでしょうか。五年前に当家へ伺った、三好千熊丸です。いまは長慶と名乗っていますが」

輝くように微笑みかけてくるものである。

「あたしを、覚えているんですか」

「どちらが木登り上手か、競いあったでしょう」

晴通を除いて、一同が笑った。妹を溺愛する晴通は、男性の接近を喜ばない。それに構わず、稙通が言葉を継いだ。

「や。互いにこうして旧縁を思い出せるのは幸せなことでござる。この長慶殿の立派なご成人ぶり。元長殿も天上でさぞ喜んでおられることだろう」

「かたじけないお言葉」

長慶が頭を下げた。その爽やかな姿勢は、四国衆と丹波衆の諍いも、元長と柳本賢治の悲劇も過ぎ去って、新たな時代が到来したかのような印象を与えた。同座している反三好派の家臣たちもわだかまりが幾分緩んだようだ。

この日は、長慶を歓迎する宴で夜更けまで盛り上がった。気がつけば、あまねも長慶に酒を注いだり、返杯を受けたりしている。長慶に注がれた酒には、彼の薫りが移っている気がした。

 

翌朝、稙通からの指示にあまねは驚いた。

永澤寺兵庫県三田市)近くに住む馴染みの猟師のもとへ、長慶を案内せよというのである。なに、気候もよいのだから墓参りがてら行ってくるがよい、もちろん供はつける、晴通に気取られる前に出発せよ、などと父は気安く言った。なんでも、長慶が質のよい肉を求めているそうだ。

あまねの母は早世しており、墓は永澤寺にあった。月参りを欠かさないので道はよく知っている。日帰りで往復できる距離ということもあって、あまねは承諾した。父が妙な気を回したようだったが、長慶と行楽に出かけるようで気持ちが浮き上がったのは確かだ。

 

永澤寺では、菖蒲が盛りを迎えていた。鮮やかに青がかった紫色、あるいは幽かに白みがかった紫色が、山々の深緑を借景にして見渡す限り広がっている。頭上では、ほととぎすの涼やかな鳴き声。この景には長慶もいたく感心したようだった。

「母は、この菖蒲庭園が大好きだったんです」

「……」

長慶は返事をしないで見入っていた。鑑賞に没入しているらしい様子を見て、供の者たちが離れていく。傍にはあまねだけが残り、二人で静かに菖蒲を眺めた。

「……何を、考えているんですか?」

「む。ふと、な。ほととぎす、鳴くや五月の――」

詠いかけたが、彼はまた黙った。菖蒲の匂いに交じって、長慶の身体から湧き出た薫りが広がっていく。あまねの胸に、灯火が宿った。

「分かりました。何もお答えいただかなくてよいですから。そのまま、動かないで」

長慶の背に、あまねが顔と手のひらを当てた。驚いたようだが、長慶は言われた通りにしている。

「そう、ずっとこうしたかったんです。何も変わっていない。あたしを溶かすような、この薫り」

背中から、強張りが消えた。

「ふふ、そなたはずるいおなごだ。私を和らげてしまう、この香り」

二人の身体が寄り添ったのは、ほんの僅かな刻である。その一瞬が久遠のような広がりを抱き得ることを、あまねは初めて知った。

 

  *

 

芥川孫十郎の屋敷は、八条坊門小路と高倉小路が交わる辺りにあった。この辺りは京市街の中でも少し鄙びたところがあり、家も借りやすい。孫十郎のような没落武士の他、工匠や物売り、芸人、破戒僧、流れ巫女、あるいは旅人など、雑多な人種がひしめいている町である。上京にある三好屋敷に孫十郎を招こうとしたこともあったが、いまの住処が気に入っていると断られていた。

長慶が約束通りに丹波豚の肉と脂を持って訪うと、孫十郎は大変喜んで迎え入れてくれた。中は狭く細長い、鰻の寝床のような京町屋で、孫十郎と下男・下女だけで暮らしているようだ。掃除が行き届いておらず、天井から漏れ入る日光の中で埃が舞い踊っている。孫十郎の僅かな家来たちも近くの同じような家々に潜んでいるそうだ。

「本当によく来てくれた。礼に、見たこともないようなものを食わせてやる。少し待っていてくれ」

どうやら、孫十郎自身が料理をこしらえるつもりのようである。最近は食べものに凝る武士が増えてきているが、孫十郎のような男が料理とは意外であった。興味深いので、見学させてもらうことにした。

次々と食材が並ぶ。豚の肉と脂の他、鶏卵、葱、醤、塩、胡椒、そして冷や飯。この前の出陣で得た手当でもつぎ込んだのか、なかなか豪奢である。だが、

(豚と、飯……?)

何をつくるつもりなのか、まるで想像がつかない。山里では獣の肉を食べるが、京では野鳥以外の肉はほとんど消費されない。料理らしい肉料理というものは非常に珍しいのである。

やおら、孫十郎が鉄鍋を取り出した。それも黒鉄製で半球型の、見慣れない鍋である。この住まいに似合わぬ、業物のように見受けられた。

「この鍋はな、わしの家宝よ」

そう言いながら孫十郎は大量の豚脂を鍋に放り入れた。鍋を火にかけると、固形だった脂が溶け出し、うまそうな匂いが漂い出した。充分に鍋が熱されたと見るや、手早く食材を入れていく。刹那、孫十郎が大きく鍋を振るった。具材が宙に飛び、弧を描いて鍋に戻る。まるで手妻を見ているようだった。

 

「できたぞ。さあ、一緒に食おう」

出された品は、確かに見たこともない料理だった。つやつやと照った漆黒の飯の中に、豚の角切り、鶏卵、葱が混じっている。豚脂と醤・胡椒で炒められた飯からは暴君の如く、あらゆる者の食欲を煽りまくる匂いが溢れ出ていた。

添えられた木の匙を使って飯を口に運ぶ。熱い。鍋の熱がそのまま飯に宿っているようだ。だが、香ばしく、美味を確信させる匂いにはもう抗えそうにない。火傷も恐れずに一気に噛みしめた。

「!」

うまい。これは、本当にうまい。あふ、はふと口中の火事を鎮めながら、長慶は夢中で飯をかきこんだ。

 

二人で、五合ほどの飯をあっという間に平らげてしまった。

明の“つおはん”なる料理だという。言いにくいので、孫十郎は“黒飯”と呼んでいる。孫十郎が摂津各地を放浪していた頃、明の商人が野盗に絡まれているのを助けた。その礼に黒鍋を贈られ、黒飯の調理法を教わったそうだ。孫十郎は漢文の知識など持たないが、身振り手振りと表情だけで充分に意思疎通はできたらしい。

「たまに無性に食いたくなるのだが、質のよい脂を使わないと酷い味になる。だから、お主が丹波豚を手に入れてくれて本当に嬉しい。丹波の豚は栗を食べて育つから、特に味がよいのだ」

「腹が喜んでいます。これは、毎月でも丹波に行かねばなりませぬな」

「がっははは。豚は貴重だ。喰らい尽くしてしまうと大ごとだぞ」

「猪でもよいのでしょう」

「よいのだが、わしは豚の方がうまいと思うな」

食後の、朗らかな会話が続いた。野生的な孫十郎の空気は、芝生の山々を思い起こさせる。都会の暮らしに倦み始めていることを、長慶は初めて自覚した。京も山に囲まれているが、阿波や丹波で見る山とはどこか違う。人工物がどうしても視界に入るからかもしれない。

「確かに、京という町は暮らしにくいところだ。我々は三好之長の末裔であるし、な」

元長の活動により、裕福な町衆を中心とした法華宗徒は三好家に好意的だった。だが、それ以外の民、とりわけ公家や寺社からの評判はよくなかった。長慶にとって曾祖父、孫十郎にとっては祖父にあたる三好之長への恨みが未だ残っているのだ。之長は若い頃、土一揆を率いて京市街で暴れまくった上、何食わぬ顔で細川家に入り込んで権勢を誇った。戦には滅茶苦茶強かったが、何かにつけ乱暴で、労役や課税を民に強制し、金持ちの財産を平気で押領したため、その嫌われっぷりは相当なものであったらしい。元長は京でも一定の人気を得ていたが、そうなるまでにはかなりの辛酸を舐めたに違いなかった。

「まこと、家が抱える宿縁というのは恐ろしいものです」

「わしたちの生まれる前の話なのにな。ま、京の民というのは昔のことをよく覚えているものだ。木曽義仲の乱暴すら、未だに根に持っておる」

「何百年たっても恩讐に囚われているということですか」

「いや、単純にそうとも言い切れぬ。よいものはよいと、認めてさえしまえば重宝するのが京の度量よ。お主は都人以上に品がよく、仕事も達者だもの。この辺りでも、三好長慶個人の評判は上々だ。わしのような野蛮人は、そうもゆかぬがな」

孫十郎の顔が僅かに曇った。雑人街に暮らしている理由が漏れ出たのかもしれない。

「そんなものでしょうか。もうひとつ実感が追いつきませぬ」

「嘘ではない。お主には、そのうち目端が利く連中から嫁入りの話でも舞い込んでくるのではないか」

そう言われて、長慶ははっとした。孫十郎の言はもっともである。縁談は当事者の慕情よりも、家と家の結びつきが重視される。例えば変に家格の高い者から申し出を受けてしまうと断るのは極めて難儀なのだ。縁談が外交や勢力図に影響を与えることも多い。有力な家ではややこしい事態を招かぬよう、あらかじめ許嫁を決めてしまうことも多かった。

あまねのことは誰にも話していない。彼女と気持ちが通い合った実感があったし、いずれは嫁に迎えたいと思っている。だが、細川家内衆として時勢を伺う長慶の立場は、極めて不安定である。いまは嫁取りの好機ではなかった。

(いっそ、早急に事を起こした方がよいか)

うかうかとしていて見ず知らずの娘との縁談を押し付けられたり、あまねが余所の男に嫁いだりするのは承服しがたい。恋の渇望が、知らず知らず長慶の気を逸らせていた。

 

  *

 

秋が深まり、夜が長くなった。芝生に昇る月は明るく、宵闇の中でも吉野川や川辺のすすきを知覚することができる。いねは、夕暮れや夜更けの、こうした寂しい景色が好きであった。かつて、元長も折につけてそういうことを言っていたのだ。

五日前、一斉に衣替えを行った。いねは十三歳、つるぎの小袖も大きさが合うようになっている。幾つか気に入った柄を試着していると、大人たちからは母の若い頃にそっくりだと言われた。最近のつるぎは、地味な柄の小袖しか着ようとしない。鮮やかなもの、華やかなものはすべてお前にやろうと言ってくれた。それでも、総模様を着る自分より、無垢を着る母の方が美しいように思えた。

その母は、二日前から咳が出るようになって床に臥している。春先に感冒にかかった時も咳がひどかった。どうも、季節の変わり目に対する耐久力が弱っているようである。うつるからと部屋には入れてくれないが、こほ、こほという苦しげな声がずっと聞こえてくる。親が体調を崩していると、いねや千満丸も晴れやかではいられなかった。

「身体だけでなく、気まで弱くなられた。父上、兄上、千々世、又四郎。皆、いなくなってしまったものな」

つるぎの部屋の外で、千満丸が呟く。

「ちょっと。そんな言い方はやめてよ。私たちがいるじゃないの」

「俺たちは母上似だもの。父上の気配が足りないのさ。兄上と千々世は父上と母上が混じった感じだし、又四郎は父上似じゃあないか」

「分かった風なことを言わないで」

「なんだい。文句を言う間があるなら、少しは掃除でも料理でも覚えたらいいだろう」

「あんたこそ、口と格好ばかり一丁前で。学問なり鍛錬なりに励んだらどうなの」

「やることはやってらあね」

「もっとやれってのよ!」

「おお怖い怖い。こりゃあ、将来の旦那様は大変だ」

嫌なことばかり言う弟だ。自分だって嫁の貰い手には不安を抱いている。

その時、つるぎの咳が酷くなった。掠れたような呻き声と、不気味な水気の音。二人はくだらない喧嘩をやめて、部屋の様子を覗き見た。

「きゃあ!」

薄暗い部屋の中。つるぎの唇から鮮血が垂れ、布団を朱く染めていた。

 

続く