三十九 まろうどの段 ――三好長慶 長尾景虎に因縁をつけられ、三好之虎 旧主を偲んで踊る――
三十九 まろうどの段
「ほんま、あいつら殿のこと舐めてまっせ!」
「おう、左様か」
怒りのあまり馬を駆け通して芥川山城までやって来た。それなのに、長慶ときたらちっとも本気になってはくれない。
「ああもう、思い出すだけで腹立つ! ええんでっか、あんな口汚い連中のさばらしといて!」
「先ほどからその調子だが、肝心の悪口雑言とやらの内容が曖昧でよう分からぬ。いったい長尾の家来が何を言ったというのだ」
「そ、そんなんわいの口からよう言われへん」
「構わぬ。申してみよ」
にやにやと長慶が攻め立ててくる。
「……歌を詠むのに夢中で戦のやり方忘れたんちゃうか、とか」
「ほう。他には」
「ほ、本物の女が恐いさかい、絵巻物の女眺めて喜んどるとか……」
遊佐長教の娘を娶ったという長慶の嘘は、既に世間にはばれてしまっている。子どもを増やそうともせず、いつまでも独身のままでいる長慶のことを変に思う者も多い。
「なるほど。越後侍も上手いこと言うものだな」
「感心してる場合ちゃいますわ」
越後の長尾景虎が大勢の兵を連れて上洛してきていた。景虎自身は粛々と義輝や公家などと面会を重ねているようだが、暇を持て余した家来衆の粗暴さは目に余るものがあった。景虎の言いつけで民草に迷惑をかけるようなことはしないが、三好家には含むものがあるのか挑発染みた言動を振り撒くのである。特に酷いのが長慶に対する中傷で、これには久秀も辟易としていた。
「慶興はそうだそうだと笑っていたか」
「や、一見そんな風やけど、内心めっちゃ怒ってまっせ。あれで若殿は殿のこと大好きやし」
「そんなものかな。しかしまあ、私に対する地方の見え方はそんなものだろう。気の毒な細川様を下剋上し、あろうことか公方の政務を壟断する不心得者。天下大乱の首謀者、唾棄すべき成り上がり者――」
「やめてえな!」
わいの大事な殿を、どいつもこいつもご本人までなんやと思ってるんや。
「ふふ」
久秀の哀願を一笑に付すと、長慶は短冊にさらさらと何かを書きつけ始めた。
「この歌を適当に広めておけ」
歌連歌 ぬるきものぞというものの 梓弓矢も取りたるもなし――
「おおっ! お見事だす」
長慶らしい、風流の利いた反論である。これなら京雀はこぞって長慶の味方をするだろうし、越後衆は赤っ恥をかかされることになろう。
「それよりな。よいことを思いついたのだが」
「へ」
「安見宗房攻めがあるだろう」
「準備は万端でっせ」
「宗房をな、大和方面へ追いやれ」
「は?」
「公方勤めで鈍くなったか」
出た、と思った。長慶が思いつくよいこととは、家臣からすればだいたい酷いことである。
「まさか、大和を」
「そうだ。河内は一旦高政を立てる。その間に大和を我々の勢力に組み込む」
本気だ。同盟国を捨て、長慶は五畿内すべてを直轄下に置くつもりなのだ。
「……いままで以上に天下の顰蹙を買いまっせ」
「建前安、実力高を更に進める頃合いだ。まだ人には言うなよ」
「へ、へい!」
胸の内、機密中の機密を明かしてくれた。それだけでもう意気込みは高まるばかりである。
「それでだな」
「まだ何ぞ?」
「お前には摂津下郡から大和へ国替えを命じる。大和は切り取り次第、“一職”支配を認めよう」
「うえ、ええ! ほ、ほな滝山城は」
「他の若い衆に任せる」
「そんな阿呆な!」
滅茶苦茶だ。精魂込めて治めてきた豊かな摂津を捨て、興福寺やら筒井やらの利権がぐちゃぐちゃに入り乱れた大和をなんとかしろというのか。こんな横暴、聞いたことがない。
「頼んだぞ」
「いやいやいや、待ってえな! なんでわいなん」
言った瞬間、自分でも思い当たるものを察知した。松永兄弟への妬みである。
「お前いま、家中のやっかみ逸らしかと思っただろう」
「や、あ、え」
「それもあるが、真の狙いは違う。目指すは武士と領土の分離だ」
「ど、どういうことで」
「このまま我々の勢力が広がっていけば、一番難儀するのは何だと思う」
「あ……そういうことでっか。政策の浸透、公平な税務」
「よし。従来の領主を追い出し、私の配下を送り込むことが増えていくだろう。いずれ武士の転属、転勤が当たり前になる。私財や独自の主従関係を築く前に異動させれば、内乱の芽を摘むこともできるしな」
「そら世は安定するやろけど……なんちゅう酷い時代や。そんなん、誰もついてけえへんちゃいますか」
「だからお前が前例をつくるのだ。なるほど、領地替えは期待されているからなのだな、難しい役目に挑戦すれば出世できるのだな、様々な環境での経験が人を育むのだな。お前がそう皆に示すのだよ」
「こんな年寄りにえげつない……えぐい……公方の仕事もあんのに……」
目の前が真っ暗になるとはこのことだ。長慶の言う通り石成友通辺りが我も我もと手を上げるだろうが、それなら彼らにやらせたらよいではないか。
「友通の顔を思い浮かべただろう」
(なんで分かんねん……)
「本当に大事なことはお前にばかり甘えてしまう。頼む、久秀」
手を取られ、頭まで下げられてしまった。こうなってしまっては観念するしかない。
「もう……ほんまに……今回だけ! 一回こっきりでっせ!」
「うむ」
「普通やったら謀反とかされるんやで! 忘れんといてや!」
「うむうむ」
芥川に来るのではなかった。
いったい自分は何歳まで長慶に振り回されるのだろう。
*
以前の上洛時にも挨拶を交わしたことがあるが、相変わらず思い込みの強そうな顔をしている。
北野天満宮(京都府京都市)へ参詣する折、唐突に景虎から昼餉の招待を受けた。義輝や近衛前久等、反三好の姿勢が強い者たちと昵懇な相手であるだけに意外な思いを抱いたものである。
通り一遍な会話の後、長慶の前に運ばれてきたのは漆の重箱に敷き詰められた料理であった。食材を皿に分けないで、すべてを一緒くたに入れている。しかしそれが野暮ったくはなく、心を浮き立たせるような華やかさに彩られているのだ。昆布と炊いたらしい飯の上には、煮しめた赤茶色の魚の身や緑色の菜などが配されていた。
毒など入っておらぬとばかりに、同じものを景虎ががっつき始めた。
鱈の煮物。棒鱈は畿内でも流通しているが、これほど上質な代物は滅多に口に入らぬ。匂い、甘い。口に入れる。甘さが膨らんだ。熟練。調味と持ち味の見極め。ほろおり崩れる身肉を噛みしめれば、舌は北の荒海の如く波打ち跳ね上がる。
飯。昆布で足腰を補強された飯。鱈に合う。すこぶる合う。飯。鱈。飯。鱈。止まらぬ。辛みある青物。息を吹き返す。飯。鱈、ああ、もう鱈がないではないか。
「……」
「お分かりだろう。越後の風流、都に遅れを取るものではない」
「ふ……ふふ……はっはっは」
「何がおかしい」
「や、景虎殿はお優しい大将だ。遠慮のう、仰天しておったとお伝えなされよ」
久秀が調子に乗って、越後兵の立ち寄りそうなところすべてに例の歌を流布していた。恥をかかされたと配下から訴えられ、真に受けた景虎が仇を取りにきたのだろう。
「愚弄するか」
「なんの。こんなうまいものを馳走してもらったなら、ただで返す訳には参りませぬな」
「ふん。礼など要らぬ」
この酒臭い若武者が何を欲しているか、つぶさに慶興から知らせを受けている。
越後衆は毎夜毎夜公家や奉公衆の館に現れてはしこたま飲んで騒いで帰っていく。自然、その言動なども慶興の耳に入ってくるのだ。
「鱈の分、上杉家家督。飯の分、関東管領職。青物の分に近衛前久殿の関東下向も添えましょうか」
「増長を! それを決めるのは帝や上様でござろう!」
「いかにも。だが、彼らだけでは調整に手間がかかります。あなたは急いでいるのでしょう?」
「……くっ」
越後で武名を高めた景虎のところには、北条や武田に追われた者たちから救援の懇願が相次いでいる。その中には本来の関東管領、上杉憲政の姿もあった。仄聞する限り、景虎は困窮者の頼みを断らない性分である。世間からもそう思われている。つまり、救援に動かねば景虎の求心力は落ちるということだ。
景虎とて、長慶がその気になれば朝廷や公方の決裁は永久に先延ばしになることを承知している。
「誰に何を吹き込まれたか分かりませぬが、景虎殿は私によい印象を持っておらぬ様子ですな」
「人がどう言おうが知ったことではない。我は、三好殿の嘘が気に入らぬ」
「ほう、嘘」
「そうだ。理世安民と掲げながら守るべき秩序を破壊し、新たな時代がどうした、仕組みを改めるべきだとほざいて混迷を招いている。言葉遊びに夢中で、真剣に政へ向き合っておらぬ証左ではないか」
「痛いところを突きなさる」
「抜け抜けと!」
「しかし、民のよりよき明日のために知恵を絞るのも政でしょう」
「菩薩にでもなったかのような思い上がり。そも、人の知恵には限りがあるのだ。不確かな思い込みで世を導こうなどとは神仏の冒涜に他ならぬ。立ち止まって、目の前で困っている者を一人でも多く救うことこそが人の善美、義の真実というものであろう」
なるほど、景虎という人物が少し分かったような気がする。要はどこまでも民意に従順なのだ。どこまでも純粋に過ぎるのだ。確かに、どうなるか分からない将来の話に関心を示す者など十人に一人である。逆に、恨みを持つ者、不満を抱く者、何かを取り返したい者は幾らでもいるし、欲求内容も分かり易い。支持を募る、兵を多く集める、勢いをつけるためには、景虎の姿勢は極めて優れていると言えるだろう。
だが、それは衆愚を生む。衆愚への迎合は多大な時を一瞬の熱に変じて、虚しい徒労だけを残す。
これ以上畿内で活動させてはならない。景虎は堰だ。痛み止めだ。昨日を称える者だ。
「困っているのが私でも、景虎殿は助けてくれますかな」
「なんだと」
「ふふ、ご存じでしょう。同族の誼、信濃の小笠原長時殿を迎えております」
「む、そうであったな」
「本領回復、助けたくとも信濃は遠い。長尾殿のお力を頼みとすることができれば」
「……ぬう」
これでよい。それでなくとも景虎は北信で武田晴信と睨みあっている。
武田や北条には悪いが、この非凡な求心力は東国に張りつかせておくことだ。九条家への対抗心から長慶を目の仇にしている前久貴公子も、この期に色々と現実を見てくればよい。
それにしても……信長には急げと言われ、景虎には止まれと言われる。結局、自分はちょうどよい塩梅なのか、どっちつかずで敵を増やしているだけなのか。実に面白いものである。
*
銃口。こちらに狙いを定めている。馬鹿が、鉄砲は面で使うものだ、一点狙撃などできる訳がない。
そう思った一存の肩口を銃弾が掠めた。
「ちっ、馬鹿はわしか!」
いや、点で動いた敵もやはり馬鹿なのだ。彼が次の動作へ移る前に白雲は間合いを詰め切っている。
「しいりゃ!」
利き腕を吹っ飛ばした。敵が鍛錬に費やした年月も、自信も誇りも、すべてが飛鳥の翼に乗って消えていく。追いかけて届く絶叫。その頃には既に白雲は反転していた。
「退けえ!」
このままでは被害が増えるばかりだ。一存が食い止めている間に一人でも多く兵を逃がさねばならぬ。
「しつっこい!」
群がる僧兵を薙ぎ払う。肉弾戦なら相手ではない。警戒すべきは飛び道具だけだった。
一存の闘志がまるで挫けていないことが分かり、根来衆どもも追撃を躊躇する。血路は開けた。
「おのれ、おのれ――」
負け戦だと。このわしが敗走だと……。
「進軍を止めるとはどういう了見だ!」
「や、お言葉ですけど、一存殿こそなんであんなに突出したんでっか。殿からわいらが受けた命令は、宗房と根来衆の合流を阻止することでしたやろ」
「口答えするな! 殿、殿と、お主には意気地というものがないのか!」
「わいは」
「やかましい!」
床几を蹴られた久秀がひっくり返り、顔に泥がこびりついた。一存のあまりの剣幕に周囲の兵たちも微動だにしない。こいつがまともに動いておれば軍が分断されることもなく、背後へ回り込んできた伏兵に鉄砲を浴びせられることもなかった。死んだ者たちのためにも言うべきことは言っておかねばならぬ。
「……」
見上げる久秀の瞳にはありありと不満の色が浮いている。それがますます気に入らなかった。
「よい機会だから言っておく。少しばかり慶兄に気に入られているからといっていい気になるなよ」
長慶も、どうせなら長逸か長頼を送ってくれればよかったのだ。久秀は所詮色町の男、武人ではない。
「……えろう、すんまへん」
「次に足を引っ張ったら命はないと思え!」
死傷者を出したとはいえ、兵力はいまだ七千。宗房派の根来衆・紀伊国人連合軍は一万を超えるが、戦線を守るだけならば何の問題もない。しかし、壊滅させることもできていたはずなのだ。
戦の機微を掴もうともせず、長慶に忠実でさえあればよいと思っている。こんな連中ばかりが増えている気がしていた。
(糞、痒うて堪らぬ……)
胸元の湿疹を掻き毟る。夏の戦は蒸すことこの上なく、皮膚の調子は悪くなるばかりである。
ええい、もう一度単騎で出陣し、百人首でも召し取ってきてやろうか。
*
見性寺の広場には千人近い民が集まってきていた。
大和の町衆が始めたという“盆踊り”を阿波流に楽しもうと、之虎が大勢を集めたものである。とはいえ、阿波の民に人前で踊る習慣などはない。これから何が起こるのかもよく分からず、国主の指示を待っている様子だ。当然、康長も長房も盆踊りなどはやったことがない。
太鼓、鉦、笛の音色が聞こえてきた。長慶と同様、之虎も鳴り物衆を抱えている。ただ、音はいつもの戦仕様ではない。軽快な拍子、高揚を誘う調べ。手持無沙汰にしていた民衆の腰も浮き立ち始める。
楽曲に乗って、勝瑞館から之虎と愛染衆が現れた。密集した全員で諸手を天に掲げ、小跳ね気味の運歩で踊り流れてくる。その様はひょうげているようなやけに真剣なような、見ている者を思わず笑顔にしてしまう愉快さが充満していた。
「さあさあ皆の者よ、今宵は無礼講。農民も漁民も坊主も武士も、一丸となって踊り明かそうぞ」
之虎がよく通る声で群衆を鼓舞し手招く。いまこの時、民はあらためて自分たちの主を誇りに思ったに違いない。全国に名を轟かせている殿様が、こんなにも気さくに領民へ接してくれるとは、と。
次々と踊り手が増えていく。中には、之虎の方に向かって手を合わせてから踊りに加わる者までいた。
渦。騒祭の渦。原始の熱狂がたちまち産声を上げた。
「おなごも混じらねえかい!」
遠巻きになって様子を見ている女たちを挑発する之虎。準備万端、愛染衆が彼女らに笠を配った。
「はあっはは、顔が見えなきゃあ恥ずかしくねえだろうさ」
お膳立てされれば女は弱い。一人、五人、十人……あっという間に百人からの女衆が踊り始めた。
なんだこれは。日頃は細やかな性質の阿波人が、ここまで熱い情熱を放出するものか。
「やはり之虎様は素晴らしい……。民の心を完全に掴んでおられる」
陶酔したように長房が呟く。
「うむ、もはや“興王”とでも呼ぶべきだな」
「戦、商い、風流。何もかも之虎様は最上の才覚をお持ちです」
「お主は踊らんのか」
「後学のため、この光景を目に焼きつけておかねば」
「また付き合いの悪い奴だと言われるぞ」
「康長殿だって見ているだけではないですか」
「年寄りには刺激が強い」
騒ぎを聞きつけたのか、家に残っていた者も次々と広場に集ってきているようだ。
踊りなら銭はかからないし、祭があれば民衆は不満を溜めこまない。そこまで計算したのだろうか。
「私は、之虎様が国主になられてよかったと思っているのですよ」
「……軽々しく言うことではない」
こういうところが長房はよくなかった。
「でも、現に阿波の国力は増すばかりではありませぬか」
「実利ばかりを見るからお主は之虎に追いつけないのだ。なぜ之虎が見性寺を選んだのだと思う」
「? 勝瑞館の隣だからでは」
「……もうよい」
盆踊りとは賑やかな鎮魂なのだろう。慈愛も殉死も、いまだ人々の記憶に新しい。之虎の凄味は人の心を掴むところにあると、さっき自分で言っていたではないか。
「しかし、河内では戦が始まっているというのに、どうして之虎様は出陣しないのでしょうね」
「次の段階を見ているからだろう。長慶は本当に手強い相手を前にした時、初めて之虎を頼る」
「安見宗房を追い出せば、河内国は畠山高政のもとに安定するのでは」
「……」
「も、もしや」
「いまお主が思ったとおりだ。こういう話なら相変わらず鋭いな」
長慶と之虎の腹は明確だ。宗房追討を名分に大和へ侵入。更に、高政の治政が暗礁に乗り上げたところで河内を取り上げる。常に畿内の争乱の元凶であった河内を、いよいよ直接支配しようというのだ。
「そんなことしたら、日本中の武家を敵に回します!」
「いまでもそうではないか」
「ますますそうなりますよ! いいですか、守護の仕組みができて以来、五畿内をひとつの家が支配したことなどないのですよ、いままでは細川家中の下剋上くらいに思ってくれていた者たちも三好が他家へ侵略を始めたとなれば本気になって抵抗してきますよ。だって恐ろしいじゃないですか、あの細川家とあの畠山家を併呑した家が出来てしまうのですよ!」
「分かっておる。少し落ち着け」
「止めないと。危険です」
「すべて承知の上だ」
「そんな阿呆な話がありますか、いまのままで何の不自由があるというのです」
「まだ、細川が三好に代わっただけだからだろう」
「それだけでもとんでもないこと、家の序列を乗り越えてしまったのですから!」
「長慶はもっと先を見ている。もちろん、之虎もな」
「分からない……分からない……いたずらな直轄地の拡大など、賢明な君主のやることではない……」
長房とて長慶が勢力拡大方針に舵を切ったことくらい心得ている。しかしながらそのやり方は、各地の紛争に介入し、三好の影響下にある国々を増やしていくものだと思っていたらしい。従来の領主を立てて間接的に支配するのと、領主を追い出してその地を自らの手で治めるのとでは話がまったく異なる。ましてその第一歩が、この十年来の盟友にして細川家と並ぶ三管領の名門、畠山家だというのだ。
「……分からぬなら踊ってこい」
「え……」
「踊ってこんか!」
「は、はい!」
尻を叩かれた長房が踊り手の群れに飛び込んでいった。気づいた之虎が笑顔で迎え入れている。
そう、理屈ではすべて長房の言う通りなのだ。子どもの陣取り遊びでもあるまいし、単に領地を拡げればよいものではない。組織に必要なものは政の質であり、民忠であり、収支である。そういう点では、難題が山積している河内や大和は魅力的な土地ではなかった。厄介ごとを進んで引き受けるのと同じなのだ。
だが、それでも“大きさ”を手に入れなければならない時がある。大きさにはそれだけで力があるのだから。五畿すべてを合わせた力より大きな力は日ノ本に存在しない。三好がそこまで大きくなれば、時代は真の節目へ突入していくに違いない。
長慶も之虎も、康長の想像を超えて大きくなった。こうなれば、どこまでも見届けるしかないではないか。
あらためて盆踊りの様子を眺めた。長房の踊りは思ったより達者である。
*
動き始めた三好家は強大だった。
初戦こそ宗房派の根来衆が十河一存・松永久秀を撃退したものの、まともな抵抗はそれまで。鬼神が憑いたかのような一存の猛撃に紀州兵は河内に入ることができず、その間に長慶と松永長頼が北部から河内に押し寄せた。
宗房とて戦はなかなかにやる。木沢長政以来の古強者も多く擁している。それでも、高政が三好側についていることで河内衆の士気は上がらず、野戦を挑めば連敗。けたたましい喊声と鳴り物に、呆気なく宗房は城を捨てて落ち延びていった。ほとんど何の障害もなく、高政は高屋城と河内支配を回復することができた訳だ。
「……“これから”どうすっか考えねえとな」
往来右京に向かって呟く。彼は高政派の根来衆で、この戦でも高政をずっと護衛していた。
「どなたを家宰になされるか、皆が気にしております」
木沢長政、遊佐長教、安見宗房と、河内は長年に亘って筆頭家老の専横に蹂躙されてきた。国が豊かな分だけ利害調整が難しく、どうしても当主より実務に秀でた家臣に権力は集中しやすい。簒奪を防ぎ、なおかつ政治を安定させるためには、腹心選びが何より重要である。
「俺の下にいる奴あ“武闘派”ばかりでよお。“知恵者”がいねえんだよな」
高政がぼやくと、右京も下を向いた。この男も僧兵の伝統通り、暴力恫喝は得意でも管理や振興には縁がない。
「ゆ、湯川直光殿などは」
「ああ、そうだな。散々“世話”になったし“いい思い”もさせてやらねえとな」
親しい家来の中で一番まともに領地を治めているのが直光である。但し、彼の縄張りは温暖な南紀で、主要街道が何本も走り各種産業が高度に発達している河内国とはいかにも風情が異なる。
「その下には、何人くらい手が要るものなのですか」
「よく分かんねえ。細けえことは嫌いだ」
「……」
「ま。“青っ白い”話だ、青っ白い長慶殿にでも相談してみようぜ」
「なるほど、妙案ですな」
長慶は話せる男だった。いまも、宗房を追って和泉では十河一存が睨みを利かせているし、大和には松永久秀と松山重治が入っている。大和西部の国人衆はもともと畠山家と親密であり、高政の後押しがあるため調略も順調に進んでいるようだ。
未来は実に明るい。長年続いた畠山家の内訌が遂に終息するのだ。高政の手でかつての権勢を取り戻せば、再び管領職を得ることも充分に可能だろう。
高政は右京に宴の用意を命じた。まずは酒、祝い、労いである。
*
坑夫たちは大内の時代が辛かったと口を揃える。貿易の関係で大内の増産命令は激しかったらしい。この銀山を狙っている毛利も、大内と大差はないと考えられていた。尼子は伸び伸びとやらせてくれるし、本城常光は石見国自慢の猛将である。
常光は“銀蛇”と呼ばれ親しまれていた。おおらかで、健やかで、親分肌で、おだてられると弱い。蛇とは狡猾で不気味な生き物だと思っていたが、この辺りではどうも感覚が違うようだ。
人柄だけではなく、戦のやり方も蛇そのものだった。常人には分からぬような悪路を抜けるのが特技で、埋伏も、埋伏している敵を見つけるのも上手い。敵を捕捉すれば遠巻きに矢を浴びせ、締め付けるように相手を衰弱させていく。機を見ては躊躇わず毒牙のような一撃を喰らわせることもあった。あの毛利元就や吉川元春を敵に回して互角以上に戦っているのは見事なものである。
常光の守る山吹城(島根県大田市)を力攻めで落とすのは不可能だと元就も悟ったらしい。士気、兵糧、九州の不安も頭をよぎったであろう。万を超える毛利の大軍が遂に退却し始めた。
「と金殿!」
銀蛇が叫ぶ。
「任された!」
孫十郎が石見兵を率いて間道を駆ける。目指すは銀山の南西、降露坂。急ぐことが心地よかった。
常光の読み、道の選択は完璧だった。孫十郎の手勢が正面に現れ、毛利軍の先頭集団は明らかに狼狽している。落ち着かせる時間を与えてはならない。叫び声が起これば後続の不安が募り、常光による追撃が一層効果を増すのだ。
「斬り込め!」
金縁の軍配を突き出した。鉱山で生きる男の寿命は短い。日頃から死と隣り合わせに暮らす兵たち、肝っ玉が銀より重いことが自慢である。毛利勢も精鋭ではあったが、軍とは予期していない事態には弱いものなのだ。突如出現した孫十郎の突撃は、孫十郎が期待した以上の恐怖を敵に与えた。
「雑魚に構うな! 陣を突っ切れ!」
腰を据えて挟み撃ちにするようなことはしない。孫十郎の役目は敵の喉首に牙を突き立てることだ。
斬る。突く。走る。敵の構え、気勢が濃密になっていく。旗。一文字に三つ星。見えた。騎乗の敵将、色々威の腹巻。間違いない、毛利元就だ。あと五十歩、目が合った。されど元就は落ち着いている!
「父上!」
新手。三つ引両、ならば吉川元春か。斬りかかる、その隙に元就が動いた。逃さぬ。
「どこを見ている!」
元春。若い。強い! この膂力、元就に意識をやったことを悔いた。一転、阿修羅の如き連撃に対して防戦一方になる。孫十郎勢の足は完全に止まってしまっていた。
地鳴り。聞こえる。悲鳴と喊声。
野太刀を掲げた常光の本隊が山津波となって押し寄せた。追撃。孫十郎によって分断された毛利軍を次々と呑み込んでいく。孫十郎と打ち合っていた元春は舌打ちをして俊敏に走り去っていった。
大将首は逃がしたが、防衛戦としては大勝利である。付近には毛利兵の死体が散乱していた。
「祝着祝着。さすが畿内で鳴らしただけはある、よい客将を得たものよ」
常光は上機嫌だった。吉川元春に対する敗北感は拭いきれなかったが、孫十郎とて居候先の戦果は嬉しい。常光に倣って地に跪き、土地神である“大元様”へ勝利の礼を言上した。
畿内に比べ、石見の民は神仏へよく祈ること甚だしい。何かあれば大元様の託宣を望み、何もなくても日々の暮らし成り立つことを金山彦神に感謝して供物を捧げる。
いつしか孫十郎は、石見から、常光の傍から離れたくなくなっていた。
続く