素人が50万字の歴史小説を書いてみて考えたこと
生まれて初めて小説というものを書いてみた。
その過程で感じたことや考えたことを備忘として残しておきたい。いつか自分で読み返した時に懐かしく思ったり、同じように小説を書いてみようと考えている誰かの参考になったりすればいいなと思う。
大きく3つに分けて、書く前、書いている間、書いた後の順に記していく。
書く前
小説を書こうと思いついたのはH26年の夏くらいだったと思う。
公私ともに充実していた時期で、現実逃避というよりは元気が余っているから色々なことにチャレンジしたいという動機だった。
まず決めたのは、「何かを創作してネットにアップしよう」ということだ。ネットにはブログや動画などのフリーコンテンツが溢れており、私も日頃からおおいに楽しませていただいている。
とりわけ当時は某フリーゲームRPGの素晴らしい出来に強い感銘を受けていたこともあり、「タダで楽しませてもらっているばかりでいいのだろうか、自分も何かネットに提供するのが筋なのではないか?」と考え始めていたのだ。
少し古い感性だとは思うが、マネタイズ関係なしに好きなものを創って、アップして、知らない誰かに楽しんでもらう。ネットはそういう素敵な空間でもあると思う。
次に何を創るか。これは小説、三好長慶を題材にした小説だと即断した。
私は絵が描けない。音感もリズム感もない。プログラミングもできない。ネットに何かを提供するには小説くらいしか思いつかなかった。国語はまあ得意だ。出来はともかく、書いてみるくらいならできるだろうと安易に考えた。
三好長慶を題材にした小説は幾つか出版されているが、10年以上前に発刊されたものばかりで、最近の研究を反映したものは見当たらない。
誰か書いてくれないかなと長年思っていたが、誰も書いてくれないまま時が流れた。だったら自分で書いてみようかという思考である。
ニッチな題材ではあるが、ニッチ故に書けばニッチな同好の士が読んでくれるだろうとも思った。
よし、三好長慶の小説を書こう。
但し、1年は構想に使うことにした。
これは生活上の必要からで、H26年秋~H27年春くらいまでは別件で忙しかったからだ。
この間、主に三好四兄弟のキャラクター、人物像、死にざまなどをずっと考えていた。
思いついたシーンは後でまとめ直す時のためにメモしておいた。
三好家の人物は事績が結構判明している。何年に誰と戦った、何年に誰と茶会を催したというやつだ。
一方で、三好家の人物は逸話が少ない。秀吉期くらいになれば色々な資料が残っていて、この武将は鮭が好きだとかこの武将は訛りをからかわれて凹んだとかの逸話を知り易いのだが、三好家の人物はそういうネタが少ないのだ。
例えば三好長慶は「静か、ストイック、薄味派」らしいということは分かるのだが、生の声や感情が類推できる記録がほとんどないのである。
こうなってくると、年表に載っている事績から逆算して、「こういう人間だからこの時こういう行動に出たのだ」ということを自分なりに考えなければならなくなる。
これはけっこう難しい作業だった。
最終的に三好長慶なら「菩薩にゲッター線を浴びせた感じ」、三好之虎なら……と自分なりに決めることは決めたが、この時点で生半可なものであることは否めない。細部は書きながら考えることにした。
史実メインの歴史小説が少なくてフィクションメインの歴史小説が多い理由が分かった気がした。
H27年の夏は、エクセルを使って全体の構成を整理した。
まず、主だった史実の人物について生年と享年をまとめた。
エクセルの縦行に和暦と西暦を並べ、横列に各人物を並べる。生没年不明の人については勢いで決めた。
誰と誰が同年代だとか、六角義賢長生きだなあとかが分かってこれは楽しい単純作業だった。
次に全何話にするか。
書いたことがないので負担感などはよく分からない。
とりあえず50話にした。長慶が享年43歳(数え年)だからだ。1年1-2話で50話。
エクセルの新しいシートに50行の枠を用意。
左から通しNo.、西暦、和暦、長慶年齢、歴史イベント、タイトル、あらすじを書いていく。
これを50話分埋めるのに、1日1時間くらいの作業で2か月かかった。
だいたい1話1時間の作業だ。
イメージは下の通りである。
西暦 | 和暦 | 年齢 | 歴史イベント | タイトル | あらすじ | 食べ物 | ||
1 | 1529 | 享禄2 | 8 | 元長帰国 | 吉野川 | 享禄二年、父、元長が阿波に帰ってきた……(以下略) | 握り飯 | |
2 | 1531 | 享禄4 | 10 | 大物崩れ | 掛かり太鼓 | (略) | けし餅 |
食べ物の欄があるのは息抜きである。読者のためというより私のための。
三好長慶の人生は辛いことが多すぎて、そればかりを追っていると疲れてしまうのだ。
ともあれ、これでようやく小説を書く準備は整った。
書いている間
さて書こうという段になって、まず悩んだのが文体である。
筆者が第3者の目で歴史を追っていく感じの文にするか、登場人物それぞれの主観ベースで書いていく文にするか。
なんとなく、人気歴史小説は前者が多い気がする。
実力のある小説家ならば小粋な解説を挟んだりもできる。
私の一番好きな歴史小説は吉村昭氏の作品だが、それも前者だ。
しかし、色々試してみたが前者の書き方は断念するに至った。
私の中ではこの時点で三好兄弟くらいしか人物像が定まっていない。こんな状態で客観的に話を進めようとしても、各人物が何を考えているのか私自身もよく分からないのだ。
反対に後者の書き方、各人物の主観で話を進めていくと大変書き易かった。そのパートを書いている間、その人物の置かれている状況や考えや行動に専念することができるからだ。
憧れを模倣するよりは前に進むことが重要である。結局、このまま主観ベースの文章で続けることにした。
この書き方で、色々と面白いことを学んだ。
初登場の人物の主観を書く時は筆が鈍ること。人物像が定まっていないから当たり前と言えば当たり前だ。
反対に、人物像が馴染んでくると、深く考えなくてもすらすら次の展開が思い浮かぶということ。
よく作家や漫画家が「キャラが勝手に動く」と仰るが、それがどういうことなのか私にも少しは分かった気がした。
例えば長慶の妻は、当初ジルオール(PS1)のフレアのような女性をイメージしていて実際にそういう末路まで考えていたのだが、最終的に似ても似つかぬ方向に進んでいった。
そして、こうなってくると楽しいのだ。
自分が考えたストーリーを書くというより、早くこの人物が次に何をするのか知りたいという心境になってくる。
そういう訳で、物語が後半に行くほど書くのが楽だった。
原稿の執筆期間はH27年秋からH28年秋まで。1年少しくらいだった。
ワードでちょうど500ページ。1話10ページ×50話。
「一 吉野川の段」を試しに書いてみたらちょうど10ページだったので、キリもいいから全部10ページにすることにした。
ワード1ページを書くのに平均1時間~1時間半。
1週間で1話を仕上げる感じで進めていった。
モチベーションは、序盤は木沢長政、中盤は三好宗三、後半は三好慶興が支えてくれた。
それぞれ書きながら人物像を考えた結果、愛着が増していった。彼らが死ぬまではちゃんと書こうという気になった。
一番しんどかったのは、まさに、人が死ぬシーンを書くことだ。
すごく疲れる。
体調が悪い人の話を書くと自分も体調が悪くなる。これは主観的な文体で書いているからかもしれない。
歴史考証や言葉の統一も大変だった。
日本語には明治時代にできた言葉が実に多い。主観的に書いている戦国時代の文章からは極力排除せねばならない。
色々調べて頑張って反映させたが、幾つかの言葉は割り切って残した。気づかずに残っている言葉も多いのだろうと思う。
一人称や二人称を人物によって統一するのも面倒だった。
人の呼び方。当時は下の名前をダイレクトに呼ばないものだとは聞いているが、苗字+官職呼びとかにしてしまったら三好●●守が大量発生して訳が分からなくなる。この辺りも相当に割り切った。
改名も、元服と、改名理由が分かり易い長尾景虎以外は割り切った。
波多野稙通に至っては名前も経歴も相当に怪しいが、あえて通説の稙通で押し通した。
これらの作業は大変だが、とても勉強になった。
プロのクリエイターは本当に凄いんだなと身に染みた。
つまらない小説や映画に文句を言ったことがあるが、これからはやめようと思う。
書いた後
淡々と一年書き続け、完成することができた。
後は、当初決めた通りにネットにアップするだけだ。
小説を書くのも初めてだが、ネットに何かを投稿するのも初めてである。
とりあえず、暇つぶしによく見ているはてなのサービスを利用させてもらうことにした。
こうしたブログサービスもフリーインフラである。
インターネットは本当に素晴らしい。こうしたコンテンツやインフラを支えてくださっている方々に心から敬意を表したい。
元々用意していたものをコピペするだけだから、思っていたより作業は簡単だった。
ブログって、こんなに簡単に始められるんですね。
しかし、あらためてブラウザで見てみると普通のブログと比べて記事が異常に長い。
読む人いるのかこれ、という感じである。
書いている間は書くのに夢中で、分量などに気を使っていなかった。
むしろ、一話10ページ制限の中で削ったエピソードも多かったから、自分の中では絞った分量という認識だったのだ。
ワードファイルの文字数を見てみた。
539,327文字と書いてある。
どれくらいのボリュームなのだろう?
グーグルで調べた。どうやら一般書籍5冊分くらいらしい。
これはあかーん。
どこの誰が素人の書いた三文小説を5冊も読むというのか。
結論。これから小説を書くという人は、まずは短編から始めることをおすすめしたい。
とは言え、こんなブログでもしっかり読んでくださっている方もいるようだ。ありがたいことである。
これからもたまたま訪れた人の暇つぶしとしてご愛顧いただけたら嬉しい。
全国に300人はいるであろう三好長慶ファンが、310人くらいになったら更に嬉しい。
以上、あとがき2/2でした。
短い間でしたがありがとうございました。
※2017/1/4追記
いつの間にかアクセス数がけっこう増えていました。
ツイッターなどで取り上げていただいたようです。恐縮であります。
紹介していただいた方、ありがとうございました。
感想やイラストを呟いてくださっている方もいて、感動しました。
本当に。痺れました。
自分の作ったものに対して、誰かがリアクションしてくれる。
こんなに嬉しいものなのですね。
ツイッターのアカウントでも作ってお礼を伝えさせていただこうかと
考えたのですが。
年末年始の休暇中、“ハァハァ、現在のアクセス数ぅ……”みたいになっている
自分の姿に気が付き、けっこう自己嫌悪になりまして。
一度嬉しい思いをすると、同じ感動を求めてアクセス数やリアクションが
気になってしまう。
創作と公開にはこんな面もつきまとうのだなと思いました。
ああ、惰弱なるかな自我。
プロのクリエイターは、こういう葛藤も乗り越えているのでしょうね。
精魂込めて作ったものでも、完成すればそれはもう過去のもので。
いつまでも過去に囚われているのはちょっとなあとも思い。
まあ何が言いたいかというと、
・読んでくださった方、本当にありがとうございます!
・だけれど一喜一憂する自分は小者だなあ!
ということです。