きょう、(小説 三好長慶)

近世のきのう、中世のあした。三好長慶の物語

八 漂流の段  ――木沢長政 長慶と宗三を惑わし、田中与四郎 武野紹鴎に師事す――

八 漂流の段

 

天文七年(1538年)の初秋。将軍足利義晴は突如公方役職の人事を行い、天下を驚愕させた。わけても人々の耳目を集めたのは、管領に次ぐ役職である“相伴衆”に越前の朝倉孝景、格は落ちるがやはり栄誉職である“評定衆”に波多野稙通が指名されたことである。

元は越前の守護代に過ぎない朝倉家、同じく丹波の一国人に過ぎない波多野家の家格を考えれば、破格の人事と言ってよい。これらは基本的に細川、畠山、斯波、赤松、一色、京極、山名という三管四職の家柄、あるいは大内、大友、上杉、土岐、六角といった有力守護大名にのみ与えられてきた役職である。奥羽から九州に至るまで、様々な憶測を交えながらこの一件は瞬く間に広まっていった。

 

御所の北西部に位置する室町御所(京都府京都市)。政治の実権を細川六郎に掌握されていると言っても公方は依然存在しており、直轄の奉公衆や兵士もいるし、女房衆なども多く勤めている。夜間など、人目を忍んで密談に訪れる者もしばしば現れた。いまも公方直臣の一人、三淵晴員が義晴の酒の相手を務めている。義晴は上機嫌であった。

「くっく。今回の役職人事には六郎も驚いたようだの」

「今頃はあの三好宗三めが冷静にこちらの思惑を分析している頃あい。日本全土に与えた影響を知れば、六郎は二重に肝を冷やすに相違ありませぬ」

「うむ、うむ。晴員。此度の献策、まことに大義であった」

ここ何代かの足利将軍は、細川家の傀儡であった。義晴の父、足利義澄もかつてよいように利用され、最後は使い捨てにされた。義晴も幼い時分に播磨の赤松家へ預けられ、細川高国や浦上村宗に担ぎ出されるまで不遇な立場で逼塞していたのである。こうした屈辱の経験が、義晴に将軍親政への熱望を抱かせた。自分を守り立ててくれた高国や村宗はともかく、細川六郎や成り上がりの三好宗三などに好き勝手されるのは辛抱できない。六郎と和睦して京に戻ってからも、義晴は独自の外交工作を続けている。

今回の人事では公方の存在感をあらためて天下に知らしめることができた。朝倉氏の事例では応仁の乱以来、治安維持のために度々畿内へ出兵し、公方への忠勤に励んできたことが認められた形である。朝倉氏は長年一向一揆や家中統制などに悩まされてきたが、家格の上昇に伴って今後の地域統治はかなり楽になるだろう。このことは、その他の有力大名にも眩しく映るに違いない。とりわけ尼子氏のような新興大名には涎が出るような餌であった。

同じく、細川家の内乱にあって京の治安維持に功績のあった波多野氏。単なる国人に公方役職就任の栄誉が与えられたのである。三好元長の横死以降、六郎とは上手く距離を取っている波多野稙通に目を付けたのはよかった。今後、六郎へ不満を抱く畿内国人が現れれば、彼らは公方を頼りとするようになっていくだろう。

外からは朝倉家や尼子家を使って細川政権を囲み、内からは有力畿内国人を切り崩す。懐刀として巷では宗三ばかりが賞賛されているが、なかなかどうして晴員も知恵者であった。

「上様。もう一点、申し入れたき儀が」

「申してみよ」

「三好元長の遺児、長慶。元服後は六郎の内衆として仕えていましたが、近頃何やら不穏な動きをしている様子。彼にとって六郎は父の仇。元長の時と同様、君臣の争いに発展するかもしれませぬ」

「ほう。それは面白い話だが、宗三が黙って見逃すことはあるまい」

「この長慶はなかなかの切れ者で、案外宗三にも引けを取りませぬ。宗三に六郎の後ろ盾がある分さえ、我々が補ってやれば」

「長慶に恩を売ってみるという訳か。上手くいったとして、長慶が第二の六郎にならねばよいがな」

「まだ脇の甘い小僧です。その時は病死でも事故死でも、いかようにも」

「晴員は怖い男だのう」

暗い笑顔で義晴が言う。晴員も、薄闇の中で冷たく笑っていた。

「菊童丸の元服までには、足利家本来の力を取り戻したいものだ。京は公家のものでも坊主のものでも、もちろん六郎のものでもない。尊氏公以来、足利が京の支配者だと決まっておるのだ」

三歳の嫡男を想う、親の本心である。今年、来年が勝負だと義晴は思った。

 

  *

 

文のやり取りが増えていた。相手は様々である。

母、つるぎが血を吐いたという。もしや重篤なのではと、阿波への帰国も考えた。幸い、いねと千満丸による懸命の看護、康長や持隆による医師・薬師の手配などもあって、現在は健康を回復したとのことだ。騒がせたが大事ない、いまは帰って来るな、仕事に励めと、つるぎの手による文も届いた。長慶は毎晩のようにその手紙を読み、自分の不甲斐ない現状を悔やんだ。母の期待を思えば、行動を早めねばならぬとの焦燥に駆られてしまう。

長慶の腹は六郎打倒に傾いている。二年間の内衆勤めを経て、既存の家格や権威というものが抱くいやらしさにつくづく辟易としていた。商・工・農の生産高は年々増加し、民草の生活や課題は変容しつつあるのに、政治の仕組みがその実態に追いついていないのである。実際、堺の会合衆本願寺中枢などは武家よりも明らかに統治が巧みであった。六郎を倒した後は、家格や身分、出自にとらわれず、才知と意欲ある者を政権中枢へ積極的に登用し、国を富ませていく。さすれば元長が夢見た諸外国との交渉や交易が捗ることにもなるだろう。元長にまつわる恩讐は越えてみせる。それでも、歴史を前へ進めるためには、やはり六郎政権に滅んでもらうしかなかった。

足利義晴の策謀を受けた周辺諸国の軍事行動へ備えるため、細川家の直轄兵力は分散している。畿内国人衆も六郎へ忠誠を誓うと言いながら、公方や尼子氏、朝倉氏などと密かに交わりを持つようになっていた。頼りの六角氏も六郎と公方を両天秤に掛けているきらいがある。すなわち、京は手薄なのだ。この間隙を縫って、長慶は畿内国人衆や本願寺との通信を増やしている。宗三に謀反の証とされぬよう文はあくまで一般的な内容に留めているが、畿内では着実に“様子見”の空気が醸成されつつあった。

そんな中、与四郎やあまねとの文通は慰めであった。己を鼓舞するように、与四郎には威勢のよい文章を書いた。私は武士の頂を目指す、そなたは何の頂ぞと問えば、商人と茶人、双方と返事があった。商人ならば物と銭の流れを変えてみせよ、茶人ならば美の価値を変えてみせよと再度送ったところ、与四郎は随分発奮した様子であった。与四郎は落ち着いて見えるが、あれで案外負けん気が強い。

あまねからは、次はいつ会えるのかといった意のしめやかな文が届いた。文にはあまねの香が焚き染めてあり、時おり気分を和らげるのに役立てている。あまねと稙通には、一仕事片付いたらはっきりと申したき儀があると伝えた。それだけであまねの情は鎮まらないだろうが、稙通は察してくれるだろう。

もう一通。長慶にとっては因縁の相手から便りが届いていた。差出人は木沢長政。文面には将棋でも指さぬかと書いてあった。

 

飯盛山城。東高野街道を扼すこの城は、畿内一円、更には淡路・四国までをも眺めることができる。長政によって増改築が続けられ、かつて元長が攻め寄せた頃よりも防備は段違いに厚い。あの元長でも落とせなかったという事績が、この城に一種の威容を与えていた。

「よい城ですな。手狭な都住まいの身には、羨ましく映ります」

盤面は長慶の有利であった。但し、将棋が達者な長政はもともと飛車と角抜きで指している。

「褒められても、この城だけはやれん。わしの半生を注いだのだからな。攻められるくらいなら打って出る」

桂馬と銀を上手く使い、長政が逆転の糸口を掴む。

「そう言いながら、この城を賭けに使ったことがあったでしょう」

長慶が角で長政の攻撃をいなしつつ、龍で敵陣を蹂躙し始めた。

「元長殿との戦は賭けなどという安いものではない。互いの誇りをぶつけ合う、男の決闘だった。……ああ、もういかぬ。なんと、なかなかの腕前ではないか」

長政が投了した。もっとも、長政が本気を出していたとは思えない。見え見えの接待遊戯である。少し眉をしかめて、長慶が問うた。

「それで、今日は何のご用なのです。我々が密会などしておれば、人も訝しみましょう。あなたは私にとって仇の一人であることをお忘れか」

「ふふん、それでも単身やってきたお主はやはりたいした器量よ。いや、なに。元長殿の遺児の成長ぶりを、間近で見たくなっただけのこと。お主の知恵者ぶりは河内にも聞こえておるしな」

将棋を片付けながら軽やかに長政がとぼける。相変わらず、腹を見せない男だった。

「元長殿のことを詫びるつもりはない。先ほども申した通り、あれは互いの信念と信念をぶつけ合った結果だ。真剣に政治に取り組んだ証なのだ。目指す道は違うが、元長殿は立派な男だった。だからこそ、戦を避けることはできなかった」

「……」

「立派な、男だったのだ」

「……例えようがないほど不快ですな。あなたのような兇徒に褒められては、父の名が穢れてしまう」

敵意をはっきりと示した。隣室で僅かに気配が動く。襲撃の構えか、警護の構えか。だが、長政は何も変わらず飄々としている。

「信じてもらえぬのも無理はないが、ただ聞いてくれるだけでよいのだ。わしは、元長殿が嫌いではなかった。それに――わしはもともと、お主の曾祖父である三好之長殿を信奉しておったくらいなのだ」

「これ以上の寧言は不要でしょう。聞くに値しませぬ」

「いや、これだけは聞いてもらわねばならぬ。よいか。わしと尾州家の遊佐長教はな。幼少の頃、之長殿に命を救われたことがあるのだ。之長殿は覚えてもいなかっただろうがな」

「……」

「之長殿はわしらの英雄だった。やんごとない連中には忌み嫌われていたが、あの方は下賤の民にとっては救世主だった。皆が彼の姿に憧れていた。畠山家家老という、自分たちの中途半端な家柄が汚らわしく思えたよ。上にへつらわず、か弱き下種を救い導く。男の生きる道を……示してくれた人であった」

とても真面目には受け止められない。だが、不思議なことに、長政の言にはある種の真情が籠っていた。まったくの演技や虚言でもなさそうだった。

「そんなわしがだ。結果として、之長殿の孫、元長殿と対立してしまった。あの日。元長殿がこの城に攻め寄せた時。鳴り響く太鼓の音に震えながら、わしは心底悔いていたのだ。どうしてこんなことになってしまったのかと。そして、突然の一向一揆のせいで、元長殿と分かり合える日は遂に訪れなかった。わしは悔いたよ。長教とも幾度となく話し合った。この上は、いずれ然るべき時が来たら必ず長慶殿に助力し、過去を償う以外にないと」

「もうたくさんだ! あなたは私を頑是ない童だとでもお思いか。そのような作り話にほだされはせぬ。あの日、そう、あの日だ! 父との戦も一揆の蜂起も、みんな、あなたが仕組んだことではないか!」

「信じてくれなくともよい。聞いてくれるだけでよいのだ。所詮、事実をどれだけ集めてみたところで、真実に辿りつくとは限らぬ。いや、このような話ももうよそう。最後に、これを見てくれぬか」

隣室へ続く襖が開いた。長政の家来たちが、何組かの大太鼓、小太鼓、鉦、横笛を運び入れる。

「あの日。一向一揆に分捕られた元長殿の鳴り物だ。取り返せたのは、半分ほどだった。いつかはお主に渡すこともできるだろうと、密かに保管しておいたのだ。これもまた、ひとつの真実」

長慶の脳裏に鳴り物の音色が響いた。近づいて見つめてみれば、確かに元長の鳴り物衆が使っていたものである。三階菱に釘抜の紋。阿波欅の質感。激戦を思わせる黒ずんだ血痕。

「わしはお主の味方だ。信じてくれなくともよい。ただ覚えておいてほしい」

 

  *

 

鳴門海峡。渦潮で名高いこの海は、素人の想像を大きく超えるほど潮流が激しい。熟練の船乗りや漁師でも舵取りに気を使う難所である。その代わり、この海で鍛えられた魚介は身が引き締まって美味であることもよく知られていた。

何度も波をかぶった舟は内側まで濡れている。夜になって潮が満ち、海は幾分穏やかである。転覆の恐れは減ったが、今度は厳しい冷えが襲ってきた。自然、三人は身体を寄せ合って身体を温めている。

「ああ、こんなところで余は死んでしまうのか。何ごとも成さずに。……嫌じゃ。嫌じゃ」

「いい加減にしろよ、泣き言ばかり言いやがって。あんた、偉い人なんだろ。恥ずかしくないのかい」

先ほどから、足利義冬公と野口万五郎の言い争いが続いていた。平島公方様が僅か十歳の万五郎に怒鳴れているのは、何だか滑稽である。

 

今日。淡路島に遊びにきていた義冬が、釣りをしたいので誰か舟を出せと喚いた。これまでにも幾度かあったことである。偉そうな割に褒美をはずむ訳でもないので周囲の大人は無視を決め込んでいた。義冬の供回りですら、遠目に様子を見るだけで積極的に手助けをしない。

そこに千々世と万五郎が通りかかった。淡路南部の野口家と淡路北部の安宅家は昔から親交が厚く、千々世と万五郎は年が近いこともあって仲がよい。幼い二人をつかまえ、義冬は子どもでも舟は使えよう、供をせよと無理やり舟に乗り合わさせた。万五郎は海が荒れそうだから駄目だと抵抗したが、義冬は聞く耳を持たない。足利将軍連枝の貴人に楯突くのは子どもながらに憚られた。大人たちが気づかない間に、三人は沖に漕ぎ出していた。

義冬は、確かに釣りが上手かった。たちまち形のよい鯛を何枚も釣り上げ、上機嫌の様子だ。しかし、徐々に波浪は激しくなり、子どもの腕力では櫂を操るのが難しくなってきた。業を煮やした義冬が櫂を奪おうとしたところ、手元が滑って櫂を海に落としてしまった――。

 

「ああ、死ぬ前に征夷大将軍になりたかった。流れ公方と嘲られた義父の恨みも晴らせず」

「うるせえな。将軍がなんだい。将軍になったからって、空を飛べる訳でも腹が減らなくなる訳でもないんだろ。ちやほやされたいだけで、なんであんたら偉い人は戦を起こすんだ。そのせいで千々世の兄貴は、父親の元長様を失ったんだぞ。あんた、謝ったらどうだい」

「う、五月蝿いぞ下郎。家格と境遇が釣り合わぬ苦しみ、お主のような小童には分かるまい」

「へん、分からないね。そんなに苦しいなら足利なんてたいそうな家柄を捨てちまいな」

本来なら、万五郎がこのような暴言を吐くのは許されない。死の間際を漂っているからこその、生々しい言葉のぶつかり合いだった。千々世は口喧嘩には関わらず空を眺めている。安宅家の養子となって、船上の暮らしを学んだ。一番に気に入ったのは甲板に寝転んで夜空を眺めることである。船から見上げる夜空はどこまでも白く美しく、波に揺られる身体が星の歌で包まれるようだった。

 

天の海に雲の波立ち月の船 星の林に榜ぎ隠る見ゆ――

 

古い歌を一首詠んだ。母が昔教えてくれた歌。鳴門の夜空に相応しいように思えた。罵り合いが止んだ。三人で、空を見上げた。

「その方、千々世と言ったか。元長の子なのか」

「ええ。三男です。いまは、安宅家の養子となりましたが」

「そうか……。難儀続きよな、そのうち尼子の播磨侵攻が始まる。持隆は赤松に援軍を出さざるを得まい。お主たちも、また戦じゃ」

「ええ、覚悟はしています。よい働きをしてみせましょう。これでも、私は弓が得意なのですよ」

「……」

「ここで死ぬ訳には参りません。義冬様も死なせませぬ。ささ。も少し身体を寄せ合って、暖を取りましょう」

 

夜明け前まで小舟は漂っていた。喉の渇きと冷えで三人は衰弱していたが、幸いにして徹夜の探索をしていた野口水軍の手で救助がなされた。朝の光を浴びながら三人は淡路の浜辺に戻り、焚火で身体を温めた。無事を喜んで大人たちが駆け寄ってくる。漂流に気づかなかった義冬の側近は厳罰を覚悟していたが、義冬は意外としおらしくしていた。

「皆の衆、手間をかけさせたな。感謝する」

そう言って、義冬は釣り上げた鯛を差し出した。皆で分け合おうという腹である。さっそく、野口家の大人たちが料理を作り始めた。すぐに作れて温まるものを。そう言って、鍋を沸かす者、鯛をさばく者に分かれる。鍋の湯に昆布でさっと出汁を引いた。鯛は極めて薄い造りに。

三人に箸と小鉢が配られた。小鉢には梅干しが入っている。

「野口家自慢の料理、鯛の泳ぎ煮です。造りを鍋の湯の中でさっと泳がして、身が白くなりきる前に引き上げてお召し上がりください。お好みで梅干しの果肉をご一緒に」

まず義冬が造りを泳がし、口に運んだ。

「おおう、これは馥郁」

青白かった頬に赤みが戻った。口中ではろはろと転がした後、一息に呑み込む。温かな感嘆の吐息が漏れ出す。千々世と万五郎も、箸を伸ばした。とれとれの引き締まった鯛の身に僅かな熱が入り、弾力と柔らかさが矛盾せず同衾している。出汁を呼び水に鯛のうまみと匂いが引き出され、乾いた身体に恵みの雨をもたらしていく。締めには雑炊。三人も、大人たちも、浜辺で豪勢な朝の膳を楽しんだ。

 

食後、義冬が大人たちを集めて言った。

「此度の一件は余の不始末。誰の責任も問わないでほしい。……それに、あの子どもたちには大事なことを教わった気がする。よいお子であるな」

皆に安堵が広まった。数名の首が飛んでもおかしくない事件だったのだ。

「千々世、万五郎。聞いての通りだ。その方たちは死線を共にした仲、今日から義兄弟を名乗るがよい。先ほどの泳ぎ煮が盃代わりだ」

「それなら義冬様とも義兄弟になるのかい。そいつはモガガ、モガ」

万五郎が茶々を入れようとしたが、慌てた大人たちに口を封じられた。

「ははは、余と義兄弟になるなど、万五郎には迷惑なだけだろう。……だが、礼はさせてほしい。そうじゃ、せめて余の名を一字与えてやろう。元服の暁には、二人とも“冬”の字を名乗るがよいぞ」

周囲が騒然とした。いち水軍衆の小倅が足利家の公方様から一字を拝領するなど、聞いたこともない栄誉である。万五郎は変な顔をしていたが、野口家の大人たちは涙を流して歓声に沸いている。

「ありがたき幸せにござる。その名に恥じぬ、よき武人になってみせましょう」

そんな中、千々世だけはきちんと姿勢を正して平伏し、謝辞を述べていた。

 

  *

 

四季に一度開催される、細川家大評定。六郎傘下の主だった国人が細川屋敷の大広間に集結し、施政方針や懸案事項の確認を行う。会には公方奉行や六角家、畠山尾州家、赤松家などの家老格も同座しており、ここでの議論や決定事項は畿内一円、更には日本全土に影響を与えた。まさに、細川政権の最高経営会議と言ってよい。

進行は三好宗三。面倒くさがりの六郎は闊達な議論を望まないので、議題や資料については宗三による厳しい事前確認が入る上、関係者への根回しが当然のものとされている。大抵の議題は原案通りに決定されるのが常であった。

今回の主な議題は、尼子氏への対策である。中国地方では尼子の勢力が大内氏を上回りつつあり、余勢を駆って播磨の赤松領への浸食を始めていた。外征によって配下国人の結束を固め、更には畿内への影響力を確保しようとしている。皆あえて口にしないが、公方が後押しをしているのは明らかだった。

悲惨なのは巻き込まれた赤松晴政である。もともと浦上村宗の傀儡であった晴政の器量で、尼子の攻勢に立ち向かえるはずもない。かつての細川高国討伐時の手柄をもとに、六郎の援軍を必死で頼んでいた。六郎や宗三にとっても援軍出兵に異論はないものの、配下国人の士気が極めて低い。尼子氏には謀聖と言われる経久を筆頭に、新当主の晴久、精鋭軍団“新宮党”の久幸・国久など、名高い一門衆が揃っている。大内氏ですら手を焼く勢力にまともにぶつかり合いたい者などいなかった。

結局、援軍は尼子の動きが本格化してから、更には今回欠席の細川持隆の意向を伺ってから……という先延ばしの決議がなされた。気の毒な赤松の使者はうなだれている。

 

後の議題は定例案件である。宗教相論の仲裁状況、朝廷行事の役割分担、諸国の情勢や政権への依頼事項などが共有化され、最後の議題は土地の相論だった。担当奉行として、長慶が資料の写しを出席者に配布した。宇治における公家荘園の押領問題、摂津における本願寺領と在地国人の境目問題などの概要と論点が分かり易く記してある。長慶の澱みない解説と対応案。宗三も満足気に頷いている。誰も異論の差し挟みようがなかった。

「各々方がよろしければ、以上で――」

宗三が進行しようとした瞬間、説明役である当の長慶が口を開いた。

「しばしお待ちくだされ。資料にはございませぬが、本日はもう一点、皆様の意向を伺いたい儀が」

長慶の発言に、一同がざわめく。

「驚かせて申し訳ありませぬ。なに、話は簡潔。六郎様におかれましては、我が父三好元長の遺領を私に返還いただきたく」

「なっ」

六郎も宗三も、口を開いたまま声が出ない。大評定の場での不規則発言もさることながら、申し出た内容も尋常のものではなかった。

「すなわち河内十七箇所荘園の代官職。いまは代理で宗三殿が所轄されておりますが。お蔭様で私も成人となりました故、返還には何ら差し支えないかと。宗三殿、いままでの代理統治、まことにかたじけなく存じまする」

「長慶! 分際を弁えぬか!」

宗三が怒鳴った。これも珍しいことである。

「黙って聞いておれば謀反人の遺領を返せだと。厚かましいにもほどがある。貴公も本来なら厳罰に処すはずを、少しは見どころがあると思って目をかけてやれば増長しおって。殿の恩情に唾を吐く気か!」

激昂。宗三の気迫が場を凍らせる。ほとんどの出席者は、目線を下に落として話に関わろうともしない。

が、この男は違った。

「ははははは! いや、これは近年にない珍事。しかし、なかなか筋の通った長慶殿のお申し出であるよ」

木沢長政が空気を気にせず、心底おかしそうに笑う。

「うむ。確かに筋は通っている。真っ当に裁決しようとするならば、理は長慶殿にあるのではないかな」

三淵晴員までもが長慶に同調した。実際、公の土地権利者は元長のままなのだから、長慶こそ正統相続人なのだ。二年の奉行勤めで数多の判例を学んできた長慶が、確信を以てぶち上げた申し出だった。この理屈ならば、実務上は宗三にも充分対抗できる。

「皆の者、落ち着きたまえ! 確かに長慶の言い分に理がないとは言わぬ。だが、そのようなことを六郎様が認める訳がなかろう。そうだ、下らぬ反乱を二度と起こさぬためにも、このような殿の顔に泥を塗るが如き狼藉、断じて許してはならぬのだ!」

宗三の言い分は、細川家の家宰としては極めて正しかった。ただ、不幸なことに宗三が一人ですべてを語り過ぎている。利害当事者が正論を吐いても効果が薄いものだ。

「聞き方によっては、ご自身の権益を守ろうとしているようにも映りますな」

波多野稙通が呟いた。静かで落ち着いた物言いが、かえって人々の心を掴む。

「うむ。それに、宗三殿の六郎様を代理するかのような物言い。わしも常々心がけていることだが、家老が主君を押しのけてはならぬ。代弁も度が過ぎては、宗三殿の器量の中に主君を閉じ込めることにもなるのではないかな。六郎様は、何もかも宗三殿の言うがままでよろしいのですか」

畠山尾州家の家老、遊佐長教が辛辣に言い放った。この男一流の毒言である。この発言はこれまで無自覚だった六郎の自尊心をいたく刺激した。主君という生き物は、日頃は自分の意をよく酌む部下を便利に思いながら、ある日突然にその部下を鬱陶しく、また脅威に思うものである。そうした上位者の心を長教は巧みに突いた。乗せられた六郎が思わず立ち上がる。

「んん、宗三の言う通り、河内十七箇所を今更返還するなど思いもよらぬ。そのような申し出は、却下。断じて却下じゃ! ……んんむ、だが。だがな。大評定でのこのような痴態。長慶の放言を招いた責任。その咎が、宗三にもあることは一目瞭然。宗三! お主への処置も追って言い渡す。蟄居しておれ!」

甲高い声で一気に言い放った。性怯懦な者ほど、こうした場で知恵者に操作されやすい。長政が堪えきれずに肩を揺らして笑っている。宗三は、茫然自失の態であった。六郎政権を一人で切り盛りしてきたことこそが、まさしく宗三の不幸だった。

 

結果は、長慶の予期した通りであった。理知の観点では長慶が支持を集め、六郎の激情を以て却下される。一旦引き下がった長慶が兵を挙げれば、国人たちは中立の立場を取って様子を見る。そうして、兵力が薄くなった六郎政権の中枢を一気に打倒するつもりだった。

(だが……何かがおかしい。私に味方する声が、不自然なほどに強かった)

考え通りに進んでいるのか、より大きな力の中で漂っているのか。不快な汗が下着に滲む。達成感など、まるで感じられなかった。

 

  *

 

長慶の手紙。長逸の報告。民から伝わる都の噂。

つるぎは床に伏しながらにして畿内の情勢を正確に理解していた。咳は止まらず、ときには血泡を流すこともある。それなのに頭脳はかえって冴えわたっている気がした。長慶だけでなく、細川六郎や三好宗三、木沢長政や公方奉行など、一人ひとりの思考や息づかいが容易に想像できてしまう。あたかも魂が身体から半分抜けてしまって、人間世界全体に同化したかのようだった。

 

それから一刻。

(先ほどの感覚は、病人の夢想であろうか……)

労咳がつるぎから睡眠の自覚を奪っていた。傍目には眠っていても、つるぎの意識の上では眠りでなく、ただただ混濁。安らぎではなく、懊悩であった。病のうつりを気にして、人と語らう時間も減っている。正しく理解できたように思えたことも、時が経つとそのことに自信が持てなかった。こほ、こほこほと咳を繰り返し、再びつるぎの思考は掻き消された。

 

……更に三刻後。

明瞭さが戻ってきた。

(そうじゃ。長慶が危ない……。このうちに)

がばと布団から身体を起こし、咳を出しながらも文机に向かう。

 

――活躍、まことにめでたく重畳。しかしながらそなたの企て、いまは時宜尚早、幾分行き過ぎの観あり。将たる者は一か八かに逸ってはならぬ。政治に極端はない。白と黒の境目に、灰色の落としどころがあるはずぞ。そなたを深淵に誘いたい者がいる。そなたを嚆矢に使いたい者がいる。ゆめゆめ警戒を怠るなかれ。視野をして狭窄せしむるなかれ。半年。一年。じっと辛抱せよ。母が子を案ずる言にあらず。隠居が当主を諌める言ぞ――

 

震える手で、一気に書き上げた。紙に血をつけぬよう気をつけながら。

(長慶ならば、これで伝わるはず)

千満丸を呼んで長慶へ密使を送らせる。そこまでを確認すると、再びつるぎの意識は千々に乱れた。文机に突っ伏した身体を、いねたちが布団に運ぶ。僅かな書状に随分と体力を使ったものか、それから丸一日、目は開かなかった。

時おり頬に涙が伝う。つるぎの半魂はいまも何かを見ているのだろう。

 

  *

 

(この庭の……何をどうせよと言うのだ)

田中与四郎は、困惑していた。

武野紹鴎へ茶の湯の弟子入りを求めた。紹鴎は少し待っておれと言って与四郎を客間に残し、庭の掃き掃除を始めた。堺の大店である紹鴎の屋敷はもともと清潔に整えられており、僅かな時間で庭には塵ひとつなくなった。

その上で、紹鴎は与四郎にこの庭をきれいにするよう命じたのである。

入門審査のようなものらしい。紹鴎の名はますます高まっており、彼の指導を受けねば本格の茶人とは言えないような風潮になっている。いや、そのような風評があろうがなかろうが、与四郎は紹鴎に対して昔から憧れを抱いていた。会合衆としての紹鴎、父の朋友としての紹鴎、どんな時も渋みのある落ち着いた大人ぶりに心を掴まれてしまっていた。

何としても彼の美意識の源について直接教えを請いたい。庭をきれいにせよと言うのならしてみせよう。気持ちを新たに、庭をあらためて見つめてみる。が、やはり誤った箇所は見当たらない。紹鴎自慢の庭だけあって、紅葉した庭木も、水を打たれた庭石の表情も、何もかもがまったく見事である。木の枝ぶりや石の形についても変えようがなかった。

(遠目には見えぬような小石や小枝を、残さず拾えということか……)

弟子としての忠実ぶりを評価されているのならば、それも正解かもしれない。だが、何かが違う気がした。

ふいに長慶の言葉が思い出された。“美の価値を変えてみせよ”。彼の手紙にはそう書いてあった。美の価値を変えるとは、自分の好みを天下に投げかける意気が要るということではないのか。この庭は果たして与四郎好みと言えるのだろうか。

私が心底美しいと思ったもの。道具、蒔絵を施さない黒一色の漆塗。花、摩耶で見かけた盛り過ぎの山法師。人、千殿、三好長慶……。そうだ、かつて紹鴎も、千殿のことを“歩く名物”などと言って愛でていた。同い年の彼、武家の子である彼に、堺の茶人が惹かれた理由。それは、あの類稀なる天稟の中に、儚い欠落、幸福というものの皆無を予感したからではなかったか。人が人を好きになる時。人が景色に涙する時。人が物を慈しむ時。それは、幽かな違和に情を見出し、その情が自身の情片と結び付くからではないのか……。

再度、庭をみつめた。整然としている。芥ひとつない。頭で捉えれば、完全に美しい。そう、頭で捉えたならば完全に美しいもの。それを、至上の美と言ってよいのか。それで、私の情は納得しているのか。私が、私の心魂が眺めたい庭。見えてきた。見えてきた庭は、眼前の庭とはどこか違っていた。

 

「しばしお待ちを」

庭に降り、木を揺すって紅葉しているもみじの葉を地面へ散らした。

「よろしい」

紹鴎が微笑んだ。渋みが漂う、たまらない笑顔であった。

 

続く