きょう、(小説 三好長慶)

近世のきのう、中世のあした。三好長慶の物語

三好長慶 その能力と評価について

 

10年前、「太閤立志伝Ⅴ」の顔グラに一目惚れし、三好長慶という人物に関心を抱いた。

折よく今谷明氏の「戦国三好一族」が復刊されたところで、希少本ながら運よく書店で手に入れることができた。読んだ際に湧きあがったわくわく感はいまでも覚えている。

その後、天野忠幸氏の著書が次々と発刊されたり、ご当地有志がアピールに努めたり、一部歴史ファンの間で評価が高まったりと、この10年で三好長慶知名度はじわじわと高まってきたように思う。

この記事では、三好長慶に対する私見をまとめてみたい。誰かの受け売りでもなければ学術的でもない、素人の独断と偏見を。

以下、柔らかい話、固い話、柔らかい話と続けさせていただく。興味のあるところだけでも読んでもらえれば幸いである。

 

 

三好長慶コーエー顔グラ(柔らかい話)

三好長慶肖像画は立派なものが残っている。

 

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画像はwikiから拝借した。

なかなかダンディなおじさんだと思う。アルカイックスマイルが似合いそうだ。厳つい武人というよりは柔和、中性的、菩薩的に映るが皆様はどうだろうか。

 

以上が元ネタである。

これがコーエーフィルタを通すとどうなるか、続けて紹介したい。

 

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これは私が一目惚れした太閤立志伝Ⅴの顔グラだ。初対面でも「あっ……この人有能そうやけど幸薄そうやわ」と分かる秀逸なイラストである。力になりたいと思ってしまう寂しい魅力に溢れている。

ちなみに太閤立志伝Ⅴの初プレイで選んだキャラクターは納屋助左衛門で、初めての主命は三好長逸へのお使い、商人司争いで褒めに来てくれたのが三好長慶だった。あの時、ベタに秀吉でゲームを始めていたら三好家ファンになることもなかったのかもしれない。

また、更にどうでもいい話だが、太閤立志伝Ⅴの顔グラは素晴らしいものが多い。武田信玄と武田逍遙軒のニュアンスの違い、ふってぶてしい徳川家康、やたらイケメンな出世後の伊達政宗真田幸村など、見どころがたくさんあるのでおすすめである。

 

続いて、信長の野望シリーズ。

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少し画像が小さいが許してほしい。

信長の野望 創造では従来シリーズの顔グラがすべて参照可能という嬉しい機能がついている。

天下創世・革新では野望紳士、天道では人のよさそうな権力者、創造では凛々しく格好いい感じに変遷してきているが、個人的には太閤立志伝Ⅴと近い印象を受ける蒼天録の顔グラが好きだ。

他に蒼天録では織田信長毛利元就の顔グラがいい。

蒼天録は万人受けするゲームではないが、古い年代のシナリオで遊べたりBGMが良かったり殺伐としていたりして私は好きだ。蒼いいよね。

 

最後に信長の野望最新作の顔グラを紹介する。

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201X版の長慶さん。確かに世の中は三好長慶に厳しい。史実である。

この愉快なゲームの長慶はすぐに腹を切ろうとする鬱大名で、松永久秀三好三人衆も振り回されている。よくできていると感心する。

最近始めたので詳しくないが、201Xでは上杉謙信が格好いいように思う。女性では寿桂尼がかわいい。メガネ尼さんとか最高だ。

 

以上、コーエーさんによる三好長慶の顔グラについて紹介してみた。

偶像崇拝ではないが、ビジュアルから入ってみるのもいいよね。

 

 

三好長慶の事績、能力、評価(固い話)

私の拙い理解だと、戦国時代とは以下のような感じである。

V字の底に三好長慶がいる。100年ぶりの平和へ! Vやで! 三好家。

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室町幕府は足利将軍と有力守護大名による連立政権だった。
乱暴に言えば足利将軍が世襲制内閣総理大臣で、守護大名がやはり世襲制国会議員兼知事のようなものだ。

世襲制の統治体系では、家格と家督というものがキーポイントになる。
応仁の乱は、足利将軍や有力守護大名たちによる家督争いであった。
応仁の乱後に天下の第一人者となった細川家も、家督争いで分裂した。
戦国時代をどう定義するにせよ、その発端は中央政権内の家督争いであったとは言ってよいと思う。何十年も家督争いを続けた結果、中央政権は力も威信も地に落ちてしまった。


現代の東京で……内閣と、国会と、官公庁とがまったく機能しなくなった場景を想像してほしい。
国会議員たちは国会が開かれないので地元に帰っていく。
東京からは何の通達も来ないし、交付税も届かないし、照会しても返事が来ないし、揉め事が起きても仲裁してくれない。
こうなれば、地方自治体が自前で何でも考えなければならなくなる。
税の取り方だとか、産業振興だとか、市町村合併による規模のメリットだとか。

室町時代の人々も同じだった。
当時は選挙制度がない。代わりにあったのが暴力、合戦である。
室町時代の合戦と現代の選挙はよく似ていて、大将の言っていることがもっともらしいとか、正統性があるとか、あるいは勝ち馬に乗れそうとかで、兵数≒票数が大きく変動する。
現代ならば議論や投票で決まるような市町村合併も、当時の人々は合戦で決めるしかなかった。
まして室町時代人は現代人と違って、頭に血が上り易くて、涙もろくて、信心深くて、キレっぱやい。
合戦の数は増える一方だった。
そうして、室町時代は戦国時代になった。

中央政権が乱れれば下層や地方に英雄が現れる。
これはある種当たり前で、中央政権が安定して上下の定めや職務権限が明確になっている時代では、下層や地方の人材は実力の半分も発揮できていないのである。上から言われたこと、自分の役割を、しっかりと果たしてさえいれば食べていけるのだから……。(現代の官公庁や大企業をイメージしてほしい)
反対に中央政権が機能停止すれば、下層や地方の人は自分の頭で決断し、自分の手足を自在に使うことを強いられるようになる。
結果、戦国時代では気の毒な人も続出したが、成り上がったり地方に繁栄をもたらしたりするヒーローも続出した。
どの地域にも自慢の武将がいる、後世から見れば魅力的な時代になったのである。


このような戦国時代、我々から見れば大変面白い時代だが、当時の人々からすればたまったものではなかったと思う。
「誰か早く中央政権を安定させて、日ノ本を安定させてほしい」というニーズを、少なくとも知識階層は有していただろう。
では、どうやって中央政権≒畿内≒天下を安定させるか。
足利将軍、細川家、畠山家という畿内の実力者は、揃って家督争いを続けていた。
本人たちは「俺が家督を継げば争いは収まる、天下は安定する」と思っていたのだろうが、結果として戦火は拡がる一方だった。

要するに中央政権≒畿内≒天下が乱れに乱れた直接の原因は

 ・足利家の家督争い
 ・細川家の家督争い
 ・畠山家の家督争い
 ・いい加減にせえやとばかりに頻発する土一揆・宗教一揆

であり、当事者の足利・細川・畠山では既に解決不能の状態になっていたのだ。
混迷深まる時代、先行きの見通しが立たない時代だったろう。
現代ならば確実にデフレになっているはずだ。

こんな状況に進んで介入したい者などいない。
何しろ争っているのは足利・細川・畠山。当時の基準で言えば天下のBig3である。
まして足利家なんてものは全ての武士にとって創業家兼大株主を百倍面倒にしたみたいな存在で、たとえ兵力や実権を失っていようが、足利家に睨まれてしまったら有象無象の厄介事が起こるのだ。
創業家のパワーについてイメージが湧かない人は某定食屋チェーンの第三者委員会レポートを読んでみるといい。私がH28年に読んだ文章の中では断トツで面白かった)

大内義興という有徳な人がいた。純粋な実力ならばその時代No.1と言ってもいい人である。
彼は中央の家督争いに介入し、三好長慶の曾祖父之長をしばいたりした。
それでも、天下の暗雲は晴れなかった。
しかも中央政権の揉め事に関わっているうちに、大内氏の地元を尼子経久という怪物が荒らし始めた。
仕方なしに大内義興は地元に帰っていった。
既存権力者たる守護大名のエース、大内義興でも解決できなかったのだ。


こうした“終わっている”状況を打開したのが、三好長慶である。

彼は

 ・足利家の家督争いを止めた。(但し長慶死後に再発)
   -義輝との争いより、むしろ義冬を担がなかったことが大きい

 ・細川家の家督争いを止めた。
   -細川宗家の力は長慶時代にほぼ消失した

 ・畠山家の家督争いを止めた。
   -河内畠山家の力は長慶時代にほぼ消失した

 ・畿内から一揆を一掃した。(但し長慶死後に再発)
   -長慶統治時代は土一揆も宗教一揆も起こっていない

現代で言えば社会保障制度改革と少子化対策と経済成長をすべて成し遂げて若者に未来は明るいお金使いますと言わせたようなものだと思う。


しかも彼は、室町幕府秩序的には“天下人になれるはずのない”出自だった。
上記を成し遂げる中で、長慶は“家格”というガラスどころか木目までくっきり見えるような天井を突き破った。
家督争いが100年続く時代の家格である。長慶の前例がなければ、後の天下人たちはもっと苦労していたに違いない。
三好長慶と言えば風流人でシュッとしたイメージがあるのだが、当時の京都人から見れば、はっきり言って彼はヤクザの家の子である。
「思ってたほど大した悪さをしてたわけでもなく、むしろ街に余計な悪者が入ってくるのを防いでいた」レベルの家ではない。
長慶の曾祖父之長はほぼ平松伸二氏の世界観に生きているような外道だし、父の元長もシノギが超上手い上に戦争が超強い極道なのだ。
よくこんな家から、天下を治め、朝廷に出入りし、連歌や茶道を牽引する長慶兄弟が出てきたものだと思う。


あと一つだけ。
最終的に長慶は五畿内(京・摂津・和泉・河内・大和)全てを支配した。
それまでの武家秩序を思えば、五畿内をひとつの家が治めるというのは大変なことだと思う。長慶がその前例をつくったのだ。
後に信長や秀吉が日ノ本一統に向けて進んでいくが、そのエンジンは間違いなく五畿内だった。
もともと中央政権が乱れて全国が乱れたのだ。中央政権≒五畿内がひとつに纏まって攻めてきたら、残念ながら敵う地方はない。


以上が私が特筆したい長慶の功績である。
やはり無理やり現代で例えて言えば、首都圏が100年くらい混乱しているところに被選挙権もない上州ヤクザの倅がふらりと現れて、有力者を全員叩きのめしながらなぜか民には慕われ特例で選挙出て支持率MAXで、いつの間にか首都圏全都県知事兼内閣官房長官になって総理大臣を顎で使うような物語になる。
リアリティがない、Vシネマでもそこまではしないと思うだろう。
それを実際にやったのが三好長慶なのだ。


ファンの贔屓目混じりにはなるが、

 ・父祖から受け継いだ阿波山岳武士自慢の武力暴力。
 ・ややっこしい畿内国人衆や朝廷・諸宗教を纏め上げた統率力。
 ・一揆を抑止し港湾経済街道経済を盛り上げた統治力。
 ・室町幕府細川政権の壟断を可能とした実務力。
 ・低家格をものともせずに我意を押し通した説得力。
 ・時代の牽引と己の生存戦略とを止揚せしめた洞察力。

いずれにおいても天下第一等の能力の持ち主であると言えよう。

これだけの才に恵まれれば相当アクの強い性格になりそうなところ。
日常の長慶は歌と祈りに包まれた、穏やかで粛然とした人物だったようだ。
そして、これだけの天性を尽くしてもなお、長慶の人生は悲惨なままだったのだ。

ずるい。
こんなの、周りにいる人は長慶のことを好きになって当たり前だと思う。
放っておけなくなってしまうに決まっている。

万能。されど薄幸。
同時代人から見ても、現代の我々から見ても。
三好長慶の魅力はここに尽きるのではないだろうか。

 

この他、信長に先駆けて石垣を築いたとか居城を次々に移したとか鉄砲を使ったとかキリスト教を保護したとかもあるのだが、そんなものは当時の畿内に生きる一定有能な政治家なら誰だってそうしたであろうことで、個人的には些末なことだと思う。


では。欠点は、失策はないのか。

甘かった? 野心がなかった?
むしろ上手く隠しているだけでえげつない人物だと思う。
細川家と喧嘩する時は畠山家と仲良くし、畠山家と喧嘩する時は足利家と仲良くしている。
多分、何もかも確信してやっているはずだ。

兄弟や一門に頼っていて体制が脆弱だった?
之虎死後の篠原長房の活躍、松永兄弟にそれぞれ一国を任せた件、石成友通などの多数抜擢と、この時代にしては相当組織化が進んでいる方だ。

政権が短期間しか続かなかった?
足利義輝を追い出していた五年間だけをカウントすればその通りだが。
長慶による首都の実効支配は十五年。私はこちらで評価すべきだと思う。

検地できていない? 支配度が浅い?
確かに。だがそれは、昭和三十年代の政治家に消費税早く入れろというのと一緒でしょう。
どれだけ正しいことでも、タイミングを間違えれば暴動が、政情不安定が起こる。
天文や永禄の頃、まずは畿内の安定、一揆の防止が最優先だったはず。


私が思うに、長慶は天下のため、日本の歴史のためにはほぼパーフェクトだったと思う。
呆気なく死んで、死後に三好家内乱が起こって、畿内の民を再び絶望させて、織田信長……三好長慶の再来を招いたことまで含めて。

ただ、長慶個人、あるいは三好家としては……長慶と慶興の早世こそがやはり最大の失策であろう。

妄想の域に入るが、長慶唯一のミスは初めの妻との離縁ではなかったか。
や、当時の常識としては別れるしかなかったのだけれども。

もし、慶興に弟がいたら。
宗三と争ったとはいえ、畿内争乱の原因が家督争いであるとはいえ、長慶自身が有能な弟に恵まれていたではないか。

もし、長慶の私生活にもう少し安らぎがあったなら。
逸話として伝わるストイックな人物像的に、長慶はストレスを溜め込むタイプだったのではないか。

毛利元就は、最愛の妻との死別後は割り切ったように側室を多く置いて子どもを増やした。
さすがだと思う。
長慶は、初めの妻をいつまでも引きずっていたのかもしれない。

勿論、全ては私の妄想である。

 

他の武将と比べると?

よく比較されるのが三英傑、特に織田信長だ。
天下人としての系譜、ということだと思う。

戦国時代は長い。長慶と後代の人物を比べるのは本来無意味ではないか。
昨今の三好長慶の売り出し方は「ワオ! あの信長より先に!」とかが多くて少しげんなりする。
統治者の仕事はその時代時代で最善の手を打ち、民心の安定と、将来への道筋をつけることだ。
長慶と信長が連続していることは間違いないが、先だ、後だ、どっちが、という次元の話ではないと思う。

それどころか、織田信長のことを「三好長慶のパクリ」と言う人までいる始末だ。
三好長慶ファンが本気でそう言っているなら残念なことだ。
自分の好きなものを褒めるのに、他のものを乏しめることでしか表現できないのだろうか。
織田信長を嫌う人が三好長慶を引き合いにしているのかもしれない。
巻き込まないでほしい。

織田信長については無数の研究がある。
だから、褒めることも、重箱の隅を突くこともできる。
三好長慶については研究が浅い。
現状、私も含めて「三好長慶好き」な人からの褒める系発信しかない。
批判的な研究はまだまだこれからなのだ。

そういう訳で、時代区分も研究深度も違う二人を比べるのは如何なものかと思う。
後代の秀吉や家康となれば尚更だ。
(同じ理由で、長慶と細川政権の比較も正直難しい)

それでもそんな野暮なこと言わんとぶっちゃけどうなん? と聞かれれば、私は長慶≒信長≒家康≠秀吉と答える。
前の三人はキャラクターは違うが、実に有能で、真面目で、責任感が強いタイプだ。
優劣はあまりないのではないか。
秀吉はちょっと違う気がする。優劣というより、ちょっと違う。
長慶・信長・家康は真摯に天下と向き合った感じだが、秀吉は天下を弄んで天下に弄ばれた感じだ。
レアリティで言えば、トップレアは秀吉であろう。


同時代の人物ならばどうだろうか。
私は、三好長慶時代の特筆すべき大名ベスト3は三好長慶北条氏康毛利元就だと思っている。
勝率だとかこの政策を取ったからだとかではない。
それぞれがそれぞれの地域秩序を再構築した、すなわち歴史を前に進めたからだ。

関東は、ほぼ畿内と同じ構図の内乱が続いていた。
関東にも足利がいて、管領がいた。長尾景春とか面白い人物も出た。
そこをなんとかしたのが北条五代で、概ね(三好家+織田家)/2=北条五代と言ってよいのではないか。
氏康はきちんと子づくりもしている。家長の務めも果たしたのだ。

西国は、正直畿内争乱の被害者だと思う。
もしかしたらずっと大内でもよかったんじゃないか。
畿内に巻き込まれた大内が力を落とし、尼子が勢力を伸ばし、なんやかんやですべてを毛利が持っていった。
元就すげえ。一代で西国の混乱を収拾。間違いなく化け物である。
元就もきちんと子づくりをしている。毛利家はずっと後に明治維新でも活躍した。

この三人は甲乙つけがたい。生まれた地域も違う。
畿内だしと言うなら三好長慶優位だろうし、家のことを思えば氏康・元就優位であろう。


他の有名人に例えるなら。
しょうもないテーマであることは無論自覚している。

右のサイドバーのところに、董卓かスッラかと書いた。
どちらも似たような乱世で似たようなことをした人物だ。
ただ、董卓はキャラクターが違いすぎる。
スッラは古代と中世、大陸と島国の違いを考えれば案外似ているかもしれないが、そもそもスッラの人柄についてはパブリックイメージが薄い。

長慶の生涯をあらためて考えてみる。
苦難から逃げずに背負う、身分差を突き抜けた大活躍、薄幸と早世、昔と未来の境目。
分かった。
答は身近なところにあった。
五千円札だ。

文学史における樋口一葉
そう、三好長慶は戦国時代の樋口一葉だった。

これはけっこう一般受けする物言いではないだろうか(笑)。

 

世間評価とこれから(柔らかい話)

上にだらだらと妄想混じりの私見を記したが、今度は世間評価の二大バロメータとして信長の野望大河ドラマについてなど書いてみたい。
コーエーさんとNHKさんには何の他意もない。ご容赦ください。

 

まず信長の野望について。
信長の野望と言えば戦国武将キャラゲーの最高峰である。
キャラゲーだもの。大名も武将もどんどん数値化して盛り上がればよい。
ぐだぐだ言う前に、まずは創造PKにおける能力値をご覧いただきたい。

              ソート      
  統率 武勇 知略 政治   合計 順位  

武勇除き

合計

順位
織田信長 99 87 94 100   380 1   293 1
武田晴信 100 88 94 97   379 2   291 3
毛利元就 97 80 100 96   373 3   293 1
北条氏康 95 86 90 99   370 4   284 5
松平元康(徳川家康 99 86 90 94   369 5   283 6
羽柴秀吉 94 78 97 99   368 6   290 4
伊達政宗 96 88 91 89   364 7   276 11
明智光秀 95 85 93 91   364 7   279 7
北条氏綱 94 82 93 92   361 9   279 7
真田昌幸 94 85 98 83   360 10   275 12
長宗我部元親 93 86 89 86   354 11   268 18
小早川隆景 88 74 95 95   352 12   278 9
尼子経久 93 77 98 83   351 13   274 13
直江兼続 90 78 89 93   350 14   272 15
最上義光 86 85 91 87   349 15   264 22
下間頼廉 88 88 87 85   348 16   260 23
斎藤利政(道三) 90 76 99 82   347 17   271 16
鍋島直茂 87 79 91 90   347 17   268 18
今川義元 93 67 87 98   345 19   278 9
宇喜多直家 85 74 96 89   344 20   270 17
長尾景虎 98 100 83 62   343 21   243 29
島津義弘 97 94 83 68   342 22   248 28
片倉小十郎 87 77 92 86   342 22   265 21
朝倉宗滴 92 88 87 74   341 24   253 25
三好長慶 92 65 87 95   339 25   274 13
佐竹義重 87 90 79 83   339 25   249 27
山県昌景 91 96 81 70   338 27   242 30
藤堂高虎 81 78 87 92   338 27   260 23
蒲生氏郷 89 85 84 80   338 27   253 25
黒田官兵衛 89 70 97 81   337 30   267 20

 

ちなみに、当小説で登場した他の人物はこんな感じである。
未記載の人物はゲーム未登場(芥川孫十郎等)。 

三好慶興(義興) 75 63 69 74   281 --   218 --
三好之虎(義賢) 80 71 82 81   314 --   243 --
安宅冬康 61 51 63 75   250 --   199 --
十河一存 81 87 61 36   265 --   178 --
三好長逸 65 60 64 56   245 --   185 --
三好宗渭(政康) 61 65 55 53   234 --   169 --
石成(岩成)友通 48 51 65 42   206 --   155 --
松永久秀 82 67 93 90   332 --   265 --
松永長頼 70 76 64 51   261 --   185 --
池田信正 63 49 51 64   227 --   178 --
池田長正 55 56 38 44   193 --   137 --
池田勝正 42 46 39 39   166 --   120 --
三好康長 41 43 77 74   235 --   192 --
篠原長房 51 44 69 73   237 --   193 --
十河存春 63 64 49 68   244 --   180 --
十河熊王丸(三好義継) 57 54 41 49   201 --   147 --
七条兼仲 34 81 16 2   133 --   52 --
                     
細川持隆 54 48 57 73   232 --   184 --
                     
波多野稙通 82 76 80 77   315 --   239 --
波多野晴通 55 55 51 47   208 --   153 --
                     
細川六郎(晴元) 59 48 48 71   226 --   178 --
細川昭元 10 14 23 33   80 --   66 --
三好宗三(政長) 46 41 57 55   199 --   158 --
香西元成 53 50 43 49   195 --   145 --
                     
足利義晴 66 31 62 68   227 --   196 --
足利義輝 79 83 54 56   272 --   189 --
三淵晴員 52 37 74 66   229 --   192 --
三淵藤英 39 35 62 57   193 --   158 --
細川藤孝 77 77 85 90   329 --   252 --
                     
細川氏綱 56 39 62 52   209 --   170 --
遊佐長教 63 62 70 50   245 --   183 --
木沢長政 22 47 67 78   214 --   167 --
安見宗房(直政) 39 49 69 61   218 --   169 --
                     
筒井順昭 81 58 77 85   301 --   243 --
筒井順政 57 26 59 70   212 --   186 --
島清興(左近) 88 92 77 45   302 --   210 --
                     
畠山高政 34 40 50 22   146 --   106 --
湯川直光 36 55 43 51   185 --   130 --
遊佐信教 50 55 74 46   225 --   170 --
                     
六角定頼 79 61 81 93   314 --   253 --
六角義賢 55 68 59 42   224 --   156 --
六角義治 44 65 27 37   173 --   108 --
蒲生定秀 61 60 64 60   245 --   185 --
蒲生賢秀 51 56 62 59   228 --   172 --
後藤賢豊 48 50 60 71   229 --   179 --
                     
本願寺証如 70 20 83 87   260 --   240 --
本願寺顕如 85 63 88 97   333 --   270 --
願証寺蓮淳 79 78 67 78   302 --   224 --
                     
赤松晴政 24 36 35 37   132 --   96 --
別所就治 72 65 60 52   249 --   184 --
                     
尼子久幸 80 68 42 50   240 --   172 --
本城常光 74 76 45 25   220 --   144 --
                     
毛利隆元 78 67 81 90   316 --   249 --
吉川元春 93 93 82 65   333 --   240 --
口羽通良 47 47 73 77   244 --   197 --
                     
岡部正綱 59 51 54 63   227 --   176 --
岡部元信 80 74 71 36   261 --   187 --
                     
北条宗哲(幻庵) 30 33 83 85   231 --   198 --
                     
田中与四郎(千利休 58 30 91 89   268 --   238 --

 

上記の通り、三好長慶は千人以上いる武将の中で総合25位、三好家の皆さんは1.5流くらいの水準で設定されているが、まあ充分に評価されている方ではないだろうか。
(細かなパラメータの意味などはここでは説明しない)

三好ファンとしてはもう一声という思いはある。
長慶はできれば北条氏康毛利元就と同格にしてほしい。
家臣の中では三好長逸と篠原長房、池田勝正辺りをもっと評価してあげてほしい。まあ、長慶死後・信長の敵、という意味では長逸の能力は妥当かもしれないが。
そうだ、長慶に「三好家臣の能力に+20」みたいなチート特性をつければいいんじゃない、と思ったりもする。

とは言え、信長の野望は文字通り織田信長が主役のゲームである。
当然、武将能力やバランス取りは信長中心の視点になって然るべきだ。
マーケティング的観点からも、各種設定はマニアックな歴史研究よりも一般ユーザーのイメージに沿っている方がいいだろう。
通説チックな信長の物語では、三好家は序盤戦から中盤戦の境目に登場する中ボスである。中盤戦の眼目は信長包囲網で、最大の強敵は武田信玄畿内周辺では本願寺や浅井家とのエピソードが優先される。

あまり三好家を強くすると話がややこしい。残念ながらほとんどのプレーヤーは三好家のことを知らない。ニッチな三好ファンのために、長慶兄弟と松永久秀辺りを強く設定しておくからそれでいいでしょ、となるのも道理である。

信長の野望織田信長は、革新的で、創造的で、新時代を切り開くヒーローなのだ。いや実はちょっと前に三好長慶が似たようなことをしていまして、みたいなイベントを増やしても大半のユーザーは興醒めするばかりのはず。畿内でぐだぐだしていた三好家を一蹴しました、すごいや信長! という方がプレイを楽しみやすい。
三好長慶の思考ルーチンが“自滅”になっていて糞弱いことも、強AIを積んだら序盤の年代としては強くなりすぎるのだから仕方ない。
うん、しょうがないね。

実際、こんな背景の中でもコーエーさんは三好家に優しいと思う。
ユーザー要望で松永長頼を追加してくれたし。
天道では群雄覇権モードに混ぜてくれたし。
創造では独自政策も入れてくれたし。
自分で操作すれば長慶期の三好家は天下無敵であるし。
能力値も以前は松永久秀三好長慶だったが、最近は研究を反映してか三好長慶松永久秀に修正されているし。
創造の武将FILEや201Xを見れば、コーエーさんが三好家の情報を積極的に追いかけていることもよく分かる。
一番興味深かったのが、創造の三好長慶の武将紹介文が途中で変わったことだ。初めの頃はいつも通り「晩年は息子や兄弟が死んで残念でした」みたいな感じだったのが、どこかのバッチ更新以降は「日本の副王と呼ばれました(エッヘン)」に変わっている。
コーエー社内に隠れ三好タンがいるのだろうか?
これからもさりげなく三好家を強化していってください。


さて、このように三好家武将の能力については理想と現実に折り合いをつけているのであるが、実はそれよりも承服しがたいことがある。
それは摂津と河内の扱いの適当さ、それに河内畠山家の雑魚っぷりだ。
まずは以下のMAPをご覧いただきたい。

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見づらいと思うが、これは創造PK1555年シナリオ開始時点の画像だ。

この時、長慶は足利義輝を近江に追っているはずである。だが、足利家が京に居座っている。
OK、仕方ない。足利家もまた人気勢力だ。朽木で支城勢力やっとけというのもしんどいだろう。

別所が三好に従属せず、画面では分からないが赤松家に従属している。うーん。セーフ。

これも画面では分からないが、石山本願寺は三好家を敵視している。もちろん同盟も無期限停戦もしていない。
うーん、そもそも本願寺って大名勢力なのかなあ? まあ、いい。これは信長が主役のゲームだ。仕方ない。

だが。本願寺が摂津の本城になっていて、摂津には他に有岡城しかない。
越水城はおろか、芥川山城すらない。これは……如何なものか。
有岡城はいいんだ。軍師官兵衛の記憶も新しい。
ただ、細川家や三好家の力の源泉は摂津で、その摂津がほとんど本願寺のものというのは……。
摂津は諦めてくれ、三好家の本拠は岸和田城でいいよね。……いいのか?
土佐を二分して一条家と長宗我部家を置いているのだから、摂津も二分してもいいのではと思うのだが。

そして、その代わりと言わんばかりに。
この時期河内畠山家は健在のはずが、既に畠山高政紀州の果てに追いやられている。ちなみに雑賀衆が優遇されているから紀州支配などは当然できていない。
なぜか河内と大和の一部が既に三好家の領地になっている。
時代を五年は先取りしている。

つまり、京と摂津には他の人気者がいるから、三好家には代わりに河内をあげるね。畠山? 文句言うファンなんておらんでしょー! という感じなのだ。
これはひどい
別に畠山ファンではないし河内生まれでもないが、この扱いはひどい。
昔からコーエーさんは河内に冷たい。
創造ではやっと独立国になったが、いつも和泉と一括りにされてしまっている。
畠山高政。遊佐長教。そして木沢長政。河内を彩る個性派武将たちの能力設定も大変にしょぼい。
畠山高政の顔グラだけはやたらイケメンになったが、能力が見直される兆しは一向に見えない。
この時代、少なくとも足利家を凌駕するほどの地力はあるはずなのだが……。
これではとても三好長慶に刃向えない。
ほら、武田信玄を苦しめた村上家なんかはけっこう強く設定されているじゃないですか。
河内畠山家もあんな感じになりませんかねえ。

大東市などは最近三好長慶で盛り上げようとされているが、そもそも戦国時代における河内の扱いの悪さからまずはイメージを変えていく必要があるのではないか。
後に三好康長が河内半国だけで織田信長相手に粘るのだから、河内は相当に豊かで強大な国のはずなんだけどな。

 

 ⇒信長の野望201Xの「三好長慶」 - 肝胆ブログ

 ⇒信長の野望・大志「三好長慶と三好家(1554年厳島シナリオ)」 - 肝胆ブログ

 

 

 

大河ドラマについて。
先ほどの創造PK能力上位30人の中で大河ドラマ化されていないのは、

 ・北条氏綱・氏康
 ・明智光秀
 ・長宗我部元親
 ・最上義光
 ・下間頼廉
 ・鍋島直茂
 ・今川義元
 ・島津義弘
 ・朝倉宗滴
 ・三好長慶
 ・佐竹義重
 ・山県昌景
 ・藤堂高虎
 ・蒲生氏郷

辺りだろうか。
小早川隆景尼子経久毛利元就で、宇喜多直家軍師官兵衛で、片倉小十郎は独眼竜で充分目立っていたので一旦ノーカウントとした。

個人的には北条五代がベスト、他には最上義光鍋島直茂辺りを見てみたい。

三好長慶大河ドラマ化を望む方も多いようだが……。
うーん、難しいような気がする。
時代劇領域でひとつ願いが叶うなら、正直、三好長慶大河化よりも御家人斬九郎DVD化の方を優先してほしい。
大河ドラマは歴史の授業ではなく、その時代最高の俳優と、最高のスタッフとで、最高の娯楽ドラマをつくりましょう、というものだ。
三好長慶は……悲惨な事実は豊富にあって、愉しい逸話はほとんどない、娯楽からほど遠いストイックな人物である。
その生涯はドラマチックだが、娯楽ドラマには向いていない。

それに、信長の野望のところでも色々書いたが、いまは織田信長の物語が強い時代なのだ。
現代の信長は、未来人だろうが料理人だろうが自衛隊(長嶋巨人軍)だろうが女体化だろうが、何でも興味を示して理解して活用して、それでいて力強いリーダーシップを発揮してと。
多様化と専門化が深まる一方の時代に相応しいリーダー像として、ほとんど“神”(八百万的な意味で)の次元に行ってしまっている。
そんな中、三好長慶の存在が幅広い視聴者に受け入れられる気がしない。下手をしたら織田信長の後光を汚すと、感情的なヘイトすら集めてしまうかもしれない。

逆に言えば、いまは人間織田信長もドラマ化しにくいのだろう。
多分、視聴者は尾張統一戦争などに興味を示さない。悩む信長とかも見たくないのではないか。
こうなってくると史実の織田信長っていったいと思わなくもない。

三好長慶で大ヒット大河をつくるには、極めて優れたスタッフに加え、時代的な後押しが必要だろう。
最近の長慶再評価が、昭和30-40年代に起こっていればまた違ったか。
おしん」がヒットする頃まで、“自分を犠牲にしても世の中をよくしよう”と思っている人が多かった時代(幻想かもしれないが)なら、三好長慶は人気が出たかもしれない。
この先、施政者の内面や懊悩に興味を示さない、優れたリーダーシップに触れたこともない人がますます増える世の中で、三好長慶、あるいは一人の英雄譚がヒットすることはあるのだろうか。
実際、群像劇や、夫婦ものや、一担当者もの(豪傑とか奉行とかね)の方がよっぽどリアリティを感じてもらえるのではないか。
もし三好長慶大河がヒットするとしたら、それは“こういう政治家がいないから駄目なんだよ、(自分ではない)誰かが早くこうなれよ”みたいな、ある種の生贄を人々が求める時代になっているのではないだろうか。
そうだとしたら、ヒットしたとしてもそれは悲しいことだと思う。

 

 

最後に三好長慶のゲーム化について。
大東市商工会議所青年部三好長慶のゲーム化を研究するらしい。楽しみなことである。

信長の野望太閤立志伝に並ぶものを期待したい。
無茶を言っていることは無論理解している。

大阪にはカプコンさんがあるのだから、お願いしてつくってもらえたらいいのになあ。
ベルトアクションがいい。
BASARA? 無双? そういうのは戦国時代末期の若い衆に任せておけばよろしい。
三好家は2Dドット。アーケードで勝負だ。

 ・長慶 バランスタイプで苦手な場面が少ないぞ。
 ・之虎 スピードが速いので初心者におすすめだ。
 ・冬康 通常武器が弓。上級者向けのテクニカルキャラだ。
 ・一存 パワータイプで爽快感のあるプレイが可能。
 ・長頼 長慶に近いバランス型。武器と馬の扱いが得意だぞ。

 ※ラストステージでは足利義輝を弑逆するか見逃すか選択可能

妄想するだけならタダである。

 

……気がつけば異常に長くなってしまった。
最後まで全部読んでくれた人がいるのなら感謝したい。

 

以上、あとがき1/2でした。