きょう、(小説 三好長慶)

近世のきのう、中世のあした。三好長慶の物語

四 恩讐の段  ――細川六郎 淡路へ敗走し、三好千熊丸 和睦を仲介す――

四 恩讐の段

 

強い西風を受けて船の速度は鈍く、揺れが激しかった。

千熊丸はじっと東を、堺を見つめている。風の唸り音、艪の漕ぎ音がなぜか一揆の勝ち鬨のように耳に残り、苛立ってしまう。敗軍というのは、こんなにも惨めなものかと思った。この船も周りの船も、水溜まりに浮かぶ落ち葉のようなものである。別離の嘆き、追撃の恐怖、望みの喪失……船上は負の感情に満ちている。

果たして自分が元長のような当主になれるのか。家督継承に際して問題や争いが生じないか。そもそも、明日を生きられるのかどうか。考えるべきことは山ほどあったが、それよりも父が遺した“心魂の高み”という言葉が頭から離れなかった。心魂の高みとはどのようなものか。このような時どうあればよいのか。苦しみに耐えること、勇気を奮い起こすこと、不幸を笑い飛ばすこと。どれも近いようで、どれも違うような気がした。何がどう違うのかは分からない。

(高みに至ることができれば、父上は喜んでくれるだろうか)

この時から千熊丸には自身の心魂を常に見澄ます癖ができた。

 

翌日、なんとか淡路に辿りついて短い休息を取った。それから更に一晩船を漕ぎ通し、無事に阿波へ着くことができた。

千熊丸とつるぎは一先ず芝生城へ帰ることになった。明日には変事を知った康長が勝瑞館まで迎えに来てくれる。長逸は勝瑞館に残って畿内の情勢を探り、向後の戦略を持隆と検討する手筈だ。加えて、義冬が側近の斎藤基速を長逸の補佐につけてくれた。基速は公方奉公衆の出自であり、独自の人脈も有している。逼塞させておくよりよいと判断されたのであろう。

持隆が母子へ言った。

「お前たちはわしが守ってやる。惚れた男の遺した家族だからな! わしのことを親代わりとも夫代わりとも思って頼るがよいぞ、カカカカ。特に千熊丸。じき、堺からお前を引き渡すよう使者が来るだろうよ。義朝を継いだ頼朝、之長を継いだ元長。六郎は、僅か十一の子どもに怯えて寝つけぬような男さ。安心せい、守ってやるとも。六郎の小僧と一戦交えるも辞さぬ。四国衆を舐めるなよってなものだわ」

いつも以上の多弁だ。持隆も友と夢を喪ったのだ。からからと持隆が笑うほど、その真情を思って母子も武者たちも涙を流し、互いにいつの日かの再興を誓い合った。

 

  *

 

しばらくの間、芝生城は薄墨を塗り込めたような雰囲気であった。

子どもたちは父を思いだしては涙を流し、そうでない時はぼんやりと無為に過ごした。大人たちはそれに加え、之長以来三代に亘って続く当主の不幸を嘆き、厭世感を強めていった。堺の現場から戻った当のつるぎと千熊丸だけが、気丈に振舞っていたのである。

特に元長を慕っていたいねは、何日かわんわん泣いた後、千熊丸や弟たちへきつく当たるようになった。

「暇なら鍛錬でも学問でもしなさい! そんなことで父様のような立派な武士になれると思うの?」

などと喚く。悪い意味で自分に似てきたと思った。つるぎ自身、情念をそのまま人にぶつけてしまうところがある。体調や気分がよい時はそれでもいいが、悲憤や憎悪を周囲にまき散らすのは捨て置けない。兄の千熊丸は泰然としていられるが、弟の千満丸や千々世はよくない影響を受ける可能性があった。つるぎは何度かいねを諭したが、いねは小生意気に言い返してくるばかりである。八歳の女子ともなれば、口では大人にも負けない。

「愛嬌の足りぬ女は嫁ぐ先がありませんよ」

つるぎはそう零しつつ、自分の娘時代を思い出していた。つるぎも男勝りの気性で、しかも妙に知恵も弁舌も冴えたから土地の男には敬遠されていた。度胸試しのような態度で近づいてきた輩もいたが、桶の水を浴びせてやったら二度と来なくなった。山向こうからやってきた元長が見初めてくれるまで、つるぎは恋を知らぬ女だったと言ってよい。和歌に詠まれているような恋をただ思い浮かべるばかりだったのだ。

そう言えば元長にもたらいを投げつけたことがあった。元長が近くの農家の後家にちょっかいを出した時だ。あの時、元長はひたすら詫びた後で、なんとそのたらいに山ほどのうどんを入れて持ってきた。

「これで手打ちにしようよ。なあ、分かってくれい。このうどんはわしの手で打ったものぞ」

くだらないことを真剣に言うものだから思わず笑ってしまった。それで、浮気の件はうやむやになった。

(妻へは気安く頭を下げたのに、どうして男同士だとそれができなかったのだろう)

色々な思いが呼び起こされてつい涙ぐむと、いねもおとなしく言うことを聞いた。

 

つるぎが産気づいた時から、芝生城の空気はがらりと変わった。

腹は異様に大きくなっており、産婆には双子か三つ子ではないかと言われていた。難産の見通しから、城中には緊張感が高まっている。元気のなかった子どもたちも何やかやとよく手伝いをしてくれた。康長は一族の菩提寺である瀧寺(徳島県三好市)へ馬を走らせ、住職に祈祷を頼んだ。知らず、城に活気と結束が戻ってきている。

お産は丸一日以上かかった。既に四人も子どもを産んでいるのに赤子はなかなか出てこない。つるぎも産婆も最後は叫びあうような騒ぎだった。

 

一同は驚いた。生まれた赤子は双子などではなく、一人の大きな男子だったのだ。身体が濃い体毛に覆われていることもあって、まるで小熊のようだ。おああ、おああと大音声で吠えるように泣く。元気のよさは折り紙つきだった。

「これは将来、とんでもない豪傑になるぞ」

「この手足の長さ、太さを見てみろ」

「いずれにせよ、元長様の遺徳であろうよ」

「そうじゃそうじゃ。元長様が遺した若君は俊英揃いだもの」

大人たちは大変な喜びようであった。子どもたちも歳の離れた弟の誕生に目を丸くしながら、嬉しそうに笑い合っている。

(ああ、赤子というものは尊い。皆の顔に笑顔が、希望が戻った。お前さま……この子は生まれた時から、もう大手柄をあげましたよ……)

喘ぎ喘ぎ意識が混濁する中、つるぎの頬を伝った涙は喜び故か、追慕故か――。

 

  *

 

赤子は又四郎と名付けられた。乳をよく吸い、よく眠って、身体はますます大きくなっている。熊のような体つきに元長に似た美男の相。その不釣り合いさがまたおかしかった。

兄弟でかわるがわる面倒をみたが、中でもよく働くのは五歳の千々世だった。弟ができてから頼もしげな年長者ぶりを見せるようになってきた。千々世は普段控えめにしているが、打てば響くというか、やらせれば何でもできてしまうところがある。

 

反対につるぎの回復は芳しくなかった。夫の死から出産まで休む間もなかったことからこれまでの疲れが出たのかもしれない。本人は気丈に振舞っているが、身体のやつれようは痛ましかった。食事も残している。乳は出ているが、それがまるでつるぎの生命をそのまま絞り出しているようなのだ。

「母上の元気が戻るよう、我らで作戦を立てよう」

千熊丸が弟妹を集めた。互いに色々と着想を言い合ったが、やはり食欲を取り戻すのが先決だろう、ということで一致した。次に母の好きな食べ物をあれこれ挙げたが、思いつくものは既に賄い方が試しており、よい成果を上げていなかった。行き詰まったように思えたが、千満丸が出した問いかけが状況を打開した。

「姉上は食べもの、何が好きだっけ」

「……栗餅!」

「どうしてさ」

「だって、甘くって、口に入れたらもちっとして、それからほくってして……栗の匂いも大好き」

「いつから栗餅を好きになったか、覚えているかい?」

「ええと……確か三つか四つの時、父様と栗を拾いに行って、それを母様が栗餅にしてくれて……。父上と行った栗拾い、風が気持ちよくて、秋の森がきれいで。楽しかったなあ」

「うん、それだ。姉上のそれと同じだと思う」

千満丸が言いたいのはこういうことだった。好きな食べ物とは、味そのものだけではなくて楽しい思い出と一緒になっているものだ。だから母の食べ物にまつわる思い出を探すべきだと。その言には千熊丸もいねも感心した。千満丸は子どもながらに人の興というものをよく理解しているようだ。

 

四人はさっそく叔父の康長の屋敷へ行って、母のそういう話を知らないか訊ねてみた。

「そう言えば昔、兄上と楽しげにうどんを召し上がっていたことがありましたな。あれはたしか……そう、色々とありまして、兄上とつるぎ殿が喧嘩をしたのですが。その仲直りに兄上がたらいに茹で汁ごとうどんを入れて。二人の初めての夫婦喧嘩でしたので、よく覚えています」

貴重な話だった。子どもは、親の夫婦としての暮らしぶりを案外知らぬものである。かつてあったであろう情景を思い浮かべると胸がじんとした。

 

それにしても康長といい勝瑞館にいる長逸といい、皆律儀な男たちである。元長を失って、当主は若干十一歳の千熊丸。家督争いだとか家を二分だとか、そういう争いが起きる方が自然なのに。皆が元長の旧恩を忘れずに千熊丸を守り立ててくれている。

(この恩に、いつか報いねばならぬ……)

という思いが、日を追うごとに高まっている。叶うものなら、元長亡き後も三好家は健在であると天下に向かって叫びたかった。

 

康長の話を受けて四人はさっそく準備に取り掛かった。

腰の強いうどんは少し腹に重いので、麺は素麺に変えた。阿波人好みのやや太めの素麺である。これを茹でたにゅうめんなら口当たりがよいはずだ。材料や具材は賄い方に借りたが、調理は兄弟だけで行った。この様子を見た大人たちは、

「孝行な、よい若君たちじゃ」

と感心し、気づかぬうちに主家への愛着を増しているのだった。

 

千熊丸と千満丸がたらいを運び、いねが食膳を、千々世が茶と漬物を整えた。

臥せっていたつるぎは驚いて声も出ない様子だったが、やがて堰を切ったように涙を流し始め、

「お前たち、こっちへおいで」

と四人を近づけ、腕をいっぱいに広げて抱きかかえた。

「ありがとう。お前たちの気持ちがこの上もなく母は嬉しい。これをいただいたらきっと元気になるからな」

思わず子どもたちも涙が溢れ、泣き笑いしながら母と抱き合っているのだった。

皆の声に驚いた又四郎まで泣き始めると、母も四人も笑い声の方が大きくなった。

それから、子どもたちも一緒になってにゅうめんを食べた。

「おいしい」

つるぎの箸が進むのを見て、やり遂げたような、誇らしいような気持ちであった。

 

  *

 

畿内は混乱を極めていた。

本願寺一揆を統率できていたのは元長討伐までだった。一揆は元長の遺骸を確認すると、おとなしく堺から退散していった。元長の凄まじい死にざまにさすがの一向宗徒も気勢を削がれたようだった。

その後、一揆には一向宗と関係がない悪漢や叛徒、零細の農民や町衆などが次々と流入し、戦略もなく暴れまわるだけの集団になっていった。富商や豪農などを襲っては財産を分捕っていくため、近頃では商いも物流もすっかり止まってしまっている。畿内にたちまち窮民が溢れかえり、非難の矛先は細川六郎と本願寺に向かう。当然、税や供物なども集まらない。

堺は六郎や宗三の手兵がいるし、町衆の守備も厚いので大きな打撃は受けていない。だが、近隣の畿内諸都市で商いが停止している以上、交易網はかなりの打撃を受けているはずだ。内政奉行である宗三はさぞ不愉快な思いをしているのだろう。顔に苛立ちが出ているように思えた。

長政が堺に呼び出された理由はふたつである。一向一揆をどうするつもりか。この責任をどう取るのか。この二点を六郎に強く問いただされた。

「その前に、確認しておきたい点がございます。六郎様の目指すところは一揆の鎮圧などのような些事ではありますまい。近江の足利義晴公と早急に和睦して公方を甦らせること。六郎様の号令のもと、天下に安寧をもたらすこと。まずこのことを片時も忘れてはなりませぬ。このことさえ念頭に置いておけば、おのずと一揆への対応も変わってまいります故」

長政は六郎たちを相手に自説をとうとうと述べ始めた。

冒頭の掴みで六郎を味方に付けた感触はあった。そうなれば他の連中の支持を得るのも容易い。

「持隆殿と元長を失ったいま、我らの軍勢は決して多くはござらん。公方再興後のことを思えばいたずらに兵を損なうのは愚策でござる。そこで、まずは一揆勢を京と大和へ誘導いたす。本願寺の統制が効かぬいま、彼奴らは飢えた獣も同然。この界隈を喰らい尽くせば、じき次の獲物を探し始めるに相違ありませぬ。京や奈良の宝物を想起させるだけでよいのです」

「ま、待て、待て。京や奈良が被害を受ければ朝廷との関係がややこしゅうなる」

六郎が慌てた。彼はあくまで保身第一である。京や奈良の民を思った発言ではない。

「もうしばらくお聞きくだされ。京には法華宗徒を中心とした町衆の自衛戦力があり、比叡山にも程近い。奈良では興福寺奈良県奈良市)が多くの僧兵を抱えております。宗教には宗教。互いに争わせれば兵を消耗することもなく一揆の勢力を弱められましょう。しかも、京で宗教絡みの騒乱が起きれば、治安維持を名分に近江の六角氏とも協調しやすい。義晴公との和睦も充分期待できるというものですぞ」

「おお……。なんとも一挙両得の名案ではないか。長政は本当に忠義ものじゃ、皆も見習うがよいぞ」

「は。もったいなきお言葉」

六郎の支持を得て、長政の案通りに方針が固まった。長政が河内・大和方面を統括し、宗三が京と近江への対応を行う。他の者は自領と堺を防衛。ここが六郎政権成るかどうかの踏ん張りどころである。一同の意気はそれなりに高かった。

 

しかし、宗三が長政を見る目はどこまでも鋭利で冷たかった。口には出さずとも、貴公のことなど欠片も信用していないぞ、という意思がひしひし伝わってくる。一向一揆の末端を長政配下が煽動して、略奪に走らせたことも掴んでいるのだろう。六郎の意を叶えてやっているうちはよいが、少しでも長政が六郎の害になると判断すれば喉元を狙ってくるに違いない。

宗三には元長とは違った手強さがある。元長は御しやすかった。夢に向かって一直線という男は突破力がある分、隙も多いのだ。逆に宗三には夢も私欲もない。付け入る隙がないということだ。しかも、閻魔が持つ浄玻璃の鏡のように、陰謀や刺客の類をすぐさま見破ってしまう能力まで有している。いまのところは六郎を操って、上部から丸め込むしかなかった。

それでも長政には宗三が必要なのだ。宗三という実務と交渉に長けた者がいるからこそ、長政が描いた絵図通りに物事が進む。本願寺への一揆要請も、これから行われる法華宗や六角氏との交渉も、宗三あってのものだった。

(坊主の掃除の次は、宗三への対抗軸を増やしておくことだ)

宗三の関心を長政に集中させておくのは危険だった。宗三が一目置くような人物を味方へ取り込み、動きを封じておく必要がある。

既存の連中には宗三との対立など期待できない。いま、六郎配下の中では、宗三と長政の存在感が飛びぬけ過ぎているのだ。後は池田氏、伊丹氏、茨木氏、松浦氏……などと畿内の有力国人が続くが、彼らは浮動層に過ぎない。高国が勝てば高国に、元長が起てば元長についたであろう。

丹波の波多野稙通だけは別格だが、堺公方府内の勢力争いからは上手に距離を置いていた。

候補の第一は、やはり近江の六角氏だった。当主の六角定頼は名君で、しかも四十前の働き盛り。若い宗三にとっては骨の折れる交渉相手のはずだ。しかも足利義晴を庇護する六角氏との協調は公方再興と同義であるから、奉公衆との細かい調整まで抱えることになる。

候補の第二は四国衆である。いまは絶縁状態にあるが、元長亡き四国衆との和睦、すなわち精強な軍事力の取込みは、六郎や宗三にとっても望むところのはずだった。

そうやって宗三の目を逸らしている間に、武家や教団の身勝手な争いは延々と続く。

庶民の鬱憤は確実に高まる。

長政には、夢が現実に近づいてくる手応えがあった。

 

  *

 

京。御所の北西に位置する細川宗家の屋敷(京都府京都市)に入ってはみたが、長い戦乱の間にすっかり朽ち果ててしまっていた。六郎が堺の海船政所を引き払って京に入るまでには、天下の施政者に相応しいよう充分に修復しなくてはならない。

法華宗徒や叡山、六角氏との交渉は順調だった。やはり一向一揆への対策という点では利害が一致しているのだ。こうした流れを早くから見抜いていた長政はさすがというしかない。おそらく細川高国と争っている頃からこの展開を考えていたのだろう。

(ならば……いまも一年先、五年先に向けてろくでもないことを企んでいるはずだ)

警戒を緩める訳にはいかない。佞臣として始末することも考えたが、六郎の長政に対する評価は極めて高い。宗三としては主の意向を飛び越えることはしたくなかった。

 

宗三は三好の傍流の出であり、元長の縁戚に当たる。元長と細川持隆が挙兵するまで互いに面識はほとんどなかった。宗三の父は、元長の祖父である三好之長の弟である。

十年前に高国によって之長が敗死した時、元長は阿波へ引いたが父と宗三は畿内に潜んだ。以後、辛抱強く雌伏していたのだ。父は高国の手を逃れつつ、畿内の国人や商家と徐々に信頼関係を築いていった。父の援助で宗三は武野紹鴎のもとで算術や茶の湯を学ぶ機会にも恵まれ、とりわけ茶の湯では若くして一目置かれる存在になった。

六郎や元長が堺へ上陸する、ちょうど一年前に父は死んだ。病死だが、餓死に近かった。父は宗三の教育には出費を惜しまなかったが、自分の生活は極限まで切り詰め、高国との決戦に備えて財を蓄えていたのだ。最期まで、阿波に逼塞している六郎が高国を滅ぼす日を楽しみにしていた。その日が来たらば三好本家の元長殿と力を合わせ、我ら一同でおおいに主家を守り立てていかねばならぬと、口癖のように言っていた。

いざ合流した元長や細川持隆は、宗三の目には傲慢に映った。足利義冬や六郎への敬意は微塵もなく、海外交易などの利権確保だけに夢中だったのだ。高国の手で家族を失った者、惨めな暮らしに耐え忍んできた者が数多いる中、絵空事のような未来を嬉しそうに語る元長は統治者としての資質に欠けていると思った。死んだ父の又甥への期待を思い出すとやり切れない気分になった。

そんな中、六郎へ挨拶に伺った。主家の御曹司は青白い若者で寂しげに見えた。国人たちは元長や持隆の機嫌を取ることに夢中で、六郎の周りに人影はほとんどなかった。宗三は、六郎様の畿内復帰をいまかいまかと待っておりました、この時を迎えて泉下の父もさぞ喜んでいることでしょう、非力な若侍ですが精一杯の忠勤を誓いますると、思っていた通りのことを言上した。それを聞いた六郎は自ら下座へ降りて、平伏していた宗三の手を取って涙ながらに喜んでくれた。あの時の感激と名誉は忘れられない。日本中の武士の頂点にいるべき方が、たかが一地侍の手を握って感謝してくれたのだ。

それ以来宗三は言葉通り忠勤に励んできた。父が遺した信や財がおおいに役立ち、国人の取込みや商家の協力取付けなどは順調に進んだ。宗三自身も相論の調査や税の計算・取立てなど、人気のない地道な実務を率先して引き受けた。戦でも、戦略上重要だが手柄の上げにくい位置での布陣を任されることが多かった。

その間、元長は華々しい戦果を上げ、謹慎し、再び凄まじい戦果を上げた後に腹を切って死んだ。

 

この一揆を鎮めれば晴れて六郎の天下である。疲れなどは気にしている暇もない。

交渉は順調だったが、気にかかることがあった。法華宗徒も叡山も六角家中の侍どもも、皆血気に逸り過ぎているのだ。彼らの多くは一向一揆を噂でしか知らない。実態以上に、一揆が恐ろしい怪物のように映っているようだった。いまの一揆本願寺の統率から外れたただの暴徒集団である。南無阿弥陀仏の信仰を持っていない者も多数混じっている。元長を襲ったような、仏敵を滅ぼす一念での奇怪な圧力はないのだから、丁寧に一つひとつ一揆の纏まりを潰していけばよいのだ。

そのことを徹底しておかなければならない。あらためて使者を送っておくことにした。

 

だが。宗三の使いは僅かに遅かった。日没後、恐怖に怯えた一部の町衆がやられる前にやれやと山科本願寺に押し掛けたのだ。本願寺はこれまでも叡山などの攻撃を受けたことがあり、守備は極めて堅固である。町衆が集った程度ではびくともしない。

しかし、本願寺側も一揆の扱いに苦慮していることもあり、町衆に強く出るようなことはしなかった。この理性ある判断が結果として拙かった。この騒ぎを見て、本願寺を遠巻きに偵察していた法華宗徒、叡山、六角氏がすわいまこそと三方から同時に押し寄せてきたのだ。こちらは理性あっての判断ではない。前衛が何ごとと駆けたから後衛も思わず続いただけである。

成り行きでの戦ながら、攻め手の士気は旺盛である。それぞれが常々、一向宗の勢いが盛んで利権を多く有していることを苦々しく思っている。法華宗徒にとっては、元長の仇でもある。加えて、全員が心の奥では一揆に恐怖している。数に頼んで、いまこそ本願寺を滅ぼしてしまえという勢いだった。

反対に本願寺の士気は低い。証如も蓮淳も、自分たちは六郎に担がれたのではないかと疑い始めていた頃である。畿内で暴れ狂う一揆の鎮静方法を彼らも議論している時だったのだ。もちろん、他宗派や町衆、六角氏と争う気などはなかった。

 

宗三が駆けつけた時、本願寺からは既に炎が上がり始めていた。火は、翌日まで消えなかった。

蓮如以来五十年に亘って栄華を誇ってきた大寺院が、建物ひとつの例外もなく、すべて灰燼と化した。罪もない多くの僧や宗徒が撫で斬りに遭い、あるいは火焔に巻かれて死んだ。証如や蓮淳は夜に紛れて辛くも脱出できたが、本願寺が受けた被害は甚大だった。

生き残った者への手当や保護を命じながら、宗三は暗澹たる思いに包まれた。

 

この後、本願寺は石山御坊(大阪府大阪市)に移転し、これまでの法難を踏まえて、尋常ではない規模の防備を築き始めた。そして、暴徒と化していた一揆衆を再び統率し、六郎へ本格的な復讐戦を挑んできたのだった。

 

  *

 

天文二年(1533年)の夏。元長の死から、一年が過ぎようとしていた。

芝生城に長逸が顔を出した。人払いをして、部屋にいるのは長逸と千熊丸、つるぎ、康長だけである。余程重要な案件らしく、長逸の顔には珍しく緊張が浮かんでいた。

長逸は一通の書状を取り出した。書状には厳重な封印の跡があった。

「公方から殿への極秘の依頼文書でござる。差出人は将軍足利義晴公。ただの御内書ではなく、細川六郎と六角定頼の署名もあります。持隆様のもとを訪れた使者は三好宗三・木沢長政両名」

「豪華な顔ぶれだな」

千熊丸は苦笑した。

昨年十一月に六郎が義晴と和睦し、堺公方府は正式に消滅した。京に公方の機能が復活し、細川六郎による政権が誕生したのだ。応仁の乱や細川家の内乱などで威光は随分翳ってしまったが、一応はれっきとした天下人である。

しかし、畿内には平和などまったく訪れていない。山科本願寺を失いかえって勢いを増した一向一揆と、細川軍の全面戦争が始まったのである。宗三や長政の軍は個別に一揆を撃破していたが、全体的には細川軍が劣勢だった。しかも京の法華宗徒までが一揆を組成し、税を治めなくなった。政権運営は早くも暗礁に乗り上げたのだ。

遂には宗三や長政が近くにいない時を狙われ、六郎直轄軍が潰走させられてしまった。六郎は淡路に逃亡し、現在は洲本の安宅氏に匿われている。安宅氏は淡路の有力な水軍で、かつて之長が無理やり傘下に加えてしまって以来三好家との縁も深い。

「援軍でも求めてきたのか」

「いや、和睦斡旋の依頼でござる。細川、一向宗共に疲弊甚だしく、民は更に疲弊しております。そろそろ不毛な争いも潮時と、互いに厭戦の機運が」

「なぜ私に頼むのだ」

「元長様の件では六郎も一向宗も負い目を感じておりますので。この際、四国衆とも和睦してしまいたいのです。冷静になってみれば、なぜに元長様をああまで攻め立てたのか、不思議にすら思っている様子。無理もない、六郎や本願寺はまんまと宗三や長政に嵌められたということを知らないのですからな」

この一年で当時の背景やそれぞれの思惑をかなり精密に長逸が調べ上げていた。今更証拠もないが、元長の死に宗三と長政が強く関わっていたのは間違いない。

「持隆様は何と仰っている」

「受けるべしと。この手打ちは畿内のみならず、かつは武家のみならず、日本中のあらゆる人々が注目することは必定。元長様の恥辱を雪ぎ、三好の名を再び天下に知らしめるには絶好の機会だと。そして、殿の器量ならばそれが可能だと」

「六郎たちと私が和睦することについてはどうなのだ。奴らは父の仇だぞ。持隆様にとっても友の仇」

「淡路に攻め入って六郎の首を獲ることも検討しました。いま、六郎を滅ぼすのは容易いことです。しかし、畿内の混乱が増すことも確実。それでは民の支持は得られませぬ。政をする者が優先順位を間違えてはならぬとの仰せです。ただ、殿があくまで復讐にこだわるなら、全力で支援するとも仰いました」

「では、宗三と長政の動きは何か掴んでいるか」

「共に四国衆との和睦に賛成し、殿の助命をも進言した様子。どうも宗三と長政も一枚岩ではありませぬ。互いに四国衆を自分の派閥につけようという腹でしょう」

「面の皮が厚いというのは、羨ましいことだな」

天下を治めている大人たちはどうしてこうも格好悪いのだろう。そんな虫のいい奴らに父の夢が潰されたのかと思うと、血が煮えるようだった。家格がよいというだけで、人を褒めたり潰したり使ったり。勝手なのだ。そこに罪悪感もなければいやらしさの自覚もない、それでも彼らを支えろというのか。

千熊丸は黙った。無言の抗議である。康長も口を開かない。千熊丸の判断に従うと覚悟がついているのだろう。長逸も持隆も、本音では六郎を滅ぼしたいのかもしれない。千熊丸の身を案ずるが故に穏健な意見を言っているだけで、彼らが元長の恨みを忘れるはずがなかった。場に沈黙が流れた。

 

いたづらにやすき我が身ぞはづかしき 苦しむ民の心おもへば――

 

おもむろに、つるぎが歌を詠んだ。

「皆の衆、この歌を知っているか。これは古の帝のお嘆きぞ。真に天下万民を思うお人の叡慮に触れるがよい。……長逸、康長。私怨だの利害だの、千熊丸をその辺の凡百武士と同じにしないでくれよ。私は千熊丸をそのように育てた覚えはない。なあ、そうであろう?」

つるぎは、千熊丸の背中まで貫くような視線を送ってきた。病み上がりの人間の気勢とは思えなかった。

「恩讐を越えろと、仰いますか」

「お前の心魂には父が宿っていよう。一晩、父とも語り明かすがよい」

心魂と言われてつるぎも元長の死に際を意識していることが分かった。あえてその言葉を選んだのだろう。俄かに、心魂の高みに適う選択をしたいという気になった。

 

翌朝、千熊丸は受諾すると返事した。よいことを思いついたわ、とも言った。

提示した条件は “和睦の日は六月二十日、元長の命日。舞台は石山御坊。和睦成立後、一同で元長の一周忌を執り行う”であった。

 

希望通りの六月二十日、石山御坊の阿弥陀堂にて和睦の儀式が執り行われた。

和睦の儀式進行は難しいとされている。不手際があると戦が再開しかねないのだ。

阿弥陀如来像を背に千熊丸が座り、左に細川六郎・三好宗三・木沢長政が、右には本願寺証如・蓮淳が座った。公方側と本願寺側の間には屏風が置かれている。脇では持隆が見守っていた。

千熊丸の合図で長逸が屏風を取り除き、両陣営の顔合わせがなされた。併せて、康長が酒杯や供物などを用意する。千熊丸が和解状を読み上げた。これまでの経緯に加え、手打ちに当たっての申し合わせ条項を披露していく。

一 細川家と浄土真宗は戦を停止し、以後に恨みを残さない

一 六郎と証如は縁戚関係を結ぶ

一 この戦で被害を受けた民に可能な限りの保障を行う

……などなど。

意義なき旨を千熊丸と阿弥陀如来に誓った上で交互に酒杯を仰ぎ、最後に千熊丸が飲み干す。

千熊丸の音頭で九度の強い手締めと、一度の淡い手締めを行った。

――手打ち成立である。千熊丸の仕切りは円滑で、何の不手際も見られなかった。

 

続けて千熊丸を喪主とした元長の一周忌である。唐突に、持隆が外に向かって何ごとかを呼びかけた。すると、別堂に潜んでいたつるぎや弟妹、堺の与兵衛・与四郎、波多野稙通を始めとした国人衆などが続々と阿弥陀堂に入って来た。皆、元長に縁ある者たちだ。生き残った兵たちも混じって人数は千名を超えている。義冬の弔辞までもが披露された。段取りを知らされていなかった六郎たちは唖然としている。知らぬは細川家だけだったのだ。

「さすがは石山御坊、収容力は群を抜いておるわ。さあさ証如殿、蓮淳殿。おおいに念仏なりお鈴なりをあげてくだされ。父上は賑やかな音をこよなく好んだお方でしたのでな」

すべて、千熊丸の着想であった。父を慕う人々が充満し、堂内は異常な熱気と慟哭に包まれている。さすがの六郎たちも居心地悪げだった。一方の証如や蓮淳は少しばかり心の荷が下りたようだ。

つるぎに悪戯げな笑みを送ってみた。母も、微笑み返してくれた。

 

続く