きょう、(小説 三好長慶)

近世のきのう、中世のあした。三好長慶の物語

二十七 村雨の段  ――足利義晴 失意のままに悶え死に、三好之虎 阿波藍染を振興す――

二十七 村雨の段

 

天文十九年(1550年)の初夏になった。

近江は風の国である。穴太(滋賀県大津市)の寺院で臥せっている義晴のところにも、琵琶湖から心地よい風が吹いてくる。この風がなければ、もっと早くに逝っていただろう。

「中尾城(京都府京都市)の具合は……どうじゃ……」

部屋には、三淵晴員と進士晴舎が伺候している。

「細川内衆や六角殿の助力もあり、ご構想通りの仕上がりになったかと。堀切を三重にし、城壁には石を塗り込めておりますれば。三好が鉄砲を撃ち込んできたとしても、江口城のようにはいきますまい」

晴員が自信を込めて返答した。

江口の戦いにより、築城のあり方も見直しを迫られた。鉄砲への対策が不可欠になったのだ。

「うむ……。京は守るに不便な土地じゃ。中尾城を足掛かりにしつつ、四方、八方から攻め手を繰り出せ。ゆめ、長慶を俄か雨などと思うで、ないぞ……」

この一年近くで、長慶は畿内のほとんどを掌握していた。宗三の敗死後、細川軍・六角軍はなすすべなく撤退し、京は長慶に占拠された。氏綱の蜂起以来、京では町衆による自治の気風が強まっていたが、それも徐々に懐柔されつつある。

摂津では、最後まで抵抗を続けていた伊丹親興が長慶に降伏し、所領を安堵された。親興は不明を恥じ、長慶に忠誠を誓ったようだ。芥川孫十郎や池田長正などの国人も長慶を支持していた。河内では長慶の岳父、遊佐長教が相変わらず権勢を恣にしている。大和の筒井順昭も、長教との繋がりが深く、三好家とは中立を保っている状況だ。和泉の松浦守たちもすっかり長慶を頼りにしており、五畿内で長慶に敵対する者はもはやいないと言っても過言ではない。上手く親交を結んでいるのか、一向宗法華宗、寺社勢力すらが長慶の台頭を黙認していた。

「晴員、晴舎。義輝を、よろしゅう頼む……。あの子を何としても京の主に戻してやってくれ」

「大御所様」

「お気の弱いことを仰らないでくだされ」

胸や腹に水が溜まって、息をするのが苦しい。臓腑も圧迫されて、働きが鈍っている気がする。

「よい……。自分が一番よく分かっている。……もう、近い。義輝と、藤孝を呼んできてくれぬか」

二人が顔を拭い、部屋から下がっていった。

細川高国に擁立され、三好元長に京を追い出され、六郎には傀儡扱いされ、氏綱の起用には失敗、最期は元長の息子に再び京を追い出され、避難先の近江で死ぬ。征夷大将軍と呼ばれながら、なんと惨めな一生だったのだろう。全身の水腫は悔し涙が溜まったものに違いない。

あの二人は頼りにできる腹心である。頼りない自分にも、忠勤無比の働きを捧げてくれた。義輝ならば、よりよく使いこなしていくだろう。

義輝を支える者は、確実に増えてきている。六郎からは積年の非を詫びられた。宗三を失ったが、その息子、宗渭が復讐に燃えている。六角家や波多野家もいる。若狭の名門、武田家は六角定頼の娘を娶っていて、こちらの味方になってくれる見込みだ。遠国には尼子氏や朝倉氏がいるし、甲斐の武田氏や駿河の今川氏も長慶の成り上がりを喜ばないだろう。公方も六郎も京から追放された、この異常事態を放置しておけば下剋上の風潮が更に盛り上がる。全国の守護大名は看過していられないはずだ。

 

「失礼します」

義輝が入室してきた。そして、義晴の顔色を見て明らかな動揺を示した。

「余が、足利公方が京に執着してきた理由が分かるか」

「……いえ」

「尊氏公の頃は、帝の名分を奪い合う戦いばかりだった。その中で足利が生き残るには、公家を抱き込むしかなかった」

「……」

「足利の力の源泉は、初めから武力ではなかった。大義を我が物とすることにあったのだ」

息子を前にして、強い声色を振り絞っている。話す度に身体が軋むようだ。

「しかし、都の公家は我々を見放しつつあります」

「公家の取り合いになれば、京にいる方が勝つに決まっている。しかしな、いまの帝は野心をお持ちでない。武家が求めているものも帝の名分ではない。二百年続いた足利の権威と、目先の利益だ」

「公家との付き合いなど、銭がかかるばかりで意味がないと」

「ところが、京という土地には意味がある。……どんな田舎者でも、“京”という言葉だけは知っている」

布団から手を伸ばし、義輝の瑞々しい掌を握った。

「京を取り返せ。人は、奪われたままでいる者に手を差し伸べたりはしない。更に奪おうとするだけだ」

力がこもり、爪が食い込んだ。痛がる素振りもなく、義輝の瞳には決意の光が表れている。

「誓うのだ」

「……誓います。偉大な祖先に、誇り高き父に」

手を離した。話し過ぎて喉が咽る。これまで以上の苦しみを覚えた。

「よし。もう、行け。……余は、お主という息子を持てて幸いだった」

「父上」

「泣くな。輝きを損なう」

声が漏れるのを我慢しながら、義輝が退出していく。

その反対、縁側の方で人の気配があった。

「聞いていたのだろう、藤孝。入って参れ」

「は」

藤孝はますます筋骨逞しくなり、まさに文武両才といった態である。

「……長くは話せん。多くを聞くのも辛い」

「大御所様の思いは、しかと伺いました」

「もうひとつの思いを託す。……歴史を、導け。お主にはそれができる」

「施政者の誠意ですか」

「好きに受け取ればよい。以上だ、下がってよい」

名乗り出ることはしない。藤孝は、藤孝のままでよかった。義輝と違う道を選ぶことになっても構わない。それで藤孝が生き残れば、義晴の血も続いていく。

 

水腫が頭の中にもできたようだった。藤孝との会話を最後に、まともにものを言うことも、ものを考えることもできなくなった。苦痛だけが、より鋭敏に感じられる。肺腑が押し潰されて、息を吸う量よりも、吐く量の方が多くなった。

そんな責め苦が何日も続いた後、義晴は遂に意識を失った。義輝や晴員たちが何を呼びかけようと、意識が戻ることはなかった。

更に何日かして、ようやく息が止まった。義晴自身は何も分からなかったが、家族や家臣にとっては直視していられない悶えようだった。

 

  *

 

和泉は熱情の国であるという。

温暖な気候、都会と鄙が混じりあう地勢は、思いひとつで何ごとをも成せると信じる人々を産んできた。南海交易に野心を燃やす商人、精密な腕前を誇る木工や鍛冶の職人、行基菩薩に代表される高僧、茶人の舌をも唸らせる地場の青物を育む農民などなど……。

村の祭ひとつをとっても、熱く、荒く、激しい。お互い自分の村が一番という思いが強く、血を見るような喧嘩も頻繁に起こる。日頃は遠い夢に向かいながら、祭になれば刹那の激情に身を任せるのが泉州人だった。

当然、喧嘩は強い。兵の勇猛さは五畿内随一である。しかし、大勢力を組織するのは苦手だ。五十、百くらいの人数の抗争はよく統率できても、千人、万人という国を挙げた団結が不得手なのだ。そのため、しばしば根来衆の侵略を受けている。松浦守の拠る岸和田城大阪府岸和田市)や一向宗の結束が強い貝塚は自主独立を保っていたが、それより南は根来衆の領地と言っても差し支えはない。

「そんな訳で、長慶殿や一存殿の後見を得られれば心底助かります」

守が頭を下げた。岸和田城には枯山水の庭園を設えており、その周囲を歩きながら簡潔に和泉国の情勢を聞かせてくれる。庭の見どころを説明するかのように政治を語るこの男に、長慶は好感を抱いた。

「舎利寺の戦で敗れたとはいえ、紀伊の諸勢力は未だ侮りがたい力を有しています。畿内の平穏のため、我々としても松浦殿との盟約を恃みにしたいところです」

「感謝いたす。……兵たちも一存殿を慕っている様子。一存殿率いる泉州連合ならば、どのような修羅を相手にしても後れを取りますまい」

岸和田の南には九条家の荘園である日根荘(大阪府泉佐野市)があり、当然、根来衆の押領を受けていた。九条稙通との関係から、一存にとっても和泉国を安定させる動機があるのだ。

その一存は、長慶に先立って岸和田を訪れて、当地の兵たちと調練をしたり、日根荘をうろつく僧兵を追い払ったりしていた。守の話では、泉州兵はすっかり一存と打ち解けている様子である。

“和泉はいいなあ! 海があって、山があって、溜め池がやたらに多くて。讃岐とよう似ておるわ!”などと、一存自身も上機嫌で話していた。

「夏とはいえ、暑過ぎることはない。冬は逆に温かいとも聞きます。よいところですな、岸和田は」

「今日はとりわけ過ごしよい天気でござる。さ、二の曲輪に菓子など用意いたしました。阿波を望む海など眺めながら、一服しましょう」

紀州街道を扼するこの城は、難波潟から堀に水を引く海城でもある。二の曲輪は若干の高台になっており、そこの櫓からは展望のよい舞台が張り出されていて、海をよく見渡すことができた。奥まった館で歓待されるより、長慶にとってはこちらの方がずっと快い。

「この櫓も、見事な出来栄え。阿波の材木は岸和田にも送られているとか、当地の欅や桐の細工は珍重されているとか、話には聞いていましたが」

「船で来たときゃ不細工丸太、岸で磨かれ世に出る時は粋な木目のお柾どん。や、阿波の木が不細工と言っているのではありませんよ」

「ふふ。阿波の材木ならば、尚更格好のよい仕上がりになるということですな」

何でも実際に見てみるものだ。守と提携すれば、材木交易の利潤を上げることができるかもしれない。

そんなことを考えていると、漆皿に乗せられた菓子を出してくれた。四角く切り出されたそれは、見たことのない代物だった。茶色いさらし餡を固めたようなものの中に、小豆の粒がちらほらと混ざっている。

「“時雨”とか“祭の花”とか呼んでいます。小豆餡に餅粉などを混ぜ合わせ、蒸したものですな」

守がやってみせるように、黒文字で口に入れてみた。ほろり、ほろりと餡がほぐれ、さらり、さらりと甘みが舌の上に散る。しばらくして、粉雪のように味も食感も消えていく。幽かな残響だけを遺して……。

「――驚きました。このような味が、この世にあるとは」

「ははは。お気に召されましたか」

思い描いていたものが、菓子となって具現している。そのことに少なからぬ衝撃を受けた。

もう一口。

そう思った時、背後の肩口から飛びかかってくるものの気配を感じた。咄嗟に横へ跳躍し、身をかわす。

気配の正体を追った。茶色い、小柄の生き物が舞台から飛び降りていくのが見える。

「……猿。こんな、海辺に」

猿は長慶の菓子を口に詰め込み、どこかへ逃げ去っていった。

「ああっ。も、申し訳ありませぬ。餌をやる者がいて、住み着いてしまったのです。このような悪さをするなら、捕らえて成敗しておくのでした」

「いや、構わぬ。無闇な殺生もやめたがよい。……そうか、奪ったのは、猿か」

これはこれでよかったのかもしれない。ひと口だけの体験にしておいた方が、長く記憶に残るだろう。

浜辺の方に目を移した。南の方角から、騎馬の群れが向かってくるのが見える。遠乗りをしていた一存たちだ。畿内において、三好の地盤は着実に広がりつつあった。

 

  *

 

今日も丹波は濃霧に包まれている。山は影絵に、森は墨絵に。雲と霧が混じりあって綿状にたなびく。あまねは、丹波の霧景色が好きだった。

六郎や六角が撤退し、再び八上城の館へ戻っていた。部屋にも湿った空気が入ってくるため、夏でも涼やかな安心を抱くことができる。夜は多少冷えるが、子どものように薄着で寝てしまって震えるのも楽しいものだ。

案の定、戦は長慶が大勝を収めていた。公方も細川も京から逃げ落ちてしまって、別れた夫はいまや天下の第一人者と見做されている。それに伴い、少しずつ、周囲のあまねを見る目にも変化が生じていた。駆け引きの材料を見るような、煤色の瞳。

(前妻を出汁に、身の安堵を望むなんて……)

父の時代の丹波武士にはあり得ないことである。晴通はあまねを庇ってくれるが、その兄の統率力に人々は不安を抱いているらしい。晴通が長慶を散々いびってきたことは周知の事実だし、波多野は六郎残党が最も頼りにしている勢力のひとつである。三好の大軍にいつ丹波が攻め込まれてもおかしくはない。

(もう……)

この写経を終えたら、行動に移そう。何日間も吸い続けた霧が、とうとう迷いを溶かしてくれた。

名残を惜しむように、もう一度霧を吸う。霧に潜んだ、微かな匂い。

「琴?」

「……よく、分かったな」

霧の中から琴が現れた。琴の身体が発する僅かな匂いすら、嗅ぎ分けられるようになっている。

「話がある」

「ちょうどよかった。あたしもあるの」

「……そうか、お前から言え」

琴はいまでも三好家と連絡を取り合っている節がある。ただ、長慶や千熊丸のことを話題に出すことはしない。あまねの方からも、決して訊ねはしなかった。

「東国に、行こうと思う」

「む」

「ここにいると、嫌でも色んな話が耳に入って来るし……」

「それで」

「三年修行すれば、これまでの縁を切れる尼寺があると聞くから」

東慶寺(神奈川県鎌倉市)か」

「そう。鎌倉まで行けば、あたしのことなんて誰も知らないだろうし」

何がおかしいのか、琴が含み笑いを見せた。

「それはいい考えだ」

「……ありがとう。もう、明日には発とうと思うの。ね、お願い。力を、貸して」

「いいのか、兄は」

「手紙を書くわ」

晴通が賛成することはない。晴通が、妹の課題と家の課題とで押し潰されそうになっていることも知っている。自分がいなくなれば、少なくとも悩みはひとつ減る。

「よかろう。案内仕る」

「琴がいてくれて、よかった」

「……」

女同士だというのに、心情を細々と語り合ったことはない。だが、あまねは琴に確かな友情を感じている。琴の方も、依頼主である長慶のためというより、あまね自身のために動いてくれているような時があった。

「それで、琴の話は?」

「もういい。解決した」

「ふうん……?」

 

  *

 

勝瑞館の大広間いっぱいに並べられた布を見て、持隆たち一同からざわめきの声が上がった。

「これを阿波で染めたのか」

持隆が目を見張る。いずれも藍染された布地で、淡いものから濃いものまで、何十種類もの青が敷き詰められている。その染まり具合のよさ、色彩の品のよさは京からの下りものと比べても遜色ない。

「もともと、阿波藍にはこれだけの力があったのですよ。足りなかったのは染物師の腕前だけで、四郎兵衛がそれを補ってくれました」

之虎が胸を張る。当の四郎兵衛は恐縮してしまって、平伏した頭を上げようともしない。

昨年、京から名高い染物屋、青屋四郎兵衛を呼び寄せた。口説き落とすのは苦労したが、いざ阿波に来てみれば、四郎兵衛は阿波藍の品質のよさに惚れ込んでしまったのである。

「“すくも”とやらを、阿波でもこしらえられるようになったのですか」

長房が興味ありげに聞いてきた。

「そうさ。苦労したんだぜ、京とは気候が違うだろう? 同じように寝かせても上手くいかないんだよな」

「これを増産できれば……どれだけの収益が上がることやら……」

之虎にあまり好意的でない久米義広すら、この宝の山には目が眩んでいるようだ。

「ううむ、見事。実に見事じゃ。これほど晴れやかな気持ちになったのは、それこそ舎利寺の戦い以来よ」

「楽しみにしておいてください。そのうち、阿波は“青の国”だなんて呼ばれるでしょうよ」

「カカカ、なんともわくわくさせてくれる」

持隆が朗らかな笑い声を上げる。その屈託のなさに、之虎は救われたような思いをしていた。

相変わらず、持隆の周辺には不安の種が多い。

小少将は座敷牢に軟禁していたが、いつの間にやら牢番を誑かしていて、行方を晦ましてしまっていた。いまも四国のどこかに潜伏している可能性が高く、之虎は発見次第斬り捨ててよいと布令を出している。

持隆と縁の深い大内家では、当主の義隆と有力家臣の陶晴賢との対立が激化しており、いつ内乱が起きても不思議ではなかった。西国の筆頭勢力である大内家が割れることがあれば、その影響の大きさは長慶の京都制圧にも引けを取らない。いまも康長が防長に潜入して、情報を集めていた。

流れ公方の足利義冬は、相変わらず京への進出を企んでいる。長慶が相手にしてくれないものだから、最近は人のよい冬康や長房に絡んでいるようだ。勝手に畿内へ行きかねないから、目を離している訳にもいかない。義輝と戦っているからといって、義冬が畿内に現れれば話がややこしくなってしまう。義冬を頼りにするということは、結局“足利”の価値を高めることになるのだ。

「これで銭に困ることはない。幾らでも畿内に出兵できますな!」

家臣の一人がそう声を上げ、義広の表情が曇った。彼は、阿波守護代に過ぎない長慶が京を支配し、主家である持隆の風上に立っているようであることに不満を抱いている。六郎が義輝と共に京を追われ、氏綱が廃人のようになってお飾りを務めているいま、細川一族の重鎮である持隆の立場には微妙なものが生じ始めていた。

「……我々は持隆様のお指図通りに働くだけです」

之虎が場の空気をとりなす。

長慶の躍進は持隆が自分で後押ししたことである。おそらく、持隆は兄の活躍を嬉しく思っているはずだ。しかし、代々阿波守護家に仕えてきた者たちは必ずしもそうではない。舎利寺までは長慶を後援してきた者も、実際に長慶が天下を支配すると、少なくない反感を抱き始めたようだ。

之虎自身、江口の戦いに自分を呼んでくれなかった時は兄を恨んだ。江口城や京の宗三屋敷に乗り込み、宗三が収集した茶器を真っ先に分捕るつもりだったのである。それが叶わなかったばかりでなく、あの久秀という弟の七光り野郎が、宗三に茶釜を託されたというではないか。宗三の最期と相まって平蜘蛛釜の逸話はあちこちで話題になっており、いまでは堺の茶人からも垂涎の的だという。久秀も茶の湯を学び始めたらしいが、何を今更。

(宗三亡きいま、俺こそが数寄武将の代表だろう)

之虎はそう思っている。だからこそ、もっと銭を稼ぎ、もっと名物を集めねばならない。

その鍵を握る四郎兵衛は、長房たちに囲まれて身動きできないようだ。よい流れである。四郎兵衛への援助が増えれば、それだけ多くのすくもをつくることができる。

退出の挨拶を述べ、之虎は新たに染め上げた薄花桜の羽織を纏った。その凛々しい立ち姿に、持隆が見惚れている。いつだって三好兄弟を支えてきてくれた、あの優しい眼差しである。

いま、阿波は実質的に之虎が治めているようなものだった。そのことに老臣たちは苦い顔をしているが、若い衆は之虎が主家を剋することを期待しているのかもしれない。江口の戦いは、あらゆる若者に野心と、変革への期待とを抱かせてしまった。

(兄上が成し遂げた下剋上。――俺の、俺だけの下剋上

そこまで考えて、之虎は首を振った。それは之虎のやりたいことではないし、格好のよいことでもなかった。

 

  *

 

見舞いに来てくれたのは、晴舎だった。

「災難だったな、晴員」

「まったくだ。見ろ、左手がこれ以上上がらん」

肩の高さまでしか上がらない。左の鎖骨に矢じりの破片が残っていて、動きを邪魔しているらしい。

この冬、義晴が精魂を込めて築いた中尾城が陥落した。小競り合いの繰り返しに倦んだ長慶が、遂に二万の兵を繰り出してきたのである。本気を出した三好軍は恐ろしく強かった。三好長逸と松永長頼の二将が怒涛の勢いで攻めかかり、中尾城の防備をやすやすと揉み潰した。それどころか、逃げ落ちる義輝たちを追って、近江にまで侵入してきたのだ。

矢を浴びせようが逆茂木を築こうが、松永長頼という武将は怯む気配がなかった。援軍の六角軍をも蹴散らし、義輝の奉公衆を次々と突き落していった。その際、義輝のところへ飛んできた流れ矢を、晴員が身を挺して庇ったのである。息子の藤英に背負われて逃げ延び、なんとか命は助かった。

「強いな、三好は。長年の実戦で鍛え上げられている」

「四国衆がいないからといって甘く見ていた。十河一存だけではない、三好軍は鬼の巣だ」

「こちらの戦果は、鉄砲で敵の雑兵を撃ち殺したくらいか」

三好軍に対抗して、義輝、六郎、六角家の共同で鉄砲の調達を始めた。国友(滋賀県長浜市)の鍛冶師に研究させたり、豊後の大友義鎮に守護職相続の条件として献上を命じたり。そうやって得た数丁を、中尾城の防衛に投入した。戦には大敗したが、鉄砲は籠城と相性がよいことが分かった。

「わしのことより、問題は上様だ。酷い落ち込み様で、見るに堪えぬ」

「うむ。大御所様を失い、再起をはかった戦での大敗。まだ十五歳の上様にはあまりにも酷というもの」

「上様の輝きを損ねてはならぬ。いち早く、次の手を打たねば」

逃げて逃げて、ようやく辿り着いた堅田滋賀県大津市)の地。冬の堅田は雪が深く、比良八荒が吹きつけてきて、身も心も凍てついてしまいそうだった。この過酷な環境が、義輝の意志を挫いてしまうかもしれない。現に、政所執事の伊勢貞孝などは義輝とはぐれたふりをして、京に舞い戻っている。

「六郎殿が若狭で兵を集めようとしているが」

「あまり当てにはできんだろう。晴舎、ここはもう一段踏み込んだ絵図を描かねば」

「……やるか」

「やろう。汚名など、幾らでもかぶってやる」

我が身を滅ぼしてでも、義晴・義輝二代に亘る大願を叶えたい。

「しかし、長慶と千熊丸の警護は厳しいぞ。三好長逸の目が光っている」

「波多野の妹に接触する話はどうなった」

長慶は遊佐長教の娘と再婚したことになっているが、それが偽装であることは掴んでいる。波多野晴通の妹に未練があるなら、交渉の材料に使えるかもしれない。晴通にそれとなく打診してみたが、妹の利用には気が進まないらしかった。ならばと、晴舎が彼女を直接籠絡することになっていたはずだ。

「おう、そのことよ。……実はな、丹波で彼女の様子を探っていた晦摩衆が消息を絶ったのだ」

「なんだと」

「すまぬ、中尾城のごたごたで報告を後回しにしていた。しかも、同時期に彼女も行方を晦ましている」

「どういうことだ。女一人で、そんなことができる訳なかろう」

「……何者か、晦摩衆の如き者が手助けしているのかもしれぬ」

「馬鹿馬鹿しい」

「楠木家の琴を覚えているか」

「あの長教に利用されていた後南朝の女か」

「やはり生きているかもしれない。それがなぜか波多野の妹の傍近くにいて、彼女を守っている気がするのだ。そう考えた方が、色々とつじつまが合う」

晴舎が次々と根拠を挙げた。琴の死体が遂に見つからなかったこと。紀伊後南朝の残党を拷問し、琴の弟が備前にいることを掴んだが、その弟も既に姿を消していたこと。江口の戦いのさなか、丹波を進発間近だった六角軍の兵糧が焼かれたこと。そして、その不審火の周りでは蝶が舞っていたということ。

「ううむ……。長慶が、その手の者を使う印象はなかったがな」

「わしもそう思う。長慶の近辺で感じた影の気配は、この一件だけだ」

「……いずれにせよ、推測の域は出るまい。引き続き、彼女の行方は探ってくれ。それよりもだ」

「ああ。次の手の、更に次だな」

奇手は陽動に過ぎない。公方が描く策略の本命は、長慶包囲網の結成である。

派手な動きで時間を稼いでいる間に、緻密な分析と交渉を進める必要があった。粒々とした進め方を部屋に籠りきりで練り上げていく。

 

十日後。二人は肩を並べて、義輝の決裁を仰ぎに向かった。

 

  *

 

「どうだ、少しは分かったのか。狂うなら一人で狂え。世間を巻き込むな」

必死で涙を堪えていた。鼻水も垂れてきたが、なんとか吸い上げて誤魔化している。

「聞いているのか! この痴れ者が!」

大林宗套老師が、自分に会いたがっているという話を与四郎から聞いた。ちょうど京を訪れる用向きがあったから、与四郎を誘って大徳寺を訪れたのである。

仏殿の中で、長慶と老師は向かい合った。それから、なぜか長慶はずっと面罵を受けている。

「そう。御身は自惚れている。自分だけがこの世をどうこうできると思っている。慮外極まりない!」

その声は、天の天、過去の過去から届いてくるようだった。大いなる者の存在を感じた。脳髄が痺れ、腹の底が揺らぐ。思えば、これほどに人から怒鳴られた経験はなかった。元長もつるぎも、そしてあまねも、それぞれが激しい面を持ってはいたが、家族の情が介在していた。

長慶、二十九歳。若者は少しずつ壮者へと変化している。この年で他人から叱られることがこんなにも骨身にしみるとは、ついいままでは知らなかった。

「何を俯いておる。言いたいことがあるなら言わんか。その口を散々使って、多くの者を墓場に導いてきたのだろうが?」

「……いまは独善こそが最善だと、信じております」

両拳を床につけ、老師の目を見据えて言った。やはり、老師の瞳には“いま、ここ”が映っていない。それが何よりも恐ろしい。

「しゃっ……ここまでじゃ。その気になったら、また来るがよい」

一方的にそう言い放って、老師は去った。残された長慶は大きく息を吐いて、汗と鼻水を懐紙で拭う。ふと視線を感じて、天を仰ぎ見た。そこにあったのは、雲間に潜む龍の姿である。

「私を、慰めてくれているのか」

また来いと老師は言った。これだけの屈辱を受けてもなお、その言葉に甘えたいと思った。

 

「何があったんだ」

仏殿の外では与四郎が待ってくれていた。

「ああ。老師が何か仰っていたかい」

「枯木寒巖に倚る、三冬暖気なし……と」

「そうか……。与四郎、少し歩こう。私も気分を鎮めたい」

大徳寺の境内を並んで歩いた。老師に言われたことを一つひとつ声に出す。与四郎のためというより、自分に再度言い聞かせるようだった。話を聞く与四郎の方も、知ったような評論を何も挟まない。

「ますます忙しいとは思うけど、一度、私の茶を飲んでくれないか」

「そう言えば、与四郎の茶席に招かれたことはなかったな」

「自分の手で茶湯座敷もつくってみようと思うんだ。初めての客は、千殿がいい」

「楽しみにしておく」

「ただ、なかなかよい案が思い浮かばないんだよなあ」

今度は与四郎が、商売や茶の湯の愚痴を零した。とと屋ではいねの存在感が増すばかりで、居心地が悪いらしい。茶の湯では今井宗久というすごい男がいて、天王寺屋の若旦那である津田宗及と共に若手では別格の存在なのだそうだ。与四郎は才能豊かな男だと思うが、なかなか芽が出てこない。

「千殿は、なぜ禅寺で松を好むか知っているかい」

確かに、大徳寺の境内は松だらけだった。どの松も黒々と精悍であり、寺内はあくまで静穏である。

「花や紅葉は美し過ぎる。心を千々に乱されてしまうからさ」

「なるほど、禅修行の邪魔になるということか」

「でも、私は茶湯座敷に花を飾りたい。……一輪でいいんだ。一輪なら、心を寄せ合うことができる。私は、そういう茶の湯を目指したいのだ」

「与四郎なら、できるさ」

それ以上、互いの身上には触れなかった。よもやま話に移っていく。

近々、堺に審判教の坊主が現れるらしい。その坊主は布教のために九州へ上陸し、いまは大内義隆のところを訪れている。しかし、審判教は男色を許さないということで不興を買ってしまい、堺に逃れてくるという話だった。

海船政所があれば、元長が生きていれば、どんな応対をしたであろうか。戦の爪痕深き畿内に立って、その異国の男はどのような思いを抱くのだろうか。天下を奪えど、未だ理世安民は成っていない。

 

続く