きょう、(小説 三好長慶)

近世のきのう、中世のあした。三好長慶の物語

目次

   

戦国時代の武将、三好長慶を主人公とした小説です。

全50話、1話10~20分でお読みいただけるかと思います。

 

三好長慶に関心のある方、
織田信長以前の戦国時代に関心のある方、
歴史小説を好む方、
けっこうな量の暇つぶしを求めている方、
などにおすすめします。 

 

↓ 目次

trillion-83k.hatenablog.com

 

 

当小説はフリーコンテンツです。

「きょう、(小説 三好長慶)」はフリーコンテンツですよ。 - 肝胆ブログ

 

 

 

  

簡単なあらすじ

 

三好長慶は戦国時代の転換点に位置する人物です。
戦国時代が始まった主因……当時の偉い人たちの家督争いを止めて、
時代を統合戦争フェーズ(戦国を終わらせるフェーズ)に導きますが、
彼自身は道半ばで早世してしまいます。

この物語では、彼の幼年期から晩年までを描写しています。
三好長慶の事績や人柄に触れ、そして楽しんでいただければ幸いです。

 

1~10話
 長慶の幼年期~ティーンエイジャー期。
 足利家・細川家の家督争いの中で、長慶は両親を早くに失います。
 悲惨な境遇の中、長慶は挫けずに中央政界で存在感を増していきます。 


11~20話
 二十歳前後の長慶。
 松永久秀を登用したり結婚したりします。
 太平寺の戦いで木沢長政を討ち、長慶の武威は畿内随一となります。


21~30話
 二十代後半の長慶。
 舎利寺の戦い・江口の戦いを制し、遂には中央政権を簒奪します。
 ですが、その代償として、長慶は妻と離縁せねばなりませんでした。


31~40話
 長慶三十代、いまや天下の第一人者です。
 足利将軍を近江に追放し、新たな政体のあり方を模索。
 とは言え、長慶は焦ることなく、民心の安定を優先します。


41~50話
 四十代に入った長慶は河内と大和に侵攻し、五畿内すべてを制覇。
 中央の力を統合した三好家が日ノ本を治めていくのかと思われました。
 しかし、時代が一本調子に変わっていくことはありません。
 天道は三好一族の命を奪い、実力者なき世の酸鼻を知らしめます。


そう、長慶死後、三好家遺臣も、足利将軍たち従来秩序の偉い人も、
上手くリーダーシップを発揮することはできませんでした。
誰かが、長慶の手を離れた火中の栗を拾わねばなりませんでした。
こうして……戦国時代の後半戦が始まるのです。

歴史を前に進めるためには、誰かが試行錯誤し、時には犠牲となって、
社会全体の合意形成を促さねばならないのですね。

 

主な登場人物の紹介

 

三好長慶(千熊丸)
 主人公。
 良く言えば時代の流れを読み切っている慧眼の持ち主。
 悪く言えば思い込みの激しい危ない人。

いね
 長慶の妹。
 田中与四郎に嫁ぐ。気が強いので夫婦喧嘩が絶えない。

三好之虎
 長慶の弟。
 戦がべらぼうに強く、文化を振興し、下剋上までやってしまう。
 地方戦国大名としては長慶より優秀かも。

安宅冬康
 長慶の二番目の弟。
 淡路水軍を率いる関係上、畿内・四国に跨る三好家の要。
 地味に何でもできるタイプ。

十河一存
 長慶の末弟。父の顔を知らずに育つ。
 鬼のように強い。でも肌は弱い。髪型が江戸時代に流行。


三好之長
 長慶の曾祖父。悪のカリスマのような人。
 本編未登場だが悪名だけはしっかり残っている。

三好元長
 長慶の父。
 戦も謀略も銭稼ぎもすこぶる上手いが、気が短い。
 海洋国家の樹立を夢見るが、理解者は細川持隆だけだった。

つるぎ
 元長の妻、長慶の母。
 教養人。武闘一筋の三好家に文化をもたらす。


あまね
 長慶の妻、波多野稙通の娘。
 流されているようで流されていない人。
 名前は丹波っぽく天の音、あるいは雨の音。
 男性名だがまあ稙通の趣味ということで。

三好慶興
 長慶とあまねの息子。
 長慶に負けず劣らず有能な上、長慶と違って根明。
 ただ、両親の離婚には深く傷ついている。


三好長逸
 三好家筆頭家老。
 責任感が強いタイプ。戦でも政でも活躍。
 齢と不幸続きとで、本編終了時点では疲れ切っている。

三好康長
 元長の弟、長慶の叔父。
 早く死にたいと願っているが長生きしてしまう。
 実は喧嘩が強い。


松永久秀
 長慶に抜擢された素性の怪しい人。
 とても優秀だし誠実なのだが誤解されやすいタイプ。
 本編終了時点ではどうしたらいいか分からなくなっている。

松永長頼
 久秀の弟。無口。武勇は家中トップクラス。
 三好家臣の中で最も早く一国を任された男。

龍吉
 松永兄弟と旧知の芸妓。三好家とは何かと縁がある。


おたき
 長慶の身の回りを世話している女中。料理上手。

坪内茂三
 長慶が拾ってきた料理人。
 名前は某料理漫画で有名な先生と、その作品の主人公の掛け合わせ。


細川持隆
 阿波国守護。細川家の一族だが本家とは距離を置いている。
 元長と仲が良く、元長死後は長慶兄弟を後援。
 BLの気がある。

篠原長房
 三好家重臣。主に四国で活躍。
 家中最優の能力を有しているが、妬まれやすい人柄。


斎藤基速
 三好家重臣。元は足利家奉公衆。
 実務や渉外を支えている。 

和田新五郎
 三好家家臣。
 長慶の側近として忠勤に励んでいた。

石成友通
 三好家重臣。
 出世するタイプのサラリーマン。

池田勝正
 摂津の有力国人。
 慶興と仲が良い。武勇では若手有望株。


足利義冬
 足利義晴の兄弟。征夷大将軍になりたい人。
 長慶死後、念願かなって子の義栄が将軍となるが……。

足利義晴
 本編開始時点の征夷大将軍
 苦労して育ったこともあり、将軍親政目指して頑張っている。

足利義輝
 本編終了時点の征夷大将軍
 人柄も能力も意欲も優れているが、時代に恵まれなかった。
 むしろ無能で生まれた方が幸せだったのかもしれない。


細川高国
 本編開始時点の天下人。肖像画がキュートだったりする。
 波多野稙通を怒らせたことが政権崩壊のきっかけ。

細川六郎
 元長や長慶の上司。高国に代わって天下人となる。
 悪いエピソードには事欠かないが、今後の研究次第では
 再評価されるかもしれない人物。 

細川氏綱
 細川高国の養子。六郎と家督を巡って争う。
 六郎に勝利した後は急に存在感が消える、謎の多い人物。
 研究が進めば氏綱有能説とか黒幕説とかも出るのかなあ?


三淵晴員
 足利家奉公衆。
 傾いた会社に残っている有能で忠実なサラリーマン。悲劇だ。
 会社のために力を尽くすが、会社のことしか見えていない。

進士晴舎
 足利家奉公衆。
 傾いた会社に残っている有能で忠実なサラリーマン。悲劇だ。
 会社の汚れ役を一手に担う。

伊勢貞孝
 政所執事
 傾いた会社に見切りをつけているサラリーマン。

細川藤孝
 足利家奉公衆。晴員の子ということになっている。
 細川家の分家に養子入り。
 世の移ろいが見えすぎていて、会社の仕事に身が入らない。


三好宗三
 細川家内衆。長慶の親戚。
 ファンタジーサラリーマン。一人で会社を支えている。
 ワークライフバランスの確保が課題。

三好宗渭
 細川家内衆。宗三の息子。
 家に帰ってこない父親に反発してグレていた。
 更生後は父親譲りの才覚を発揮。

芥川孫十郎
 細川家所属の武将。長慶の親戚。
 戦は達者だが、政治情勢のことを考えるのは苦手。

野口冬長
 淡路水軍の一人。
 安宅冬康と義兄弟になる。


波多野稙通
 丹波の有力国人。怒らせると怖い男。
 娘と仲が良く、息子と仲が悪い。

波多野晴通
 稙通の息子。妹のことをいつも心配している。
 頼りなさそうに見えるが、いざ戦うと強い。


木沢長政
 畠山総州家を下剋上した男。
 日ノ本版易姓革命を夢見ている。
 元長の死、六郎政権初期の混乱はだいたいこの男のせい。

遊佐長教
 畠山尾州家を下剋上した男。
 木沢長政の盟友だが、長政よりもリアリスト。
 ややこしい河内・紀伊を支配するその手腕は本物。


 長政・長教双方に仕える工作員


畠山高政
 遊佐長教死後、ようやく表に出てきた畠山尾州家当主。
 持ち前の家格と武勇で反長慶勢力の糾合に成功。
 本編終了時点では少し丸くなっている。

安見宗房
 木沢長政のフォロワー。
 とは言え、長政と違って勝てない相手には従う。


六角義賢
 近江六角家当主。
 善良で努力もしているのだが、天才には及ばない気の毒な人。
 後に豊臣秀吉の御伽衆となる。彼の苦労話は面白いに違いない。

  
九条稙通
 前関白、藤氏長者
 足利家と仲が良い近衛家への対抗から三好家に肩入れ。
 オカルト話と源氏物語が大好き。

 

武野紹鴎
 堺の商人。
 茶の湯の巨匠であり、連歌も得意。
 長慶兄弟とも宗三とも懇意。

 

田中与四郎
 堺の商人。
 茶の湯で独自の境地を開く。
 長慶とは墓場まで一緒。ふたりはズッ友だょ。
  

素人が50万字の歴史小説を書いてみて考えたこと

 

生まれて初めて小説というものを書いてみた。

その過程で感じたことや考えたことを備忘として残しておきたい。いつか自分で読み返した時に懐かしく思ったり、同じように小説を書いてみようと考えている誰かの参考になったりすればいいなと思う。

大きく3つに分けて、書く前、書いている間、書いた後の順に記していく。

 

書く前

小説を書こうと思いついたのはH26年の夏くらいだったと思う。

公私ともに充実していた時期で、現実逃避というよりは元気が余っているから色々なことにチャレンジしたいという動機だった。

 

まず決めたのは、「何かを創作してネットにアップしよう」ということだ。ネットにはブログや動画などのフリーコンテンツが溢れており、私も日頃からおおいに楽しませていただいている。

とりわけ当時は某フリーゲームRPGの素晴らしい出来に強い感銘を受けていたこともあり、「タダで楽しませてもらっているばかりでいいのだろうか、自分も何かネットに提供するのが筋なのではないか?」と考え始めていたのだ。

少し古い感性だとは思うが、マネタイズ関係なしに好きなものを創って、アップして、知らない誰かに楽しんでもらう。ネットはそういう素敵な空間でもあると思う。

 

次に何を創るか。これは小説、三好長慶を題材にした小説だと即断した。

私は絵が描けない。音感もリズム感もない。プログラミングもできない。ネットに何かを提供するには小説くらいしか思いつかなかった。国語はまあ得意だ。出来はともかく、書いてみるくらいならできるだろうと安易に考えた。

三好長慶を題材にした小説は幾つか出版されているが、10年以上前に発刊されたものばかりで、最近の研究を反映したものは見当たらない。
誰か書いてくれないかなと長年思っていたが、誰も書いてくれないまま時が流れた。だったら自分で書いてみようかという思考である。
ニッチな題材ではあるが、ニッチ故に書けばニッチな同好の士が読んでくれるだろうとも思った。
よし、三好長慶の小説を書こう。


但し、1年は構想に使うことにした。
これは生活上の必要からで、H26年秋~H27年春くらいまでは別件で忙しかったからだ。

この間、主に三好四兄弟のキャラクター、人物像、死にざまなどをずっと考えていた。
思いついたシーンは後でまとめ直す時のためにメモしておいた。
三好家の人物は事績が結構判明している。何年に誰と戦った、何年に誰と茶会を催したというやつだ。
一方で、三好家の人物は逸話が少ない。秀吉期くらいになれば色々な資料が残っていて、この武将は鮭が好きだとかこの武将は訛りをからかわれて凹んだとかの逸話を知り易いのだが、三好家の人物はそういうネタが少ないのだ。
例えば三好長慶は「静か、ストイック、薄味派」らしいということは分かるのだが、生の声や感情が類推できる記録がほとんどないのである。
こうなってくると、年表に載っている事績から逆算して、「こういう人間だからこの時こういう行動に出たのだ」ということを自分なりに考えなければならなくなる。
これはけっこう難しい作業だった。
最終的に三好長慶なら「菩薩にゲッター線を浴びせた感じ」、三好之虎なら……と自分なりに決めることは決めたが、この時点で生半可なものであることは否めない。細部は書きながら考えることにした。
史実メインの歴史小説が少なくてフィクションメインの歴史小説が多い理由が分かった気がした。


H27年の夏は、エクセルを使って全体の構成を整理した。

まず、主だった史実の人物について生年と享年をまとめた。
エクセルの縦行に和暦と西暦を並べ、横列に各人物を並べる。生没年不明の人については勢いで決めた。
誰と誰が同年代だとか、六角義賢長生きだなあとかが分かってこれは楽しい単純作業だった。

次に全何話にするか。
書いたことがないので負担感などはよく分からない。
とりあえず50話にした。長慶が享年43歳(数え年)だからだ。1年1-2話で50話。

エクセルの新しいシートに50行の枠を用意。
左から通しNo.、西暦、和暦、長慶年齢、歴史イベント、タイトル、あらすじを書いていく。
これを50話分埋めるのに、1日1時間くらいの作業で2か月かかった。
だいたい1話1時間の作業だ。
イメージは下の通りである。

 

  西暦 和暦 年齢 歴史イベント   タイトル あらすじ 食べ物
1 1529 享禄2 8 元長帰国   吉野川 享禄二年、父、元長が阿波に帰ってきた……(以下略) 握り飯
2 1531 享禄4 10 大物崩れ   掛かり太鼓 (略) けし餅

 

食べ物の欄があるのは息抜きである。読者のためというより私のための。
三好長慶の人生は辛いことが多すぎて、そればかりを追っていると疲れてしまうのだ。


ともあれ、これでようやく小説を書く準備は整った。

 

書いている間

 

さて書こうという段になって、まず悩んだのが文体である。
筆者が第3者の目で歴史を追っていく感じの文にするか、登場人物それぞれの主観ベースで書いていく文にするか。
なんとなく、人気歴史小説は前者が多い気がする。
実力のある小説家ならば小粋な解説を挟んだりもできる。
私の一番好きな歴史小説吉村昭氏の作品だが、それも前者だ。

しかし、色々試してみたが前者の書き方は断念するに至った。
私の中ではこの時点で三好兄弟くらいしか人物像が定まっていない。こんな状態で客観的に話を進めようとしても、各人物が何を考えているのか私自身もよく分からないのだ。
反対に後者の書き方、各人物の主観で話を進めていくと大変書き易かった。そのパートを書いている間、その人物の置かれている状況や考えや行動に専念することができるからだ。
憧れを模倣するよりは前に進むことが重要である。結局、このまま主観ベースの文章で続けることにした。

この書き方で、色々と面白いことを学んだ。
初登場の人物の主観を書く時は筆が鈍ること。人物像が定まっていないから当たり前と言えば当たり前だ。
反対に、人物像が馴染んでくると、深く考えなくてもすらすら次の展開が思い浮かぶということ。
よく作家や漫画家が「キャラが勝手に動く」と仰るが、それがどういうことなのか私にも少しは分かった気がした。
例えば長慶の妻は、当初ジルオール(PS1)のフレアのような女性をイメージしていて実際にそういう末路まで考えていたのだが、最終的に似ても似つかぬ方向に進んでいった。
そして、こうなってくると楽しいのだ。
自分が考えたストーリーを書くというより、早くこの人物が次に何をするのか知りたいという心境になってくる。
そういう訳で、物語が後半に行くほど書くのが楽だった。


原稿の執筆期間はH27年秋からH28年秋まで。1年少しくらいだった。
ワードでちょうど500ページ。1話10ページ×50話。
「一 吉野川の段」を試しに書いてみたらちょうど10ページだったので、キリもいいから全部10ページにすることにした。

ワード1ページを書くのに平均1時間~1時間半。
1週間で1話を仕上げる感じで進めていった。


モチベーションは、序盤は木沢長政、中盤は三好宗三、後半は三好慶興が支えてくれた。
それぞれ書きながら人物像を考えた結果、愛着が増していった。彼らが死ぬまではちゃんと書こうという気になった。


一番しんどかったのは、まさに、人が死ぬシーンを書くことだ。
すごく疲れる。
体調が悪い人の話を書くと自分も体調が悪くなる。これは主観的な文体で書いているからかもしれない。

歴史考証や言葉の統一も大変だった。
日本語には明治時代にできた言葉が実に多い。主観的に書いている戦国時代の文章からは極力排除せねばならない。
色々調べて頑張って反映させたが、幾つかの言葉は割り切って残した。気づかずに残っている言葉も多いのだろうと思う。
一人称や二人称を人物によって統一するのも面倒だった。
人の呼び方。当時は下の名前をダイレクトに呼ばないものだとは聞いているが、苗字+官職呼びとかにしてしまったら三好●●守が大量発生して訳が分からなくなる。この辺りも相当に割り切った。
改名も、元服と、改名理由が分かり易い長尾景虎以外は割り切った。
波多野稙通に至っては名前も経歴も相当に怪しいが、あえて通説の稙通で押し通した。
これらの作業は大変だが、とても勉強になった。

プロのクリエイターは本当に凄いんだなと身に染みた。
つまらない小説や映画に文句を言ったことがあるが、これからはやめようと思う。

 

書いた後

 

淡々と一年書き続け、完成することができた。
後は、当初決めた通りにネットにアップするだけだ。

小説を書くのも初めてだが、ネットに何かを投稿するのも初めてである。
とりあえず、暇つぶしによく見ているはてなのサービスを利用させてもらうことにした。
こうしたブログサービスもフリーインフラである。
インターネットは本当に素晴らしい。こうしたコンテンツやインフラを支えてくださっている方々に心から敬意を表したい。

元々用意していたものをコピペするだけだから、思っていたより作業は簡単だった。
ブログって、こんなに簡単に始められるんですね。

しかし、あらためてブラウザで見てみると普通のブログと比べて記事が異常に長い。
読む人いるのかこれ、という感じである。
書いている間は書くのに夢中で、分量などに気を使っていなかった。
むしろ、一話10ページ制限の中で削ったエピソードも多かったから、自分の中では絞った分量という認識だったのだ。

ワードファイルの文字数を見てみた。
539,327文字と書いてある。
どれくらいのボリュームなのだろう?
グーグルで調べた。どうやら一般書籍5冊分くらいらしい。
これはあかーん。
どこの誰が素人の書いた三文小説を5冊も読むというのか。

結論。これから小説を書くという人は、まずは短編から始めることをおすすめしたい。


とは言え、こんなブログでもしっかり読んでくださっている方もいるようだ。ありがたいことである。
これからもたまたま訪れた人の暇つぶしとしてご愛顧いただけたら嬉しい。
全国に300人はいるであろう三好長慶ファンが、310人くらいになったら更に嬉しい。


以上、あとがき2/2でした。
短い間でしたがありがとうございました。

 

 

※2017/1/4追記

 

いつの間にかアクセス数がけっこう増えていました。

ツイッターなどで取り上げていただいたようです。恐縮であります。
紹介していただいた方、ありがとうございました。

感想やイラストを呟いてくださっている方もいて、感動しました。
本当に。痺れました。
自分の作ったものに対して、誰かがリアクションしてくれる。
こんなに嬉しいものなのですね。

 

ツイッターのアカウントでも作ってお礼を伝えさせていただこうかと
考えたのですが。

年末年始の休暇中、“ハァハァ、現在のアクセス数ぅ……”みたいになっている
自分の姿に気が付き、けっこう自己嫌悪になりまして。
一度嬉しい思いをすると、同じ感動を求めてアクセス数やリアクションが
気になってしまう。

創作と公開にはこんな面もつきまとうのだなと思いました。
ああ、惰弱なるかな自我。
プロのクリエイターは、こういう葛藤も乗り越えているのでしょうね。


精魂込めて作ったものでも、完成すればそれはもう過去のもので。
いつまでも過去に囚われているのはちょっとなあとも思い。

まあ何が言いたいかというと、

 ・読んでくださった方、本当にありがとうございます!
 ・だけれど一喜一憂する自分は小者だなあ! 

ということです。

 

 

 

 

三好長慶 その能力と評価について

 

10年前、「太閤立志伝Ⅴ」の顔グラに一目惚れし、三好長慶という人物に関心を抱いた。

折よく今谷明氏の「戦国三好一族」が復刊されたところで、希少本ながら運よく書店で手に入れることができた。読んだ際に湧きあがったわくわく感はいまでも覚えている。

その後、天野忠幸氏の著書が次々と発刊されたり、ご当地有志がアピールに努めたり、一部歴史ファンの間で評価が高まったりと、この10年で三好長慶知名度はじわじわと高まってきたように思う。

この記事では、三好長慶に対する私見をまとめてみたい。誰かの受け売りでもなければ学術的でもない、素人の独断と偏見を。

以下、柔らかい話、固い話、柔らかい話と続けさせていただく。興味のあるところだけでも読んでもらえれば幸いである。

 

 

三好長慶コーエー顔グラ(柔らかい話)

三好長慶肖像画は立派なものが残っている。

 

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画像はwikiから拝借した。

なかなかダンディなおじさんだと思う。アルカイックスマイルが似合いそうだ。厳つい武人というよりは柔和、中性的、菩薩的に映るが皆様はどうだろうか。

 

以上が元ネタである。

これがコーエーフィルタを通すとどうなるか、続けて紹介したい。

 

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これは私が一目惚れした太閤立志伝Ⅴの顔グラだ。初対面でも「あっ……この人有能そうやけど幸薄そうやわ」と分かる秀逸なイラストである。力になりたいと思ってしまう寂しい魅力に溢れている。

ちなみに太閤立志伝Ⅴの初プレイで選んだキャラクターは納屋助左衛門で、初めての主命は三好長逸へのお使い、商人司争いで褒めに来てくれたのが三好長慶だった。あの時、ベタに秀吉でゲームを始めていたら三好家ファンになることもなかったのかもしれない。

また、更にどうでもいい話だが、太閤立志伝Ⅴの顔グラは素晴らしいものが多い。武田信玄と武田逍遙軒のニュアンスの違い、ふってぶてしい徳川家康、やたらイケメンな出世後の伊達政宗真田幸村など、見どころがたくさんあるのでおすすめである。

 

続いて、信長の野望シリーズ。

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少し画像が小さいが許してほしい。

信長の野望 創造では従来シリーズの顔グラがすべて参照可能という嬉しい機能がついている。

天下創世・革新では野望紳士、天道では人のよさそうな権力者、創造では凛々しく格好いい感じに変遷してきているが、個人的には太閤立志伝Ⅴと近い印象を受ける蒼天録の顔グラが好きだ。

他に蒼天録では織田信長毛利元就の顔グラがいい。

蒼天録は万人受けするゲームではないが、古い年代のシナリオで遊べたりBGMが良かったり殺伐としていたりして私は好きだ。蒼いいよね。

 

最後に信長の野望最新作の顔グラを紹介する。

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201X版の長慶さん。確かに世の中は三好長慶に厳しい。史実である。

この愉快なゲームの長慶はすぐに腹を切ろうとする鬱大名で、松永久秀三好三人衆も振り回されている。よくできていると感心する。

最近始めたので詳しくないが、201Xでは上杉謙信が格好いいように思う。女性では寿桂尼がかわいい。メガネ尼さんとか最高だ。

 

以上、コーエーさんによる三好長慶の顔グラについて紹介してみた。

偶像崇拝ではないが、ビジュアルから入ってみるのもいいよね。

 

 

三好長慶の事績、能力、評価(固い話)

私の拙い理解だと、戦国時代とは以下のような感じである。

V字の底に三好長慶がいる。100年ぶりの平和へ! Vやで! 三好家。

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室町幕府は足利将軍と有力守護大名による連立政権だった。
乱暴に言えば足利将軍が世襲制内閣総理大臣で、守護大名がやはり世襲制国会議員兼知事のようなものだ。

世襲制の統治体系では、家格と家督というものがキーポイントになる。
応仁の乱は、足利将軍や有力守護大名たちによる家督争いであった。
応仁の乱後に天下の第一人者となった細川家も、家督争いで分裂した。
戦国時代をどう定義するにせよ、その発端は中央政権内の家督争いであったとは言ってよいと思う。何十年も家督争いを続けた結果、中央政権は力も威信も地に落ちてしまった。


現代の東京で……内閣と、国会と、官公庁とがまったく機能しなくなった場景を想像してほしい。
国会議員たちは国会が開かれないので地元に帰っていく。
東京からは何の通達も来ないし、交付税も届かないし、照会しても返事が来ないし、揉め事が起きても仲裁してくれない。
こうなれば、地方自治体が自前で何でも考えなければならなくなる。
税の取り方だとか、産業振興だとか、市町村合併による規模のメリットだとか。

室町時代の人々も同じだった。
当時は選挙制度がない。代わりにあったのが暴力、合戦である。
室町時代の合戦と現代の選挙はよく似ていて、大将の言っていることがもっともらしいとか、正統性があるとか、あるいは勝ち馬に乗れそうとかで、兵数≒票数が大きく変動する。
現代ならば議論や投票で決まるような市町村合併も、当時の人々は合戦で決めるしかなかった。
まして室町時代人は現代人と違って、頭に血が上り易くて、涙もろくて、信心深くて、キレっぱやい。
合戦の数は増える一方だった。
そうして、室町時代は戦国時代になった。

中央政権が乱れれば下層や地方に英雄が現れる。
これはある種当たり前で、中央政権が安定して上下の定めや職務権限が明確になっている時代では、下層や地方の人材は実力の半分も発揮できていないのである。上から言われたこと、自分の役割を、しっかりと果たしてさえいれば食べていけるのだから……。(現代の官公庁や大企業をイメージしてほしい)
反対に中央政権が機能停止すれば、下層や地方の人は自分の頭で決断し、自分の手足を自在に使うことを強いられるようになる。
結果、戦国時代では気の毒な人も続出したが、成り上がったり地方に繁栄をもたらしたりするヒーローも続出した。
どの地域にも自慢の武将がいる、後世から見れば魅力的な時代になったのである。


このような戦国時代、我々から見れば大変面白い時代だが、当時の人々からすればたまったものではなかったと思う。
「誰か早く中央政権を安定させて、日ノ本を安定させてほしい」というニーズを、少なくとも知識階層は有していただろう。
では、どうやって中央政権≒畿内≒天下を安定させるか。
足利将軍、細川家、畠山家という畿内の実力者は、揃って家督争いを続けていた。
本人たちは「俺が家督を継げば争いは収まる、天下は安定する」と思っていたのだろうが、結果として戦火は拡がる一方だった。

要するに中央政権≒畿内≒天下が乱れに乱れた直接の原因は

 ・足利家の家督争い
 ・細川家の家督争い
 ・畠山家の家督争い
 ・いい加減にせえやとばかりに頻発する土一揆・宗教一揆

であり、当事者の足利・細川・畠山では既に解決不能の状態になっていたのだ。
混迷深まる時代、先行きの見通しが立たない時代だったろう。
現代ならば確実にデフレになっているはずだ。

こんな状況に進んで介入したい者などいない。
何しろ争っているのは足利・細川・畠山。当時の基準で言えば天下のBig3である。
まして足利家なんてものは全ての武士にとって創業家兼大株主を百倍面倒にしたみたいな存在で、たとえ兵力や実権を失っていようが、足利家に睨まれてしまったら有象無象の厄介事が起こるのだ。
創業家のパワーについてイメージが湧かない人は某定食屋チェーンの第三者委員会レポートを読んでみるといい。私がH28年に読んだ文章の中では断トツで面白かった)

大内義興という有徳な人がいた。純粋な実力ならばその時代No.1と言ってもいい人である。
彼は中央の家督争いに介入し、三好長慶の曾祖父之長をしばいたりした。
それでも、天下の暗雲は晴れなかった。
しかも中央政権の揉め事に関わっているうちに、大内氏の地元を尼子経久という怪物が荒らし始めた。
仕方なしに大内義興は地元に帰っていった。
既存権力者たる守護大名のエース、大内義興でも解決できなかったのだ。


こうした“終わっている”状況を打開したのが、三好長慶である。

彼は

 ・足利家の家督争いを止めた。(但し長慶死後に再発)
   -義輝との争いより、むしろ義冬を担がなかったことが大きい

 ・細川家の家督争いを止めた。
   -細川宗家の力は長慶時代にほぼ消失した

 ・畠山家の家督争いを止めた。
   -河内畠山家の力は長慶時代にほぼ消失した

 ・畿内から一揆を一掃した。(但し長慶死後に再発)
   -長慶統治時代は土一揆も宗教一揆も起こっていない

現代で言えば社会保障制度改革と少子化対策と経済成長をすべて成し遂げて若者に未来は明るいお金使いますと言わせたようなものだと思う。


しかも彼は、室町幕府秩序的には“天下人になれるはずのない”出自だった。
上記を成し遂げる中で、長慶は“家格”というガラスどころか木目までくっきり見えるような天井を突き破った。
家督争いが100年続く時代の家格である。長慶の前例がなければ、後の天下人たちはもっと苦労していたに違いない。
三好長慶と言えば風流人でシュッとしたイメージがあるのだが、当時の京都人から見れば、はっきり言って彼はヤクザの家の子である。
「思ってたほど大した悪さをしてたわけでもなく、むしろ街に余計な悪者が入ってくるのを防いでいた」レベルの家ではない。
長慶の曾祖父之長はほぼ平松伸二氏の世界観に生きているような外道だし、父の元長もシノギが超上手い上に戦争が超強い極道なのだ。
よくこんな家から、天下を治め、朝廷に出入りし、連歌や茶道を牽引する長慶兄弟が出てきたものだと思う。


あと一つだけ。
最終的に長慶は五畿内(京・摂津・和泉・河内・大和)全てを支配した。
それまでの武家秩序を思えば、五畿内をひとつの家が治めるというのは大変なことだと思う。長慶がその前例をつくったのだ。
後に信長や秀吉が日ノ本一統に向けて進んでいくが、そのエンジンは間違いなく五畿内だった。
もともと中央政権が乱れて全国が乱れたのだ。中央政権≒五畿内がひとつに纏まって攻めてきたら、残念ながら敵う地方はない。


以上が私が特筆したい長慶の功績である。
やはり無理やり現代で例えて言えば、首都圏が100年くらい混乱しているところに被選挙権もない上州ヤクザの倅がふらりと現れて、有力者を全員叩きのめしながらなぜか民には慕われ特例で選挙出て支持率MAXで、いつの間にか首都圏全都県知事兼内閣官房長官になって総理大臣を顎で使うような物語になる。
リアリティがない、Vシネマでもそこまではしないと思うだろう。
それを実際にやったのが三好長慶なのだ。


ファンの贔屓目混じりにはなるが、

 ・父祖から受け継いだ阿波山岳武士自慢の武力暴力。
 ・ややっこしい畿内国人衆や朝廷・諸宗教を纏め上げた統率力。
 ・一揆を抑止し港湾経済街道経済を盛り上げた統治力。
 ・室町幕府細川政権の壟断を可能とした実務力。
 ・低家格をものともせずに我意を押し通した説得力。
 ・時代の牽引と己の生存戦略とを止揚せしめた洞察力。

いずれにおいても天下第一等の能力の持ち主であると言えよう。

これだけの才に恵まれれば相当アクの強い性格になりそうなところ。
日常の長慶は歌と祈りに包まれた、穏やかで粛然とした人物だったようだ。
そして、これだけの天性を尽くしてもなお、長慶の人生は悲惨なままだったのだ。

ずるい。
こんなの、周りにいる人は長慶のことを好きになって当たり前だと思う。
放っておけなくなってしまうに決まっている。

万能。されど薄幸。
同時代人から見ても、現代の我々から見ても。
三好長慶の魅力はここに尽きるのではないだろうか。

 

この他、信長に先駆けて石垣を築いたとか居城を次々に移したとか鉄砲を使ったとかキリスト教を保護したとかもあるのだが、そんなものは当時の畿内に生きる一定有能な政治家なら誰だってそうしたであろうことで、個人的には些末なことだと思う。


では。欠点は、失策はないのか。

甘かった? 野心がなかった?
むしろ上手く隠しているだけでえげつない人物だと思う。
細川家と喧嘩する時は畠山家と仲良くし、畠山家と喧嘩する時は足利家と仲良くしている。
多分、何もかも確信してやっているはずだ。

兄弟や一門に頼っていて体制が脆弱だった?
之虎死後の篠原長房の活躍、松永兄弟にそれぞれ一国を任せた件、石成友通などの多数抜擢と、この時代にしては相当組織化が進んでいる方だ。

政権が短期間しか続かなかった?
足利義輝を追い出していた五年間だけをカウントすればその通りだが。
長慶による首都の実効支配は十五年。私はこちらで評価すべきだと思う。

検地できていない? 支配度が浅い?
確かに。だがそれは、昭和三十年代の政治家に消費税早く入れろというのと一緒でしょう。
どれだけ正しいことでも、タイミングを間違えれば暴動が、政情不安定が起こる。
天文や永禄の頃、まずは畿内の安定、一揆の防止が最優先だったはず。


私が思うに、長慶は天下のため、日本の歴史のためにはほぼパーフェクトだったと思う。
呆気なく死んで、死後に三好家内乱が起こって、畿内の民を再び絶望させて、織田信長……三好長慶の再来を招いたことまで含めて。

ただ、長慶個人、あるいは三好家としては……長慶と慶興の早世こそがやはり最大の失策であろう。

妄想の域に入るが、長慶唯一のミスは初めの妻との離縁ではなかったか。
や、当時の常識としては別れるしかなかったのだけれども。

もし、慶興に弟がいたら。
宗三と争ったとはいえ、畿内争乱の原因が家督争いであるとはいえ、長慶自身が有能な弟に恵まれていたではないか。

もし、長慶の私生活にもう少し安らぎがあったなら。
逸話として伝わるストイックな人物像的に、長慶はストレスを溜め込むタイプだったのではないか。

毛利元就は、最愛の妻との死別後は割り切ったように側室を多く置いて子どもを増やした。
さすがだと思う。
長慶は、初めの妻をいつまでも引きずっていたのかもしれない。

勿論、全ては私の妄想である。

 

他の武将と比べると?

よく比較されるのが三英傑、特に織田信長だ。
天下人としての系譜、ということだと思う。

戦国時代は長い。長慶と後代の人物を比べるのは本来無意味ではないか。
昨今の三好長慶の売り出し方は「ワオ! あの信長より先に!」とかが多くて少しげんなりする。
統治者の仕事はその時代時代で最善の手を打ち、民心の安定と、将来への道筋をつけることだ。
長慶と信長が連続していることは間違いないが、先だ、後だ、どっちが、という次元の話ではないと思う。

それどころか、織田信長のことを「三好長慶のパクリ」と言う人までいる始末だ。
三好長慶ファンが本気でそう言っているなら残念なことだ。
自分の好きなものを褒めるのに、他のものを乏しめることでしか表現できないのだろうか。
織田信長を嫌う人が三好長慶を引き合いにしているのかもしれない。
巻き込まないでほしい。

織田信長については無数の研究がある。
だから、褒めることも、重箱の隅を突くこともできる。
三好長慶については研究が浅い。
現状、私も含めて「三好長慶好き」な人からの褒める系発信しかない。
批判的な研究はまだまだこれからなのだ。

そういう訳で、時代区分も研究深度も違う二人を比べるのは如何なものかと思う。
後代の秀吉や家康となれば尚更だ。
(同じ理由で、長慶と細川政権の比較も正直難しい)

それでもそんな野暮なこと言わんとぶっちゃけどうなん? と聞かれれば、私は長慶≒信長≒家康≠秀吉と答える。
前の三人はキャラクターは違うが、実に有能で、真面目で、責任感が強いタイプだ。
優劣はあまりないのではないか。
秀吉はちょっと違う気がする。優劣というより、ちょっと違う。
長慶・信長・家康は真摯に天下と向き合った感じだが、秀吉は天下を弄んで天下に弄ばれた感じだ。
レアリティで言えば、トップレアは秀吉であろう。


同時代の人物ならばどうだろうか。
私は、三好長慶時代の特筆すべき大名ベスト3は三好長慶北条氏康毛利元就だと思っている。
勝率だとかこの政策を取ったからだとかではない。
それぞれがそれぞれの地域秩序を再構築した、すなわち歴史を前に進めたからだ。

関東は、ほぼ畿内と同じ構図の内乱が続いていた。
関東にも足利がいて、管領がいた。長尾景春とか面白い人物も出た。
そこをなんとかしたのが北条五代で、概ね(三好家+織田家)/2=北条五代と言ってよいのではないか。
氏康はきちんと子づくりもしている。家長の務めも果たしたのだ。

西国は、正直畿内争乱の被害者だと思う。
もしかしたらずっと大内でもよかったんじゃないか。
畿内に巻き込まれた大内が力を落とし、尼子が勢力を伸ばし、なんやかんやですべてを毛利が持っていった。
元就すげえ。一代で西国の混乱を収拾。間違いなく化け物である。
元就もきちんと子づくりをしている。毛利家はずっと後に明治維新でも活躍した。

この三人は甲乙つけがたい。生まれた地域も違う。
畿内だしと言うなら三好長慶優位だろうし、家のことを思えば氏康・元就優位であろう。


他の有名人に例えるなら。
しょうもないテーマであることは無論自覚している。

右のサイドバーのところに、董卓かスッラかと書いた。
どちらも似たような乱世で似たようなことをした人物だ。
ただ、董卓はキャラクターが違いすぎる。
スッラは古代と中世、大陸と島国の違いを考えれば案外似ているかもしれないが、そもそもスッラの人柄についてはパブリックイメージが薄い。

長慶の生涯をあらためて考えてみる。
苦難から逃げずに背負う、身分差を突き抜けた大活躍、薄幸と早世、昔と未来の境目。
分かった。
答は身近なところにあった。
五千円札だ。

文学史における樋口一葉
そう、三好長慶は戦国時代の樋口一葉だった。

これはけっこう一般受けする物言いではないだろうか(笑)。

 

世間評価とこれから(柔らかい話)

上にだらだらと妄想混じりの私見を記したが、今度は世間評価の二大バロメータとして信長の野望大河ドラマについてなど書いてみたい。
コーエーさんとNHKさんには何の他意もない。ご容赦ください。

 

まず信長の野望について。
信長の野望と言えば戦国武将キャラゲーの最高峰である。
キャラゲーだもの。大名も武将もどんどん数値化して盛り上がればよい。
ぐだぐだ言う前に、まずは創造PKにおける能力値をご覧いただきたい。

              ソート      
  統率 武勇 知略 政治   合計 順位  

武勇除き

合計

順位
織田信長 99 87 94 100   380 1   293 1
武田晴信 100 88 94 97   379 2   291 3
毛利元就 97 80 100 96   373 3   293 1
北条氏康 95 86 90 99   370 4   284 5
松平元康(徳川家康 99 86 90 94   369 5   283 6
羽柴秀吉 94 78 97 99   368 6   290 4
伊達政宗 96 88 91 89   364 7   276 11
明智光秀 95 85 93 91   364 7   279 7
北条氏綱 94 82 93 92   361 9   279 7
真田昌幸 94 85 98 83   360 10   275 12
長宗我部元親 93 86 89 86   354 11   268 18
小早川隆景 88 74 95 95   352 12   278 9
尼子経久 93 77 98 83   351 13   274 13
直江兼続 90 78 89 93   350 14   272 15
最上義光 86 85 91 87   349 15   264 22
下間頼廉 88 88 87 85   348 16   260 23
斎藤利政(道三) 90 76 99 82   347 17   271 16
鍋島直茂 87 79 91 90   347 17   268 18
今川義元 93 67 87 98   345 19   278 9
宇喜多直家 85 74 96 89   344 20   270 17
長尾景虎 98 100 83 62   343 21   243 29
島津義弘 97 94 83 68   342 22   248 28
片倉小十郎 87 77 92 86   342 22   265 21
朝倉宗滴 92 88 87 74   341 24   253 25
三好長慶 92 65 87 95   339 25   274 13
佐竹義重 87 90 79 83   339 25   249 27
山県昌景 91 96 81 70   338 27   242 30
藤堂高虎 81 78 87 92   338 27   260 23
蒲生氏郷 89 85 84 80   338 27   253 25
黒田官兵衛 89 70 97 81   337 30   267 20

 

ちなみに、当小説で登場した他の人物はこんな感じである。
未記載の人物はゲーム未登場(芥川孫十郎等)。 

三好慶興(義興) 75 63 69 74   281 --   218 --
三好之虎(義賢) 80 71 82 81   314 --   243 --
安宅冬康 61 51 63 75   250 --   199 --
十河一存 81 87 61 36   265 --   178 --
三好長逸 65 60 64 56   245 --   185 --
三好宗渭(政康) 61 65 55 53   234 --   169 --
石成(岩成)友通 48 51 65 42   206 --   155 --
松永久秀 82 67 93 90   332 --   265 --
松永長頼 70 76 64 51   261 --   185 --
池田信正 63 49 51 64   227 --   178 --
池田長正 55 56 38 44   193 --   137 --
池田勝正 42 46 39 39   166 --   120 --
三好康長 41 43 77 74   235 --   192 --
篠原長房 51 44 69 73   237 --   193 --
十河存春 63 64 49 68   244 --   180 --
十河熊王丸(三好義継) 57 54 41 49   201 --   147 --
七条兼仲 34 81 16 2   133 --   52 --
                     
細川持隆 54 48 57 73   232 --   184 --
                     
波多野稙通 82 76 80 77   315 --   239 --
波多野晴通 55 55 51 47   208 --   153 --
                     
細川六郎(晴元) 59 48 48 71   226 --   178 --
細川昭元 10 14 23 33   80 --   66 --
三好宗三(政長) 46 41 57 55   199 --   158 --
香西元成 53 50 43 49   195 --   145 --
                     
足利義晴 66 31 62 68   227 --   196 --
足利義輝 79 83 54 56   272 --   189 --
三淵晴員 52 37 74 66   229 --   192 --
三淵藤英 39 35 62 57   193 --   158 --
細川藤孝 77 77 85 90   329 --   252 --
                     
細川氏綱 56 39 62 52   209 --   170 --
遊佐長教 63 62 70 50   245 --   183 --
木沢長政 22 47 67 78   214 --   167 --
安見宗房(直政) 39 49 69 61   218 --   169 --
                     
筒井順昭 81 58 77 85   301 --   243 --
筒井順政 57 26 59 70   212 --   186 --
島清興(左近) 88 92 77 45   302 --   210 --
                     
畠山高政 34 40 50 22   146 --   106 --
湯川直光 36 55 43 51   185 --   130 --
遊佐信教 50 55 74 46   225 --   170 --
                     
六角定頼 79 61 81 93   314 --   253 --
六角義賢 55 68 59 42   224 --   156 --
六角義治 44 65 27 37   173 --   108 --
蒲生定秀 61 60 64 60   245 --   185 --
蒲生賢秀 51 56 62 59   228 --   172 --
後藤賢豊 48 50 60 71   229 --   179 --
                     
本願寺証如 70 20 83 87   260 --   240 --
本願寺顕如 85 63 88 97   333 --   270 --
願証寺蓮淳 79 78 67 78   302 --   224 --
                     
赤松晴政 24 36 35 37   132 --   96 --
別所就治 72 65 60 52   249 --   184 --
                     
尼子久幸 80 68 42 50   240 --   172 --
本城常光 74 76 45 25   220 --   144 --
                     
毛利隆元 78 67 81 90   316 --   249 --
吉川元春 93 93 82 65   333 --   240 --
口羽通良 47 47 73 77   244 --   197 --
                     
岡部正綱 59 51 54 63   227 --   176 --
岡部元信 80 74 71 36   261 --   187 --
                     
北条宗哲(幻庵) 30 33 83 85   231 --   198 --
                     
田中与四郎(千利休 58 30 91 89   268 --   238 --

 

上記の通り、三好長慶は千人以上いる武将の中で総合25位、三好家の皆さんは1.5流くらいの水準で設定されているが、まあ充分に評価されている方ではないだろうか。
(細かなパラメータの意味などはここでは説明しない)

三好ファンとしてはもう一声という思いはある。
長慶はできれば北条氏康毛利元就と同格にしてほしい。
家臣の中では三好長逸と篠原長房、池田勝正辺りをもっと評価してあげてほしい。まあ、長慶死後・信長の敵、という意味では長逸の能力は妥当かもしれないが。
そうだ、長慶に「三好家臣の能力に+20」みたいなチート特性をつければいいんじゃない、と思ったりもする。

とは言え、信長の野望は文字通り織田信長が主役のゲームである。
当然、武将能力やバランス取りは信長中心の視点になって然るべきだ。
マーケティング的観点からも、各種設定はマニアックな歴史研究よりも一般ユーザーのイメージに沿っている方がいいだろう。
通説チックな信長の物語では、三好家は序盤戦から中盤戦の境目に登場する中ボスである。中盤戦の眼目は信長包囲網で、最大の強敵は武田信玄畿内周辺では本願寺や浅井家とのエピソードが優先される。

あまり三好家を強くすると話がややこしい。残念ながらほとんどのプレーヤーは三好家のことを知らない。ニッチな三好ファンのために、長慶兄弟と松永久秀辺りを強く設定しておくからそれでいいでしょ、となるのも道理である。

信長の野望織田信長は、革新的で、創造的で、新時代を切り開くヒーローなのだ。いや実はちょっと前に三好長慶が似たようなことをしていまして、みたいなイベントを増やしても大半のユーザーは興醒めするばかりのはず。畿内でぐだぐだしていた三好家を一蹴しました、すごいや信長! という方がプレイを楽しみやすい。
三好長慶の思考ルーチンが“自滅”になっていて糞弱いことも、強AIを積んだら序盤の年代としては強くなりすぎるのだから仕方ない。
うん、しょうがないね。

実際、こんな背景の中でもコーエーさんは三好家に優しいと思う。
ユーザー要望で松永長頼を追加してくれたし。
天道では群雄覇権モードに混ぜてくれたし。
創造では独自政策も入れてくれたし。
自分で操作すれば長慶期の三好家は天下無敵であるし。
能力値も以前は松永久秀三好長慶だったが、最近は研究を反映してか三好長慶松永久秀に修正されているし。
創造の武将FILEや201Xを見れば、コーエーさんが三好家の情報を積極的に追いかけていることもよく分かる。
一番興味深かったのが、創造の三好長慶の武将紹介文が途中で変わったことだ。初めの頃はいつも通り「晩年は息子や兄弟が死んで残念でした」みたいな感じだったのが、どこかのバッチ更新以降は「日本の副王と呼ばれました(エッヘン)」に変わっている。
コーエー社内に隠れ三好タンがいるのだろうか?
これからもさりげなく三好家を強化していってください。


さて、このように三好家武将の能力については理想と現実に折り合いをつけているのであるが、実はそれよりも承服しがたいことがある。
それは摂津と河内の扱いの適当さ、それに河内畠山家の雑魚っぷりだ。
まずは以下のMAPをご覧いただきたい。

f:id:trillion-83k:20161126201810j:plain

見づらいと思うが、これは創造PK1555年シナリオ開始時点の画像だ。

この時、長慶は足利義輝を近江に追っているはずである。だが、足利家が京に居座っている。
OK、仕方ない。足利家もまた人気勢力だ。朽木で支城勢力やっとけというのもしんどいだろう。

別所が三好に従属せず、画面では分からないが赤松家に従属している。うーん。セーフ。

これも画面では分からないが、石山本願寺は三好家を敵視している。もちろん同盟も無期限停戦もしていない。
うーん、そもそも本願寺って大名勢力なのかなあ? まあ、いい。これは信長が主役のゲームだ。仕方ない。

だが。本願寺が摂津の本城になっていて、摂津には他に有岡城しかない。
越水城はおろか、芥川山城すらない。これは……如何なものか。
有岡城はいいんだ。軍師官兵衛の記憶も新しい。
ただ、細川家や三好家の力の源泉は摂津で、その摂津がほとんど本願寺のものというのは……。
摂津は諦めてくれ、三好家の本拠は岸和田城でいいよね。……いいのか?
土佐を二分して一条家と長宗我部家を置いているのだから、摂津も二分してもいいのではと思うのだが。

そして、その代わりと言わんばかりに。
この時期河内畠山家は健在のはずが、既に畠山高政紀州の果てに追いやられている。ちなみに雑賀衆が優遇されているから紀州支配などは当然できていない。
なぜか河内と大和の一部が既に三好家の領地になっている。
時代を五年は先取りしている。

つまり、京と摂津には他の人気者がいるから、三好家には代わりに河内をあげるね。畠山? 文句言うファンなんておらんでしょー! という感じなのだ。
これはひどい
別に畠山ファンではないし河内生まれでもないが、この扱いはひどい。
昔からコーエーさんは河内に冷たい。
創造ではやっと独立国になったが、いつも和泉と一括りにされてしまっている。
畠山高政。遊佐長教。そして木沢長政。河内を彩る個性派武将たちの能力設定も大変にしょぼい。
畠山高政の顔グラだけはやたらイケメンになったが、能力が見直される兆しは一向に見えない。
この時代、少なくとも足利家を凌駕するほどの地力はあるはずなのだが……。
これではとても三好長慶に刃向えない。
ほら、武田信玄を苦しめた村上家なんかはけっこう強く設定されているじゃないですか。
河内畠山家もあんな感じになりませんかねえ。

大東市などは最近三好長慶で盛り上げようとされているが、そもそも戦国時代における河内の扱いの悪さからまずはイメージを変えていく必要があるのではないか。
後に三好康長が河内半国だけで織田信長相手に粘るのだから、河内は相当に豊かで強大な国のはずなんだけどな。

 

 ⇒信長の野望201Xの「三好長慶」 - 肝胆ブログ

 ⇒信長の野望・大志「三好長慶と三好家(1554年厳島シナリオ)」 - 肝胆ブログ

 

 

 

大河ドラマについて。
先ほどの創造PK能力上位30人の中で大河ドラマ化されていないのは、

 ・北条氏綱・氏康
 ・明智光秀
 ・長宗我部元親
 ・最上義光
 ・下間頼廉
 ・鍋島直茂
 ・今川義元
 ・島津義弘
 ・朝倉宗滴
 ・三好長慶
 ・佐竹義重
 ・山県昌景
 ・藤堂高虎
 ・蒲生氏郷

辺りだろうか。
小早川隆景尼子経久毛利元就で、宇喜多直家軍師官兵衛で、片倉小十郎は独眼竜で充分目立っていたので一旦ノーカウントとした。

個人的には北条五代がベスト、他には最上義光鍋島直茂辺りを見てみたい。

三好長慶大河ドラマ化を望む方も多いようだが……。
うーん、難しいような気がする。
時代劇領域でひとつ願いが叶うなら、正直、三好長慶大河化よりも御家人斬九郎DVD化の方を優先してほしい。
大河ドラマは歴史の授業ではなく、その時代最高の俳優と、最高のスタッフとで、最高の娯楽ドラマをつくりましょう、というものだ。
三好長慶は……悲惨な事実は豊富にあって、愉しい逸話はほとんどない、娯楽からほど遠いストイックな人物である。
その生涯はドラマチックだが、娯楽ドラマには向いていない。

それに、信長の野望のところでも色々書いたが、いまは織田信長の物語が強い時代なのだ。
現代の信長は、未来人だろうが料理人だろうが自衛隊(長嶋巨人軍)だろうが女体化だろうが、何でも興味を示して理解して活用して、それでいて力強いリーダーシップを発揮してと。
多様化と専門化が深まる一方の時代に相応しいリーダー像として、ほとんど“神”(八百万的な意味で)の次元に行ってしまっている。
そんな中、三好長慶の存在が幅広い視聴者に受け入れられる気がしない。下手をしたら織田信長の後光を汚すと、感情的なヘイトすら集めてしまうかもしれない。

逆に言えば、いまは人間織田信長もドラマ化しにくいのだろう。
多分、視聴者は尾張統一戦争などに興味を示さない。悩む信長とかも見たくないのではないか。
こうなってくると史実の織田信長っていったいと思わなくもない。

三好長慶で大ヒット大河をつくるには、極めて優れたスタッフに加え、時代的な後押しが必要だろう。
最近の長慶再評価が、昭和30-40年代に起こっていればまた違ったか。
おしん」がヒットする頃まで、“自分を犠牲にしても世の中をよくしよう”と思っている人が多かった時代(幻想かもしれないが)なら、三好長慶は人気が出たかもしれない。
この先、施政者の内面や懊悩に興味を示さない、優れたリーダーシップに触れたこともない人がますます増える世の中で、三好長慶、あるいは一人の英雄譚がヒットすることはあるのだろうか。
実際、群像劇や、夫婦ものや、一担当者もの(豪傑とか奉行とかね)の方がよっぽどリアリティを感じてもらえるのではないか。
もし三好長慶大河がヒットするとしたら、それは“こういう政治家がいないから駄目なんだよ、(自分ではない)誰かが早くこうなれよ”みたいな、ある種の生贄を人々が求める時代になっているのではないだろうか。
そうだとしたら、ヒットしたとしてもそれは悲しいことだと思う。

 

 

最後に三好長慶のゲーム化について。
大東市商工会議所青年部三好長慶のゲーム化を研究するらしい。楽しみなことである。

信長の野望太閤立志伝に並ぶものを期待したい。
無茶を言っていることは無論理解している。

大阪にはカプコンさんがあるのだから、お願いしてつくってもらえたらいいのになあ。
ベルトアクションがいい。
BASARA? 無双? そういうのは戦国時代末期の若い衆に任せておけばよろしい。
三好家は2Dドット。アーケードで勝負だ。

 ・長慶 バランスタイプで苦手な場面が少ないぞ。
 ・之虎 スピードが速いので初心者におすすめだ。
 ・冬康 通常武器が弓。上級者向けのテクニカルキャラだ。
 ・一存 パワータイプで爽快感のあるプレイが可能。
 ・長頼 長慶に近いバランス型。武器と馬の扱いが得意だぞ。

 ※ラストステージでは足利義輝を弑逆するか見逃すか選択可能

妄想するだけならタダである。

 

……気がつけば異常に長くなってしまった。
最後まで全部読んでくれた人がいるのなら感謝したい。

 

以上、あとがき1/2でした。

 

 

 

年表 まとめ

※あくまで小説としての年表です。史実でないものも多分に含みます。

 

三好長慶誕生前

 

応仁元年(1467年) 之長十歳

 ・応仁の乱が始まる

 

文明十七年(1485年) 之長二十八歳

 ・三好之長が土一揆を率いて京界隈を荒らしまわる

 

明応二年(1493年) 之長三十六歳

 ・細川政元足利義材(義稙)を追放し、足利義澄を新将軍に擁立
  (明応の政変

 

永正四年(1507年) 之長五十歳、元長七歳

 ・細川政元が暗殺され、細川宗家の家督争いが始まる(永正の錯乱)

 

永正五年(1508年) 之長五十一歳、元長八歳

 ・大内義興が上洛して細川高国を支援(細川高国政権が始まる)

 

永正十七年(1520年) 之長六十三歳、元長二十歳

 ・三好之長斬首、三好元長家督を継ぐ

 

大永元年(1521年) 元長二十一歳

 ・六角義賢誕生

 ※武田晴信誕生

 ※陶晴賢誕生

  

 

三好長慶の時代

 

大永二年(1522年) 元長二十二歳、長慶一歳

 ・三好長慶誕生

 ・田中与四郎誕生

 

大永三年(1523年) 元長二十三歳、長慶二歳

 ・あまね誕生

 ※毛利隆元誕生

 

大永五年(1525年) 元長二十五歳、長慶四歳

 ・いね誕生

 

大永六年(1526年) 元長二十六歳、長慶五歳

 ・波多野稙通柳本賢治細川高国に造反

 ・三好元長細川持隆・足利義冬・細川六郎が阿波で挙兵

 ※後柏原天皇崩御後奈良天皇践祚

 

大永七年(1527年) 元長二十七歳、長慶六歳

 ・反高国勢が桂川細川高国を撃破、堺公方府立ち上げ

 ・三好之虎誕生

 ・畠山高政誕生

 

享禄元年(1528年) 元長二十八歳、長慶七歳

 ・安宅冬康誕生

 ※大内義興死亡

 

享禄二年(1529年) 元長二十九歳、長慶八歳

一 吉野川の段

 ・三好元長が阿波に帰国、謹慎

 

享禄三年(1530年) 元長三十歳、長慶九歳

 ・細川高国浦上村宗備前で挙兵

 ・柳本賢治が琴に暗殺される

 ※長尾景虎誕生

 

享禄四年(1531年) 元長三十一歳、長慶十歳

二 懸かり太鼓の段

 ・三好元長が堺に上陸、大物崩れ

 

天文元年(1532年) 元長三十二歳、長慶十一歳

三 夏菊の段

 ・三好長慶(千熊丸)があまねに出会う

 ・三好元長が木沢長政の飯盛山城を攻める

 ・一向一揆が蜂起

 ・三好元長が堺の顕本寺で自害し、三好長慶(千熊丸)が家督を継ぐ

 ・十河一存誕生

 ・山科本願寺炎上

 

天文二年(1533年) 長慶十二歳

四 恩讐の段

 ・細川六郎が淡路へ敗走

 ・三好長慶(千熊丸)が細川家と本願寺の和睦を斡旋

 ※朝倉義景誕生

 

文三年(1534年) 長慶十三歳

五 祈りの段

 ・三好長慶(千熊丸)が虚空蔵求聞持法に挑む

 ・細川藤孝誕生

 ※織田信長誕生

 

天文四年(1535年) 長慶十四歳

 ・三好長慶(千熊丸)が虚空蔵求聞持法を遂げる

 ・安宅冬康(千々世)、十河一存(又四郎)が養子に出る

 

天文五年(1536年) 長慶十五歳

六 巣立ちの段

 ・三好長慶元服

 ・天文法華の乱が起こる

 ・三好長慶が細川家奉行として出仕

 ・足利義輝誕生

 ※今川義元花倉の乱を制す

 ※後奈良天皇即位式

 

天文六年(1537年) 長慶十六歳

七 輪廻の段

 ・三好長慶とあまねが再会

 ※この頃羽柴秀吉誕生

 

天文七年(1538年) 長慶十七歳

八 漂流の段

 ・足利義晴朝倉孝景波多野稙通に公方役職を与える

 ・尼子晴久が東進

 ・三好長慶が細川六郎・三好宗三へ河内十七箇所の返還を要求

 ・田中与四郎が武野紹鴎へ弟子入り

 

天文八年(1539年) 長慶十八歳

九 天道の段、十 理世安民の段、十一 いかずちの段、
十二 平蜘蛛の段

 ・三好長慶が細川六郎を招宴する

 ・三好長慶が阿波へ帰国

 ・つるぎ死す

 ・三好長慶が軍を率いて上洛

 ・木沢長政・六角定頼らの仲介で三好長慶と細川六郎が和睦、
  三好長慶が越水城を得る

 ・細川持隆・三好之虎(千満丸)が備前・備中界隈で尼子新宮党・
  本城常光に敗れる

 ・遊佐長教が細川氏綱を保護し、調教を開始する

 ・松永久秀・松永長頼が三好長慶に仕える

 

天文九年(1540年) 長慶十九歳、あまね十八歳

十三 白無垢の段

 ・天文の大飢饉が起きる

 ・三好長慶とあまねが結婚

 ・芥川孫十郎が三好宗渭を締め上げ自身の配下とする

 

天文十年(1541年) 長慶二十歳、あまね十九歳

十四 革命の段

 ・三好之虎が元服

 ・三好長慶波多野稙通らが一庫城を囲む

 ・木沢長政率いる世直し一揆が蜂起、三好長慶波多野稙通らを破る

 ・木沢長政が上洛するも、三好宗三の手引きで足利義晴・細川六郎らは
  難を逃れる

 ※毛利元就陶晴賢らが吉田郡山城の戦いで勝利、尼子久幸死亡

 ※斎藤利政の美濃国盗りが始まる

 ※武田晴信武田信虎を追放

 ※北条氏綱死亡

 ※尼子経久死亡

 

天文十一年(1542年) 長慶二十一歳、あまね二十歳、慶興一歳

十五 亡霊の段、十六 幼子の段

 ・安宅冬康が元服

 ・遊佐長教が木沢長政方から細川六郎方に寝返る

 ・三好長慶・三好宗三・芥川孫十郎らが太平寺で木沢長政を討つ

 ・三好慶興誕生

 ・田中与四郎といねが結婚

 ※九州にポルトガル人が漂着

 ※奥州天文の乱が始まる

 ※松平元康誕生

 ※長尾為景死亡

 

天文十二年(1543年) 長慶二十二歳、あまね二十一歳、慶興二歳

十七 天狗の段

 ・足利義晴細川氏綱・遊佐長教と秘密同盟を結ぶ

 ・細川氏綱が槙尾山で決起するも、三好長慶ら細川六郎方によって
  鎮圧される

 ・篠原長房が十河一存(又四郎)の襲撃を受ける

 ・十河一存(又四郎)と篠原長房が天狗入りを遂げる

 ※本願寺顕如誕生

 ※大内義隆陶晴賢毛利元就らが月山富田城の戦いで尼子晴久
  本城常光らに敗北

 ※織田信秀が朝廷に寄進

 

天文十三年(1544年) 長慶二十三歳、あまね二十二歳、慶興三歳

十八 悲恋の段

 ・堺で三好元長十三回忌が行われる

 ・京で大水が起きる

 ・三好長慶家臣の和田新五郎が細川六郎に処刑される

 

天文十四年(1545年) 長慶二十四歳、あまね二十三歳、慶興四歳

十九 まほろばの段

 ・波多野稙通死す

 ・安宅冬康が鉄砲生産を後見し始める

 ・三好長慶九条稙通から源氏伝授を受け始める

 ※浅井賢政誕生

 

天文十五年(1546年) 長慶二十五歳、あまね二十四歳、慶興五歳

二十 先義後利の段、二十一 鼓動の段

 ・十河一存元服

 ・三好長慶が堺で細川氏綱・遊佐長教軍に包囲されるが、
  会合衆の斡旋で難を逃れる

 ・細川氏綱・遊佐長教軍が細川六郎勢力を次々に攻略

 ・京で土一揆が起こり、公方が徳政令を発す

 ・細川持隆畿内争乱への介入を決意

 ・足利義晴征夷大将軍職を嫡子義輝(菊童丸)に譲る

 ※北条氏康が河越の戦いで勝利、関東の北条包囲網が壊滅

 ※毛利元就が隠居

 ※竜造寺家兼が家を再興し、その直後に死亡

 

天文十六年(1547年) 長慶二十六歳、あまね二十五歳、慶興六歳

二十二 魔導師の段

 ・三好長慶足利義晴・義輝を近江へ追放

 ・三好長慶・三好之虎・細川持隆らが舎利寺の戦いで細川氏綱
  遊佐長教らを破る

 

天文十七年(1548年) 長慶二十七歳、あまね二十六歳、慶興七歳

二十三 松風の段、二十四 どん突きの段

 ・十河一存九条稙通の娘を娶る

 ・三好長慶細川氏綱・遊佐長教が手を結ぶ

 ・琴があまねの護衛となる

 ・三好長慶があまねと離縁する

 ・十河一存が東讃を制圧する

 ・三好長慶・遊佐長教が細川六郎・三好宗三打倒の兵を挙げる

 ※朝倉孝景死亡

 ※奥州天文の乱が終結

 

天文十八年(1549年) 長慶二十八歳、慶興八歳

二十五 藤葛の段、二十六 ウツロの段

 ・三好長慶が遊佐長教の娘と偽装結婚

 ・芥川孫十郎が六角家の新庄直昌を討ち取る

 ・三好長慶・安宅冬康・十河一存・遊佐長教らが江口の戦いで
  三好宗三を討ち取る

 ※フランシスコ・ザビエルが日本に訪れる

 

天文十九年(1550年) 長慶二十九歳、慶興九歳

二十七 村雨の段

 ・足利義晴死す

 ・あまねが鎌倉の東慶寺に移り、三好長慶との縁を切る

 ・三好之虎が阿波ですくもづくり・藍染に成功する

 ・筒井順昭が晦摩衆に暗殺されるが、影武者に木阿弥を据えることで
  露見せず

 ・三好長慶が中尾城に入った足利義輝を近江に追い払う

 

天文二十年(1551年) 長慶三十歳、慶興十歳

二十八 夜討の段

 ・三好長慶吉祥院で刺客に襲われる

 ・三好長慶が伊勢貞孝邸で進士賢光に襲われる

 ・遊佐長教が珠阿弥に暗殺される

 ・三好長慶が千句連歌を催す

 ・松永久秀・松永長頼が相国寺の戦いで三好宗渭・香西元成らを破る

 ※織田信秀死亡

 ※陶晴賢の謀反により、大内義隆が自害(大寧寺の変

 

天文二十一年(1552年) 長慶三十一歳、慶興十一歳

二十九 蝉取の段

 ・三好長慶足利義輝が和睦し、三好長慶が御伴衆に就任

 ・細川六郎が若狭に逃れる

 ・六角定頼死亡

 ・三好長慶が宸筆の古今和歌集を賜る

 ・芥川孫十郎が三好長慶方から離反

 

天文二十二年(1553年) 長慶三十二歳、慶興十二歳

三十 青春の段

 ・三好慶興が元服

 ・三好長慶従四位下に就任

 ・三好之虎が細川持隆を殺害(見性寺の変)

 ・三好長慶が芥川孫十郎を三好領より追放

 ・三好長慶足利義輝を近江へ追放

 ・三好長慶が芥川山城に居を移す

 ・松永久秀・松永長頼が丹波波多野晴通三好宗渭・香西元成らに
  敗れる

 ・あまねが駿河の岡部家に身を寄せる

 ※長尾景虎が上洛

 

天文二十三年(1554年) 長慶三十三歳、慶興十三歳

三十一 洟垂れの段

 ・安宅冬康・三好康長が三好長慶と三好之虎の反目を仲裁

 ・三好長逸東播磨に出兵、七城を抜く

 ・三好慶興が池田勝正を伴い家出

 ※本願寺証如死亡

 ※尼子晴久が新宮党を粛清

 ※今川義元武田晴信北条氏康が甲相駿三国同盟を結ぶ

 ※この頃羽柴秀吉木下藤吉郎)が織田信長に仕える

 

弘治元年(1555年) 長慶三十四歳、慶興十四歳

三十二 無頼の段

 ・三好長慶三好長逸・三好之虎らが東播磨を平定

 ・三好慶興があまねと再会

 ・足利義冬が山口へ出奔

 ・三好長逸松永久秀・松永長頼らが丹波波多野晴通三好宗渭
  香西元成らに敗れる

 ・武野紹鴎死す

 ※朝倉宗滴死亡

 ※毛利元就厳島の戦い陶晴賢を討ち取る

 ※太原雪斎死亡

 

弘治二年(1556年) 長慶三十五歳、慶興十五歳

三十三 大空の段

 ・芥川孫十郎が石見に流れ着く

 ・三好慶興と足利義輝が近江で邂逅

 ・三好慶興が芥川山城に帰還

 ・三好長慶三好元長二十五回忌を執り行い、南宗寺を創建

 ・三好長慶松永久秀滝山城に御成、千句連歌を催す

 ※斎藤義龍長良川の戦いで父斎藤利政を討ち取る

 

弘治三年(1557年) 長慶三十六歳、慶興十六歳

三十四 潮騒の段

 ・畠山高政が安見宗房と対立し、河内から離れる

 ・摂津・播磨・和泉などで高潮が起きる

 ・松永久秀・松永長頼が八上城波多野晴通三好宗渭・香西元成らを
  破り、丹波を制圧

 ・後奈良天皇崩御し、正親町天皇践祚

 ・三好長慶が楠木琴・正虎の朝敵赦免、公方を無視する形での改元
  向けて工作を始める

 ・足利義輝塚原卜伝から剣術指南を受ける

 ※毛利元就・隆元らが防長経略を遂げ、大内家が滅亡

 

永禄元年(1558年) 長慶三十七歳、慶興十七歳

三十五 ひとつの段、三十六 虫かごの段、三十七 渦蜜の段

 ・足利義輝・細川六郎が挙兵、京を窺う

 ・三好長慶足利義輝六角義賢の仲介で和睦

 ・畠山高政三好長慶・三好之虎に河内奪還の助太刀を依頼

 

永禄二年(1559年) 長慶三十八歳、慶興十八歳

三十八 あけぼのの段、三十九 まろうどの段、四十 統治者責任の段

 ・織田信長が上洛

 ・三好長慶が鞍馬で花見を催す

 ・斎藤義龍家臣が上洛

 ・長尾景虎が上洛

 ・畠山高政三好長慶十河一存らが河内に進軍、安見宗房を追放する

 ・本城常光・芥川孫十郎が山吹城で毛利元就吉川元春を撃退
  (降露坂の戦い)

 ・毛利元就毛利隆元が朝廷に献金

 ・畠山高政が三好家に無断で安見宗房と和睦

 ・松永久秀が大和に侵入

 ・朝廷が朝敵楠木正虎を赦免

 ・琴があまねのもとから失踪

 

永禄三年(1560年) 長慶三十九歳、慶興十九歳

四十一 審判の段

 ・三好長慶修理大夫、三好慶興が筑前守に任ぜられる

 ・正親町天皇即位式挙行、三好長慶が警護役を務め御剣を下賜される

 ・三好長慶がガスバル・ヴィレラにキリスト教布教の允許を与える

 ・三好長逸・松永長頼・三好宗渭らが香西元成を討ち取る

 ・波多野晴通死す

 ・田中与四郎・いねが寧波に到達

 ・松永長頼が若狭に進出

 ・六角義賢野良田の戦いで浅井賢政に敗れる

 ・三好長慶・三好之虎らが畠山高政らを破り河内を制圧、
  三好長慶飯盛山城に入城

 ※織田信長今川義元を討ち取る(桶狭間の戦い

 ※松平元康が岡崎城を奪回

 ※尼子晴久死亡

 

永禄四年(1561年) 長慶四十歳、慶興二十歳

四十二 躯の段、四十三 落潮の段、四十四 再会の段

 ・三好慶興が足利義輝の饗応を受ける

 ・三好長慶足利義輝より桐紋使用の許可を受ける

 ・三好長慶・三好慶興が足利義輝の御成を迎える

 ・斎藤基速が晦摩衆に暗殺される

 ・十河一存が有馬で珠阿弥を返り討ちにするが、直後に病死

 ・松永久秀が多聞山城の建築を進める

 ・三好長慶と細川六郎が和睦し、細川六郎は摂津普門寺に幽閉される

 ・田中与四郎・いねが帰国

 ・三好長慶飯盛山城で千句連歌を催す

 ・三好長慶があまねと再会

 ・松永長頼が若狭で朝倉・武田連合軍に敗退

 ・畠山高政が和泉に、六角義賢が京に進出し、三好家と睨みあう

 ※長尾景虎北条氏康の籠る小田原城を攻撃、併せて関東管領に就任

 ※斎藤義龍死亡

 ※武田晴信長尾景虎川中島で四度目の激突

 

永禄五年(1562年) 長慶四十一歳、慶興二十一歳

四十五 葦間の段、四十六 涅槃寂静の段、四十七 遺言の段

 ・三好之虎が久米田の戦いで畠山高政らに討ち取られる

 ・三好慶興らが京から撤退、六角義賢が入洛

 ・三好長慶飯盛山城で畠山高政を撃退

 ・三好長慶・三好慶興らが教興寺の戦い畠山高政らを破る

 ・三好長慶・三好慶興が六角義賢と和睦し、六角義賢は京から撤退

 ・三好慶興があまねと再会

 ・三好慶興・松永久秀が伊勢貞孝を討伐

 ・本城常光が毛利家に謀殺され、芥川孫十郎が石見を離れる

 ※織田信長と松平元康が同盟を結ぶ

 

永禄六年(1563年) 長慶四十二歳、慶興二十二歳

四十八 団欒の段

 ・三好慶興が足利義輝の御成を迎える

 ・細川六郎死す

 ・三好慶興死す

 ・六角義治が後藤賢豊を成敗する(観音寺騒動)

 ・篠原長房らが香川之景と戦い、善通寺が焼失

 ・三好長慶が十河熊王丸を養子に迎える

 ・細川氏綱死す

 ※毛利隆元死亡

 ※三河一向一揆勃発

 

永禄七年(1564年) 長慶四十三歳

四十九 静謐の段、五十 聚光の段

 ・三好長慶河内国人衆のキリスト教洗礼を認める

 ・松永久秀改元を試みる

 ・三好長慶が安宅冬康を成敗する

 ・芥川孫十郎が東国に旅立つ

 ・三好長慶死す

 

 

三好長慶死後

 

永禄八年(1565年) あまね四十三歳

 ・三好義継(熊王丸)らが足利義輝・進士晴舎・久乃を討つ
  (永禄の変)

 ・松永長頼が丹波赤井直正に討たれる

 ・三好家の内乱が始まる

 

永禄九年(1566年) あまね四十四歳

 ・三好義継が三好長慶の葬礼を執り行い、大徳寺聚光院の建設を開始

 ・三好義継が三好長慶の三回忌を執り行う

 ※毛利元就月山富田城の戦いで尼子家に勝利

 

永禄十年(1567年) あまね四十五歳

 ・三好家の内乱で東大寺大仏殿が焼失

 ※織田信長稲葉山城の戦いで斎藤家に勝利

 ※伊達政宗誕生

 

永禄十一年(1568年) あまね四十六歳

 ・足利義栄(義冬の子)が征夷大将軍に就任

 ・織田信長が上洛し、芥川山城に入る

 ・足利義栄死す

 ・足利義昭(義輝の弟)が征夷大将軍に就任

 ※武田晴信が今川家と手切れし、駿府に侵攻

 

永禄十二年(1569年) あまね四十七歳

 ・三好長逸三好宗渭・石成友通らが足利義昭を襲撃するが敗退
  (本圀寺の変)

 ・三好宗渭死す

 

元亀元年(1570年) あまね四十八歳

 ・三淵晴員死す

 ・三好長逸・篠原長房・三好康長らが野田・福島の戦いで織田信長
  勝利(石山本願寺が三好方について蜂起)

 ・朝廷の斡旋で三好長逸・篠原長房・三好康長らと織田信長が停戦

 

元亀二年(1571年) あまね四十九歳

 ※毛利元就死亡

 

天正元年(1573年) あまね五十一歳

 ・篠原長房死す

 ・石成友通死す

 ・足利義冬死す

 ・三好義継死す

 ・三好長逸死す

 ※武田晴信死亡

 ※織田信長が朝倉家・浅井家を滅ぼす

 

天正三年(1575年) あまね五十三歳

 ・三好康長が織田信長に降伏

 

天正四年(1576年) あまね五十四歳

 ・畠山高政死す

 

天正五年(1577年) あまね五十五歳

 ・いね死す

 ・松永久秀死す

 

天正六年(1578年) あまね五十六歳

 ※上杉輝虎死す

 

天正七年(1579年) あまね五十七歳

 ・明智光秀が波多野家を滅ぼす

 ・三好康長が羽柴秀次を養子に迎える

 

天正八年(1580年) あまね五十八歳

 ・石山本願寺織田信長が和睦

 

天正十年(1582年) あまね六十歳

 ・三好康長が織田信孝を養子とすることが内定するが、立ち消え

 ※織田信長が武田家を滅ぼす

 ※織田信長明智光秀に討たれる(本能寺の変

 ※羽柴秀吉山崎の戦い明智光秀を討つ

 

天正十一年(1583年) あまね六十一歳

 ・岡部正綱死す

 

天正十三年(1585年) あまね六十三歳

 ・羽柴秀吉紀伊、続いて四国を制圧

 ・三好康長死す

 

天正十九年(1591年) あまね六十九歳

 ・田中与四郎切腹

 ※九戸政実の乱が鎮圧され、豊臣(羽柴)秀吉による惣無事が成る

 

文禄四年(1595年) あまね七十三歳

 ※豊臣秀次切腹

 

慶長三年(1598年) あまね七十六歳

 ・六角義賢死す

 ※豊臣秀吉死亡

 

慶長五年(1600年) あまね七十八歳

 ※関ヶ原の戦い

 

慶長八年(1603年) あまね八十一歳

 ※徳川家康(松平元康)が征夷大将軍に就任

 

慶長十三年(1608年) あまね八十六歳

 ・芥川孫十郎死す

 

慶長十五年(1610年) あまね八十八歳

 ・あまね死す

 

以上

 

五十 聚光の段  ――三好長慶 光芒となりて消え去り、田中与四郎 天下人の心魂を受け継ぐ――

五十 聚光の段

 

「よしなさい。おなごの指は針仕事、水仕事のためにあるものぞ。弟を打つなどもっての外」

「だって、千満丸が私の毬を盗ったんだもの」

「借りただけさあ」

「いね、お聞き。揉め事、嫌なことは愛嬌で解決なさい。おなごが蛮勇に頼ってはいけません」

「じゃあ母様……どんなに嫌なことがあっても、おなごは我慢して笑ってなきゃいけないの?」

「いいえ。心の底から許せない、天が許しても私は許さない。そう思った時だけは存分に腕を振るいなさい。日頃はにこにこ、いざという時は猛火の如くに。それが女の気構えです」

 

冬康が長慶に斬られた。理由は誰にも分からない。松永久秀の讒言によるという噂だったが、本人は無言を貫いているという。あの老人も、慶興死後は様子がおかしい。哀悼痛惜に任せて改元を試みたり、唐突に隠居を宣言したり。そんな男が果たして三好家乗っ取りを策謀するものだろうか?

三好家中は混乱を極めている。長慶の英明は砕け散ったのかもしれない。いつまで生きていられるかももはや分からない。長慶の代わりも冬康の代わりも家中には存在しない。何よりこれからどうしたらよいのか分からない。分からないから、長逸、久秀、長房がそれぞれ好きなことをやり始めている。長慶の正嫡たる熊王丸は誰の言うことを聞いたらよいのかと戸惑うばかりだった。

更に不可解なことは、冬康の遺骸が消えたことである。冬長が遺体を運んでいくところを目撃した者は何人もいた。長慶の私室にはいまも弟の夥しい血の跡が残る。それなのに墓はおろか、葬儀すら営まれていない。飯盛山城から出ていく際、冬長は“遺体ごと所払いになった”と口にしたというが?

事件の後、長慶は“安宅家・野口家に関わりなし”“肉親間の私事故に詮索無用”とだけ言い残して、そのまま眠りについてしまった。

それから、今日までずうっと眠っている。

あらゆる人間が呼びかけ、いね自身も言葉を幾度となくぶつけたが、何の反応も示さない。

危篤の二文字。口から白湯を飲ませたりはしていたが、みるみる衰弱していることは隠しようもなかった。

まさか、本当にこのまま死んでしまうのだろうか。

「……あり得ない」

やることはやったとでも言いたげな顔で寝ている兄に、深い怒りを覚えた。自慢の兄、敬愛してきた兄、だからといって何をしてもいいはずがない。このまま終わっていいはずがない。やることをやり終えたはずがないではないか!

右手には水葵があった。見舞いに来るたび花をいけていたのだ。ささやかな紫の花弁、衝動。前途洋々たる暴力の発露、護衛や小姓が動く間もなく。妹ならではの至近、長慶の顔面に水葵の束を投げつけ、その上からきつく握りしめた拳を振り下ろした。

「ぐうっ」

くぐもった呻き声。流れ出す鼻血、苦痛に歪む兄の寝顔。

「起きなさい! 起きろ! 起きて訳を話しなさい! ちょっと、聞いてるの! 聞こえてるんでしょ!」

我に返った新兵衛に羽交い絞めにされた。それでもいねは止まらない。涙が溢れてきても構わない。

「冬康を返しなさいよ! 馬鹿! 兄様の馬鹿! いい加減にしないと本当に怒るわよ!」

女だと思って油断していた新兵衛を投げ飛ばす。舐めるな、私は鬼十河の姉だ!

「起きないか! このまま死んでみなさい、私が三好を、天下を奪ってやるわよ! 何とか、言ええ!」

花と血に塗れた長慶の襟元を掴みあげて激しく揺する。起きない、ならばもう一発。そう、思った時。

「――うっ……うむむ。ぬう、この匂い、この痛み……いねか」

「兄様!」

目覚めた! 生き返った! さすが兄様、期待を裏切ったことのない人!

「まだ早い……おなごが天下を握るのは」

「ちょ、ちょっと。本気にしないでよ」

「ふふ。まだ、もう少し……生きていられる。ありがとうな、いね」

歓喜に包まれた。城中から人が集まってくる足音、老若男女の咽び泣き。揉まれて照れたように微笑む長慶の顔を見ていると、もうそれ以上は問い詰められそうになかった。

 

  *

 

起きようと思った時間に夜桜がやって来て、頬を肉球で叩いてくれた。よくできた猫である。

そっと身支度を整え、部屋の外を伺う。新兵衛が居眠りしていた。余計な体力を使わなくてよい、できた家臣である。足音を立てぬように廊下を進む。夜明け前、人の気配は少ない。見張りの者が何度か通りかかったが、どれもやり過ごすことができた。あと、少し。

「殿様」

待ち伏せ。武士ではない、おたきと茂三。

「なぜ分かった」

「料理人というものは……主の様子を主以上に知っておかねばならぬものです」

「……止めに来た訳ではないのだな」

「特別な日には特別な馳走を……これをお持ちくだされ」

茂三から渡されたのは笹で包まれた三角形の弁当だった。

「あまね様に……よろしく伝えてくださいな」

「ふふ。確かに見透かされている」

手短に礼を伝え、飯盛山を降りた。感覚が冴えわたっていた。星明りで充分、足取りもいつになく軽い。

 

追っ手が来ることを想定し、東高野街道から枚方大阪府枚方市)に迂回、淀川の乗合船を利用することにした。若き頃、六郎の配下として働いていた時分にはしばしば乗ったものである。朝日を浴びて大坂を出た船が、昼過ぎには枚方に着くはずだった。

待っている時間、河原の土手に座って早めの弁当を使う。蜻蛉や蝶が飛び回るよい日和、笹の包みを解いてみれば艶めかしい見目のおこわが姿を現した。薄く輝くもち米、その上にはふた粒の梅干しが彩り。おこわの中には程よい形の大豆と細切り昆布が合わせられている。

「さすがは……」

口中に唾が広がった。久しく忘れていた食欲、生の喜び。

箸、おこわの一角を崩す。心地よき固さ。含み、噛みしめた。唾と混ざり合う。味、幸、頬に染み込む。

「ああ、うまいな……」

未練になりかねないほどの。

梅。歯ごたえ。疲れを取るというより、前へ進む力を与えてくれるような酸味。米、喰らわざるを得ない。大豆、塩昆布。旨味を何層にも膨らませて。ああ、足りぬ。物足りぬ。絶食よりも飢えを呼ぶ。

誰も見てはいない。笹の裏側についたもち米までを舐め取ってから、竹筒の水を流し込んだ。

「……ぷう」

そのまま寝転ぶ。草の匂い、肌をくすぐる感触、快晴の空。何もかもが久しぶりで、見納めだった。

 

上り船は満席で、詰めてもらってようやく腰を下ろすことができた。見たところ旅人も行商人も景気は悪くなさそうで、六郎時代よりも人々の身なりは遥かによくなっている。

この手の場では見知らぬ者同士の噂話を楽しむことが決まりである。長慶も何度か話しかけられたが、体調の優れぬことが察知されたかやがてそれも止んだ。無論、笠に隠れて正体はばれていない。

そこからは人々の話題を聞くばかり。東国では北条氏康武田晴信の勢力が盛り返しているのだとか、美濃では斎藤龍興が家臣に城を乗っ取られたのだとか。

畿内はいまのところ平和だけどよう。それもこれも、三好様がいなくなっちゃあおしまいかもなあ」

「そのことよ。あの悪公方がまた色々と画策してるんだろ。これ幸いといらぬことをするに決まってるぜ」

「松永様の増長のせいで、三好家も内輪揉めしそうだって言うじゃないか」

「はあ、また戦の時代が来るのか。いっそ、どこかに移ろうかなあ」

「どこに行っても同じじゃよ……。三好様が特別だっただけなのじゃから……」

自身の周辺にも話は及んでくる。耳が痛い気もするが、もう決めたことだった。

「そんなことより、三好様がお気の毒で」

世間話に加わっていた老婆が突然涙し始めた。

「そりゃあ。まあ、な……」

「確かに……。天下の主だってのに、酷い目に遭ってばかり」

「親を早くに亡くし。妻とは離別、弟と息子には先立たれて」

「善政を敷けば公方や諸大名に憎まれ」

「とうとう頭がおかしくなってしまわれたとか」

「無理もない……。正気を保っていられる方がおかしかろう……」

船の上が一気に沈鬱な雰囲気になった。もらい泣きする者もちらほら出てくる始末、申し訳なし。

……けっこう、よい一生だったと思うのだがな。カカ、民に可哀想と断じられる不思議。

 

  *

 

佳への返信をしたためていた。

岡部家の縁者が間に立って、年に一往復程度は書簡のやり取りをできるようになっている。今川家の内情は悪くなるばかりのようで、文面から浮かび上がる岡部の暮らしからは不安が色濃く匂う。佳だけでも京へ移ってくればと願うが、正綱の立場や今川家への義理を思えばそれも難しいのだろう。大きな流れが一度できてしまえば、変えることも抗うことも難しいのだとあらためて実感する。

いつしか日は暮れ、厚い雲が空を覆って辺りは暗く。晩夏の頃、風のある夜はようよう過ごし易い気配。住み込みの老女に休暇を与えたことを思い出して、あまねは自ら山門を閉めに坂を下った。

「……お前さま」

灯りも持たず、供も連れずに……長慶が立っていた。

目覚めている。息を切らしている。察した事情があまねの胸をぎゅうっと掴んだ。

「すまぬが、泊めてくれ」

是非もない。手を引いて歩くようにして長慶を山荘の内へ招き入れた。それはまるで、旅先から帰った夫を迎え入れるかのようだった。

 

「見舞いに訪れてくれたそうだな」

湯に葛を溶かしたものを長慶は嬉しそうに飲んでいる。

「ちょうど……河内へ行く用事がありましたから」

「ほう、どんな」

「内緒です」

今生の別れを済ませたつもりだった。あの状態から出歩けるようになるとは俄かには信じがたい。これは夢か現か、眼前の夫は本物か生霊か……。

「野暮用を忘れていた」

「あたしはついでですか」

「ふふ。口実を思いついたと言い換えようか」

「……もう」

口を尖らせ腰を浮かして、長慶にもたれるよう座り直した。鼓動、体温、疑いようもなく生きている。

「あまね」

「はい」

「腕を回してよいか」

「いちいち断らなくても……いいですよ」

あれこれと語りあう気にはなれなかった。長慶も同じ思いのはずだ。

「変わらないな」

「変わりましたよ」

繭に包まれているよう。

「……」

「でも」

「ん?」

「お前さまは変わらないですね。ずるい人……そう、あたしを溶かしてしまうこの薫り」

「そなたこそ。私を和らげるこの香り、ずっと……焦がれていた」

慶興が。ああ、慶興のお蔭で。これこそ女の業、女の輪廻。あたしはいま、こんなにも浅ましいのに。

「今日だけ……あたしに触れるのは……特別です」

「ちっとも幸せにしてやれなかったな」

「……あたしはいま、けっこう幸せですよ」

身体を抱く腕に力が入った。あまねの背、長慶は泣いているのかもしれない。

 

  *

 

朝からの驟雨、庭のどこかで粒の大きな天水を喜んだ蛙が鳴いている。

義輝の屋敷には専用の練武場を新築していた。生前の慶興が寄贈してくれたこの施設、雨の日でも患うことなく剣を振るうことができる。思うところはあるものの、建った以上は使うことが供養だと信じた。

稽古の相手は藤英である。懸命ではあるが、藤孝に比べれば腕前が数段見劣りするのは否めない。剣術を好まない父の晴員は晴舎と共に隅の方で見物しているだけだった。

どれだけ汗を流しても屈託が消えない。肌にまとわりつくような嫌な悪寒、身体の奥で着火を待っている情熱。すべてを消し去りたいと願うが、思えば思うほど精神は乱れる一方である。剣は正直、義輝の内を表すように太刀筋も一向に定まらなかった。

「う、上様! 一大事にござる!」

警護の若侍が叫ぶ。藤英と晴舎がすぐさま義輝の前に立ち、報告の続きを促す。

「みみ三好殿、臥し、臥しているはずの……」

呂律が回らない彼の奥から、涼やかな薄藍衣装の侍が入ってきた。

なんと三好長慶である。随分痩せてしまっていたが、両の脚でしっかりと床板を踏みしめるその立ち姿、従来以上の充実を有しているように伺える。明日をも知れぬという噂、当てにはならないものだと思った。

「久しいな、長慶……。どうした、身体はもうよいのか」

何か言おうとした藤英を制して自ら問いただす。なぜか、自分の力で向き合うべきだと感じた。

「ちょっと京へ寄ったものですから。……如何でしょう、私にも剣の稽古をつけていただけませぬか」

「い、いくら三好殿とて、いきなり現れてそれは無礼でござろう! 第一その病み上がりの身体で……」

「試してみてはどうです」

「な、なんだと」

長慶の挑発。藤英が目で義輝に許可を求める。咄嗟のこと、止める理由は思いつかない。早合点した藤英は木剣を長慶に貸し与え、練武場の中央へ誘った。

向き合う。二人とも中段、意外なことに長慶の構えが様になっている。静かで、漲っていて。

「すら!」

藤英の一太刀。長慶の頭をかち割るほどの、馬鹿者、加減を知らぬのか。だが、木剣は僅かに長慶へ届かなかった。いや、長慶が紙一枚ほどの距離で見切ってかわしたようにも見えた。

「なっ……、ぬ、ええい!」

連撃、やはり寸前で当たらない。間違いなく、長慶は見切っている。まさかこの男、これほどの。知らぬ、聞いていない。文弱、しかも病人。荒事は人に任せる男ではなかったのか。

「おのれ!」

頭に血が上った藤英の大振り。その機先、振り上げた藤英の手首に長慶が木剣を置いた。さりげない、いつの間にかの動き。腕を伸ばしただけ、何の力みも見られず……されど。

「ぐ、あああ!」

折れていた。あれだけで、藤英の手首が。ざわつく場内……寒い。汗が冷えている。

転がる藤英に代わって、晴舎が中央に進んだ。彼が出たということは、ただ事ではないということだ。

「わしが相手しよう」

晦摩衆頭目。老いたとはいえ、日頃隠しているとはいえ、その武芸は奉公衆随一である。

「ありがたいことです」

長慶が晴舎に礼を述べた。なぜ? まさか。気づくのが遅れた。逃げろ、晴舎。

今度の立ち会いは一瞬で勝負がついた。構えた二人が交差した途端に、どこかの骨がへし折れる音が響いたのだ。晴舎、顔に脂が浮かんでいる。見たことのない彼の悶絶姿、鎖骨を砕かれたようだ。

「さ。次は……晴員殿ですかな」

呆然と見ていた晴員に向かって長慶が微笑みかける。瞬間、長慶の身体が光に包まれたかに見えた。誰かいる、何人もいる。長慶の周りに……あれは慶興。之虎、一存。馬鹿な、六郎まで。まだまだいた。数限りない光の人影が長慶に聚まっていく。こ、これはいったい。

「あ、ああ、能わず! 能わず!」

晴員も同じものを見たのか。怯え、腰が抜けた態で後ずさりを始めた。

「……」

長慶が入口に群がっていた若侍どもに視線を送る。それだけで全員が悲鳴を上げてしまった。

「お待たせしました。始めましょうか、上様」

木剣の切っ先を義輝に向けてきた。大きい。光の巨人と化した長慶、余を見下ろして何を望む。

「……首か」

単身、足利公方に殴り込みをかけてきた。復讐のため、あるいは後始末のために。

「いまがその時です」

「な、何を申しておる」

「命を燃やす時が来た。そう教えて差し上げました」

言葉ではない。長慶の光が自分の心魂に火をつけた。身体中が燃えるようにたぎり出す。

躊躇、消えた。恐怖、失せた。目、頬、背骨、足先指先まで熱が流れ込む。

「生まれ持った輝きに身を投じてこそ!」

吠えていた。思考して放った言ではない。

「……大河の実りを願う心には。因縁、今日こそひたぶるなり」

対峙。即踏込み、剣! 合わせられた、競り合い!

「定かならず」

軟らかく体を引き込まれたかと思えば、したたかに投げ飛ばされていた。かろうじて受け身、前転。そんな、剣で人を投げられるのか。

「何者だ! 三好長慶!」

「……」

ゆらりと長慶が動いた。袈裟懸け、遅い。防げる、いや、防げない! 重い! 緩やかなこの、攻撃とも言えぬ攻撃が。後退、震え、下半身。初めて。これが、命を懸けた決闘か。駄目だ、やられる……。

「上様! お気を強く!」

晴員。忠心が恐怖心を凌駕したか。

「上様!」

「惑わされているだけですぞ、上様ならば」

青息混じりでも藤英と晴員が。へこたれていた護衛たちも義輝に声援を送り始めた。

将軍が前線、奉公衆が後陣。これは異なこと、あ、長慶がうっすらと笑っている。

「……余は、すっきりとしておる」

「ふ。そろそろ仕舞いましょう」

力が湧いてくる。声援、期待、こんなにも。そうか、これがひとつか。そうか、だから長慶が笑ったのだ。

「ここに我あり――。勝負!」

摺り足から一息に飛び込み、兜割を仕掛けた。長慶、待ちわびたように木剣で防ぐ。光、集束――。

 

“ごとり”。

切断した長慶の木剣が床板に転がった。その時、世界は義輝一人だけのもので、皆のものでもあった。

「……よい土産話ができました。さすがは上様、私の負けですな」

木剣の切れ端を拾って親しく語りかけてくる。精を使い果たしたかのような、その顔は死人のように白い。

「……」

義輝の未練を溶かすためにやってきた。そうとしか思えなかった。

――だん、だんと無骨な足音が響いてくる。長慶に何か応える前に、新たな闖入者が現れた。

「長頼か……疲れた。運んでくれ」

松永長頼。全身がとことん雨に濡れている。たまたま在京していて知らせを受け、取るものも取り敢えず駆け付けたというところだろう。倒れかかった長慶を両手で大事そうに抱き上げ、目礼だけをして去っていく。家中一同、本当に礼を知らぬ者どもだ。

「能わず……理解、能わず」

締めくくるように晴員が呟いた。

 

  *

 

「冬長殿ではないか」

孫十郎の呼びかけに男が足を止めた。正しく野口冬長、幾分老けてはいたが息災のようである。

「これは孫十郎殿。お懐かしや……」

「そうか、お主も所払いになったのだったな。いったいお主も冬康殿も何をしでかしたのだ」

「……いまだに分からんのです。ただ、“二百年でも三百年でも眠っておれ”と」

「ああ? なんだそれは。長慶の奴、本当に狂ってしまったのか」

冬康が長慶に斬られ、当の長慶は何も語らず死線を彷徨っている。不条理なこの事件は当世最大の謎として評判になっていた。

「土佐へ渡ろうと思って。三好家もわざわざ土佐へ攻め寄せたりはしないだろうし」

「ははは、それで黒江潟(和歌山県海南市)に。どうやら似た者同士のようだな、わしも房総へでも移り住もうかと思っておるところよ」

「房総って、東国の房総のことですか」

「おう。紀伊の水軍もすごいものだな、海を越えてどこへだって移り住んでしまう」

冬長に海運を語るなど釈迦に説法ではある。人恋しさのあまり、多弁になってしまっている自分がいた。

「孫十郎殿はいままでどちらに」

「石見の本城家で厄介になっていた。毛利の謀略でふいになったがな」

「あの本城常光殿の一件かあ。尼子も昔日の勢いがありませんね」

「そうだな。わしらが若い頃は、尼子と聞けば畿内中の民が震え上がったものだが」

「それで、いまは潮待ちという訳で」

「うむ。この辺りも面白いものだな、塗り物や酒造りなどたいしたものよ。そうだ、“踊り弁天”は知っているか」

「初耳ですね」

「漁民が海で助けた女人。潮で目・耳・喉を揃ってやられ、何年もじっとしていたのに……。最近になって思い出したように舞を披露するようになったそうだ。音もないのに、こう、ひらひらっとな。その踊りがあんまり見事だから、近頃じゃ弁天様の使いだって言われているのだとよ。しかも、すこぶる美人という噂でなあ」

「へえ。珍妙なことが起こるもんだ」

「どうだ、これから一緒に見に行かないか」

「いや……遠慮しときますよ。人を待たしてるんで」

所払いになった者が、それこそ珍妙なことを言うものだ。十数年ぶりに知己に出会えた喜び、無理にでも引き止めようと粘ったが、冬長の意志はどうにも固い。

「そうか、ならば仕方なかろう。……もう、会うこともないだろうな」

「ええ。お目にかかれてよかった」

「さらばだ」

「はい。おさらば!」

冬長には追放された者の持つ悲壮感がなかった。何か、いまも使命を帯びているかのような……。

よそう、わしには関わりのないことだ。冬長が見えなくなるまで待って、孫十郎は次の一歩を踏み出した。

 

  *

 

堺、南宗寺。高弟の笑嶺宗訢を従えた大林宗套が諦めたように呟く。

「聚まった光が天に還ろうとしておる」

与四郎も笑嶺宗訢も、黙して老師の言葉を咀嚼する。

「在家菩薩――。あの男は、人と仏の境目に生きておったな。世はそれを……狂人と呼ぶのであろう」

「……」

「白から黒へ、光から闇へ。因果の極み、未曽有の流転の中で……我らもまた、禅を見出さねばならぬ」

 

飯盛山城、七月朔日。

「私が逝けば……いねの相手を与四郎一人でせねばならぬぞ」

「ううむ、考えるだに恐ろしい……」

からかった長慶が笑う。その笑い方がいかにも緩慢で、遂に時は来たのだと悟った。

「与四郎」

「……なんだい」

「与四郎の点てた茶を……飲みたいな」

「よし……分かった」

風炉を用意し、静々と湯を沸かす。与四郎が用意する間、長慶は臥したまま何も言わなかった。

 

「よい、塩梅だ」

「よかった」

「落ち着く……心魂を平らにしてくれる」

上体を起こして、温かそうに茶碗を手にしている。死に往く寸前、長慶はますます長慶である。

「千殿……。ひとつ、教えてくれないか」

「どうした」

「天道を全うするとは、どんな気持ちなんだ」

一拍、長慶は目を瞑って考えた。

「……素晴らしいことだよ」

「私にも、できるかな」

「与四郎なら……できるさ。私が請け負う、祈っている」

「……できる気がしてきた」

「ははは」

天の声は既に聞いた。茶の道で、田中与四郎は三好長慶に成る。三好長慶を超えていく。

「私からも、いいかな」

「後生だ、何でも言ってほしい」

「あれを……私の墓に」

友の視線は、与四郎が贈った樹に向いていた。

「千殿……ありがとう」

「与四郎、ありがとう」

瞳、光が瞬いている。長い時間、そのまま見つめあった。

「ありがとう……」

もう一度、何かに感謝して……長慶は目を閉じた。

 

長慶は、七月四日にこの世を去った。

 

  *

  *

 

平和は一年と続かなかった。足利義輝が弑逆され、続いて三好家の内乱が起こった。

延々と内輪で争ううちに織田信長が上洛し、三好家に代わって天下を治め始めた。

長逸・宗渭・友通は長慶の遺した負の因業を背負って死んでいった。

久秀は長慶の代わりを探し求め、見つけられずに爆ぜ散った。

長頼は不覚を取って討たれた。

長房は妬まれて殺された。

信長の統治は長慶と同じく十五年に及び、その権勢は長慶を大きく凌駕するものであった。

 

羽柴秀吉は長逸や久秀の轍を踏まなかった。

民も望まなかったのだ。

織田家の内乱を直ちに鎮めた秀吉は、日ノ本の惣無事、現世愉楽の結聚に向けて走り出した。

もうすぐ、長慶の生まれ育った四国も、三好家が苦戦した紀州も、秀吉一人のものになるのだろう。

京に与えられた隠居所。無数の位牌に囲まれて康長は祈る。

元長とつるぎの冥福を。

持隆の安らぎを。

長慶と弟妹の静寂を。

慶興ら若き魂魄の再生を。

死んでいった者たちとの巡り会いを――。

 

長慶の死から二十年。

三好の時代は過ぎ去り、世に幽かな残響を留めるのみである。

 

四十九 静謐の段  ――三好長慶 河内キリシタンを保護し、安宅冬康 兄の手で引導を渡される――

四十九 静謐の段

 

天下は静かだった。

――静かの中には強い怒りが隠れている。三好長慶の存在が、かろうじて暴発を食い止めていた。

 

教興寺の合戦の後、六万以上に膨れ上がった三好軍はたちまち河内や大和に拡がっていた畠山方を駆逐してみせた。そして、その矛先が次に京の義賢を狙ってくることは明らかだった。

それは、心底からの恐怖であった。三好家は悪鬼の巣窟だと晴員は言っていたが、之虎・一存を失ってなお余りある勢いはまさしくその通りで、都を上手く治められずに右往左往していた六角家では勝てるはずもない。結局、土下座に近いことまでやって和睦を結び、京を再び三好に返還するしかなかった。

交渉の際、相手側の筆頭に立ったのが三好慶興である。二十を過ぎたばかりのあの若造、以前会った時より更に威風を増していて、倍も生きている義賢を圧倒するほどになっていた。自分がいまだに定頼の幻影に悩まされているというのに、息子の義治は自分そっくりな凡夫だというのに、この慶興からは長慶に肉薄し、やがては超えていこうという自尊心を感じるのである。義賢にとっては京を明け渡すことより、この幻日のような次世代の勃興を見せつけられたことが何よりの屈辱だった。

その慶興が急死した。黄疸が出たということだったが、毒殺の疑いが濃厚にあった。疑われたのは家臣の松永久秀足利義輝と公方奉公衆、畠山高政紀伊地侍衆、それに義賢と甲賀衆だった。もちろん、義賢には覚えのないことである。京撤退以降は家臣や国人衆の統制がもはや不可能になっていて、その懐柔にかかりきりだったのだ。

六角家中は割れている。後藤賢豊はいまも晴員と連絡を取り合い、打倒三好を訴えていた。公方を援け、あるべき秩序を取り戻してこそ六角家の再興は成るという主張である。父の定頼からよくよく薫陶を受けた賢豊には六角家臣としての誇りが漲っていた。それは、もしかしたら義賢や義治以上にも。

義治や蒲生父子は三好との和平を模索しようとしていた。もともと義治は融和を旨とするところがあり、土岐頼芸を追った斎藤氏とすら同盟を結んでいる。本音では目先の戦から逃げたいだけかもしれないが。蒲生は内政に優れた一族であり、三好と、三好が支配する畿内商人と対立するのが嫌なのだろう。

義賢は両派それぞれによい顔を見せながら、何とか内部闘争を避けようと尽力してきた。慶興の急死と長慶の消耗で三好家は特段の動きを起こしていない。だからこそ畿内は平穏なのだが、その実、三好の家来衆は復讐に燃えている。教興寺の戦から一年以上、既に十分な蓄えも取り戻している。あの六万の兵が近江に雪崩れ込んできたら……ましてや六角家には慶興殺しの嫌疑すらかかっている……!

いま、家中で争っている場合ではない。下げたくもない頭を下げることにすら慣れてきていた。

「大殿! 一大事にござる!」

小姓が血相を変えて部屋に入ってきた。

「なんだ、騒々しい」

「殿が、義治様が後藤殿を成敗いたしました!」

「な、な、なんだってえ!」

 

  *

 

「これから九条殿と面会なのですよね!」

「さすがは石成殿」

「あやかりたいものよのう」

身なりを整え京の三好屋敷に現れた友通を若い連中が囲む。どいつもこいつも零細国人の倅や、元は武士ですらなかった者たちである。同じように無名の出自ながら、いまでは三好家重臣にまで成り上がった友通は彼らの理想像なのだ。

「……よせよ。長逸殿の付き添いに過ぎぬ」

謙遜しながらも、公家界の噂話などを披露してやる。重臣級でなければ触れられない情報というものがあって、たいした内容でなくても若い衆は喜んで聞きたがるものだった。上役として大事なのはせっかく慕ってきてくれた者に何か見返りを与えてやることで、仕事を増やしたり説教をしたりすることでは断じてない。

 

長逸、宗渭と上京を進む。

近頃はこの二人と行動を共にすることが増えてきた。三好家筆頭家老たる長逸に、摂津国人や六郎旧臣からの信望が厚い宗渭、それに実務方を束ねる友通。松永兄弟や篠原長房が目立ちがちとはいえ、実力ではこの三人衆が他の派閥を圧倒していると言ってよい。

公家街の中、ある館に細川藤孝が入っていくのが見えた。

「……ふん」

昔からどうも気に食わない。幕府奉公衆という名門の生まれ、細川家傍流の名跡、気品ある振る舞い、余人を寄せ付けぬ教養の深さ。友通の劣等感を刺激する要素をあまりにも持ち過ぎているのだ。

「どうした、石成殿」

「蠅が飛んできただけだ」

宗渭が声をかけてきたが軽く流した。

藤孝は近頃公方に出仕していないと聞く。義輝や晴員の憎しみを買ったのかもしれない、よい気味だ。

 

「早急に養子を立てなあきまへんえ」

言葉とは裏腹な、もったりした口調で稙通が言う。

「いかにも」

「大事なんは三好家中の安定どす」

「世の平穏に繋がる人選を心掛けましょう」

「せやなあ。誰でもええちゅうもんやないわなあ」

長逸と稙通、みなまで言わないが腹の中は一致している。

三好家の後継者は十河熊王丸で決まりだろう。順序で言えば之虎の子となるが、熊王丸とは血統が違い過ぎた。九条家に連なる熊王丸なら、畿内の慰撫によい影響を与えることは間違いない。

「新たな若殿を迎え、家臣一同盛り立てていく所存にござる」

「長慶はん、近頃はめっきり姿を見せんようになってしもて」

「……実務を下に任せ、人を育てようという意向にて」

「数で補わんと、慶興はんの穴は生まれへんわなあ」

慶興死後、長慶も床に臥せるようになった。長年隠していたようだが、身体の衰弱はもはや誰の目にも明らかである。もとより養子の熊王丸に実力などは期待されておらず、真の実力者たる冬康は“安宅”の分を弁えてか前面に出てこようとしない。今後三好家は重臣による合議制に移行していく見通しだった。

「主君に比べ、自らの力量不足を恥じるばかりです」

「そんなん言うたらあかん。麻呂は、長逸はんに期待してますよってに」

「それがしなど」

「その己への厳しさ、熟練の知恵武者ぶり。麻呂だけやない、二条はんも近衛はんも」

「およしくだされ」

「朝廷は長逸はんの味方や。……これからも、よろしゅうに」

縋っているのは九条か、長逸か。三好が揺れれば京の治安は悪化する。公家の後援がなければ京の統治は困難を極める。利害は一致していた。まして稙通からすれば、色里から湧いて出てきた久秀よりは長逸の方が余程信頼できることだろう。

臥しているとはいえ、長慶の判断は明晰である。長逸たち家来をよく抑え、公方や六角氏に対しては何らの報復もさせていなかった。だが、海を渡った讃岐では、四国衆が香川氏を相手に衝動任せの荒い戦をやって善通寺が焼失するという失態が起きている。もっとも、あの戦は長房と四国勢の示威行為なのかもしれないが……。

いま誰もが恐れているのは、同じような争乱が畿内で発生してしまうことなのだ。

 

「聞いた通りだ。思うところは色々とある。されど、我らは天下の平穏を第一に考えねばならぬ」

「……無論」

「同じく」

「殿の名を辱めてはならぬ。くれぐれも軽はずみな振る舞いはせぬよう……」

長逸は疲れていた。そもそも、隠居してもおかしくはない年齢なのである。この苦労人が動くなといえば、宗渭も友通も同意するしかない。

友通自身はさっさと義輝を弑逆した方がよいと考えている。忘れはしない、何も知らぬ童を使った長慶暗殺の陰謀。あんなことを考える外道は死んだ方が世のためだ。長逸だって、本心では誰よりも悲しみ、憤りに身を焦がしているはずだった。

自分たちには六万を超える兵力があるのだ。公方を廃しようが、そのことで全国の大名が攻めてこようが、いまの三好家ならば軽々と撃退することもできよう。

(とはいえ、殿や長逸殿がそう言うならそうしよう。宮仕えは上の意向あってこそ……)

 

  *

 

一際冷える夜。新月、墨を塗りこめたような闇の帳。

寝付けず、死んでいった者たちのことを考えていた。先日、淀城に軟禁されていた細川氏綱も死んだ。六郎、慶興、氏綱、畿内権力の核となっていた者たちが次々と消えていく。長慶は老いた。畠山高政紀伊に逃げ落ちた。六角は観音寺騒動で更に弱体化した。

天下から活力が失われようとしている。このような状況で将軍親政を成し遂げたとて、それは死人の王と変わらないのではないか。慶興の命、独りよがりかもしれぬが、友情……を犠牲にしてまで、冷たい墓石の上に自分は君臨したかったのだろうか。

傍らで眠る久乃の温もり。確かな生の証、汗と体液の匂い。思わず、強く抱きしめていた。

ううん……か細い吐息が漏れる。

暗さも虚しさも幾分か紛れる。

眠れるか。そう感じたのも束の間、怖じ気が走った。気配、殺意。何か、居る。

「……何奴」

「迎えに参った」

姿かたちなく、声だけが寝所に響く。久乃、深く眠っている。たいしたおなごだ。

「姿を見せよ」

「笑止」

「迎えとは」

「雲の上へ」

頭上。馬鹿な、天井が割れた。板、木材の崩れる音、重たい何かが降ってくる。

太刀を……不覚! 義輝の上、既に馬乗りになっている。腕を振り回すが相手には届かない。重心の使い様、なんと巧みな。下の義輝が抵抗する力を吸い取るような制圧を……。

刺客の顔。仮面、突起物、これは天狗の鼻か。どういうことだ、余はいったい何に襲われている。

「三好の者か」

「万民の祈りだ。足利公方、お前たちさえいなければ」

「余が何をした」

「未来を奪った!」

「天狗が慶興の味方か!」

「天狗は大空の使いだ!」

首を掴まれた。強力、このままでは。馬鹿な、むざむざ、この義輝が。

「違う……余は……余は、慶興に、惚れて……」

「謀るか!」

「やめてえ!」

久乃、目覚めたのか。やめろ、逃げろ。

「私です! 私なのです!」

天狗の力が緩んだ。咄嗟に身体を捻じり、横転気味に逃れる。太刀、掴んだ!

「おのれ物の怪!」

剣気を放つ。宝刀童子切、八大天狗が相手でも不足せぬ。

「女……」

殺気が久乃へ。まずい。刃、抜き打ち――空を斬った、天狗は再び頭上へ。

「かかってこぬか! とことんやり合おうぞ!」

「……燻る将軍、死霊揺らめく佞臣。見抜いたぞ。足利義輝、哀れな男よな! 器量も武勇も飾るため、一個の人間として何ら願いの叶わぬ愚図な一生! よう分かった、甲斐なき余命を愉しむがよいわ! 空よ、月と太陽の巡りよご高覧! くく、滑稽無様な上様を慈しんでやるがよいぞ! はあっはは……」

「愚弄! 天狗風情が!」

崩れた天井に向かって何度も刃風を送るが、天狗の笑い声は徐々に遠ざかっていく。

言われた。最も指摘されたくないことを言われてしまった。

あんな化け物が相手であっても。一度でいい、全力で戦ってみたかった……。

 

晴舎と晦摩衆が捜索に努めたが、暗殺者の正体はついぞ分からなかった。

無理もない。人が英知の限りを尽くして暗殺に手を染めれば、防ぐことも暴くこともできないものなのだ。だからこそ暗殺は禁じ手であり、卑しむべき行為なのである。

晴員、晴舎、藤英に対して、気にかかっていた別の一件を問うてみた。

「まさか、毛利隆元も汝らの仕業か」

若い藤英の表情が強張る。直接動いたかどうかは分からぬが、何らかの関与はしたと見た。

「毛利は雲芸和議を反故にし、公方の権威を辱めました。――公方は裏切り者を許さない。様々噂は流れておりますが、真相がどうあれよいではありませぬか」

澄ました顔で晴員が答える。

毛利家当主、隆元の死は中国地方に新たな波乱を呼んでいた。父、元就の悲嘆は凄まじいもので、この嘆きがきっと新たな破滅を呼ぶ。今後、毛利と尼子の戦は相当血生臭いものになるはずだ。

「よかったと申すか」

「し、然り! 上様に逆らった者が次々と死んでいく、これこそ天の意志ではありませぬか! あの長慶すら病に臥せり、余命幾ばくも無いとの評判。長慶・慶興亡き後の三好家など恐るるに足らず、上様の親政いよいよ近し!」

気を取り直した藤英が熱く語る。真心だけは存分に籠っているのだ。

「こんなことで手にした実権が世の支持を得られるものかな……」

瞑目。晴員と藤英がまだ何か言っていたが、耳には入ってこなかった。

“ご自身で政務を執られるとして、何かやりたいことはあるのですか”

かつて長慶はそう言った。

“前任者を超えねば支持は得られない”

慶興は笑いながら言っていた。

あの父子の言葉だけが幾周も頭の中を駆け巡る。吐き気がしてきた。

自分には、何もない。父と共に立ち上がった戦も、京奪還を期した戦も、遠慮気味な長慶の手で軽く捻られてしまった。ならば三好家と一体になれば公方の再興も叶うと考えたが、それも公方奉公衆自らの手で否定してしまった。こんな時、いつも義輝の背を支えてくれた藤孝もどこかへ去っていった。

“ひとつ”。卜伝はそう言った。慙愧、自分の一生は、自分の命とすらひとつになれていない。

 

  *

 

長逸たちの進言に従い、熊王丸を養子に取った。これで一応安心した者も多い。

永禄七年(1564年)。長慶四十三歳、天下は疼くほどに静謐である。皆が自分の死を待っている。長慶の死と同時に動き出す。新たな乱世が始まる。それはもう、誰にも止められないところまで来ていた。

長慶の心魂もまた、静謐である。乱世は次の英雄を生み、次の時代を切り開く。成すべきことはしたし、起こるべきことは起こった。自分もまた、待つだけである。

(されど……あとひと押しは欲しい。歯止めはもう要らぬのだ)

恐ろしいことを考えている自覚はあった。痴呆、幻想、これも老衰の症状なのだろうか。あるいは、己の知恵はいまこそ極みにあるのだろうか。五年、十年、二十年先の世が。すべて見通せるような気がしていた。沙羅。花が散るのが先か、私が散るのが先か。豚。結局食べずにいてしまった。孫十郎に返せぬものか。

慶興の葬儀の後、あまねは京に帰っていった。辛い思い出がまたひとつ、彼女には申し訳ないことばかりをしている。幸せにすると誓っておきながらこの始末、来世のすべてを懸けても償いきれぬ予感がする。

病に臥せっている態を取りながら、長慶は日々の鍛練と決裁だけは欠かしていなかった。身体が満足に動かなくなってきているのは事実だったが、心身を鍛え、仕事に励むことには支障がない。起き上がれなくなったとしても鍛錬と決裁は続けようと思う。習慣こそ天性なり、最後に頼ることができるのはその蓄積だけだった。

「と、殿! どちらへ」

ぶらつこうと用意していると中村新兵衛に呼び止められた。引き続き護衛をしているこの若者、教興寺では随分な手柄を立てて名を上げた。阿波の七条兼仲と同じく、素直で単純な随分気持ちのよい男が出てきたものである。これから先に何が起ころうと、潔い一生を送ってくれればと思う。

「……今日は気分がよい。少し、歩きたい」

「ご無理をなさっては」

「大事ない。気になるならついて参れ」

夜桜を抱いた坪内母子も様子を見に出てきた。膳の支度をしていることから、あの二人だけは世間で言われているほど長慶の具合が悪くないことを知っている。新兵衛の慌てぶりを見て苦笑しているようだ。

 

よい日和である。馬ではなく、徒歩で飯盛山城を下った。春の大地を踏んでいくのも楽しい。

思いの外な長慶の平然に新兵衛は驚いていた。深い笠をかぶってきたため道行く人は長慶に気づいていない。ちょくちょく城を抜け出て遊んでいた、かつての頃を思い出すようだった。

思いつくものがあり、西側に出ることにした。麓には深野池が広がっている。城から西に向かって正面、三箇城(大阪府大東市)が池の中に浮かんでいて、遠目に新築の十字架を望むことができた。

「あれだろう、頼照の南蛮寺」

「左様ですが……ええ、まさかあそこへ」

「面白そうではないか」

「えええ、気色悪くないですか」

「気色悪がらずに日本へ来てくれたものを、こちらが気色悪がってどうする」

キリスト教はじわりと拡がりを見せており、先日、河内国人衆の改宗を許可したところである。応仁の乱以来河内国では戦禍による人心の荒廃が甚だしく、近年では木沢長政の煽動を受けたり反長慶側に立ったりする者が相次いだ。既存の道徳や宗教だけでは民の渇きに応えられなかったのだ。長政のような極論に走るくらいなら、政として統制も可能なキリスト教の方が余程ましである。ヴィレラ・ロレンソの要請を受けて布教を許してみると、さっそく三箇頼照ら数十名が洗礼を受けたのだった。

「ばれたら、殿が南蛮寺などに顔を出したと知られたら一向宗法華宗が機嫌を損ねますよ」

「取り締まりのために視察した、とでも言っておけ」

キリスト教を巡ってこんな問答を繰り返すのにも飽きてきていた。

 

危険のないことが分かると、新兵衛は南蛮寺の扉の所で待機していた。

近頃ではサンチョと名乗っている頼照は長慶の来訪を喜び、あれやこれやとキリスト教の説明を試みる。

「それより……“サンチョ”とはどういう意味だ」

「古の殉教者にあやかりまして」

キリスト教では殉教者を殊の外尊ぶところがある。プラクセデスという聖女の話を聞いた時は、方丈記の隆暁を連想したものだった。

「殉教……な。この先キリスト教が弾圧されることがあれば、お主も槍を片手に一揆を起こすか」

「お、恐ろしいことを仰います」

「ふふ、冗談だ。その目、その決意。信仰とは強きものよ」

「殿のご寛容……信徒一同、感謝の申しようもありませぬ」

「……私は一向一揆に父を殺された。三河ではいまも領主と一向一揆が争っているそうだ」

一向宗の教えに問題があるのです」

「どうかな、他人が見ればキリスト教一向宗もそうは変わるまい。祈っている本人にとっては尊いもので、施政者から見れば何やら恐ろしいもので。そう……一揆とは祈りを、誇りを踏み躙られた者たちの怒りか、甘えか……。いずれにせよ、信徒だけが悪いのではない。政にも責任があるのだろう」

「……」

「すまぬ、もうよしておこう。しばらく、休ませてもらってもよいかな」

「もちろんです。“疲れた者、重荷を負う者は誰でも私のもとに来なさい、休ませてあげよう……”」

寺の後方に据えた椅子に腰かけ、頼照と信徒たちが歌うのを眺めていた。

 

キーリエーエレーイソーン……キリエーエレイイイーソーン――

 

同じ文句を何遍も繰り返している。キリスト教南無阿弥陀仏だろうか。意味を問うてみようか? や、また困らせてしまうだけか。日本の歌とはどこか調子も声の伸びも違うが、不快ではなかった。

 

聴いているうちにうとうととしていたらしい。

目を開けると歌は終わっていて、寺には頼照と新兵衛だけが残っていた。

「冷えるといけません」

頼照が深緑の器を差し出してきた。受け取った掌が温かい、この匂いは。

「葡萄酒を温めたものか」

「はい。桂心を挽いたものを少し混ぜております」

新兵衛が頷く。よく見れば頬が朱い、毒見は充分にしてあるようだった。

口に含んだ。鼻に抜ける桂心の風味、追いかけてくる葡萄の濃厚。頭に浮かんだのは赤い渦潮だった。勢いを失わぬままに胃の中へ流れ込み、腹を温めてくれる。ひと口、ひと口と続けるうちに。喉が、指先が、ふくらはぎが。ぽかぽかりんりんとして心地よい。

「……阿波橘を加えても、うまいだろうな」

「な、なるほど」

「世話になった」

精がついた。もうひとつくらい、何かやり遂げることができそうだ。

 

  *

 

三好家重臣兼公方奉公衆の立場を利用し、久秀は内部監査に尽力していた。

内偵ほど嫌われる役目もない。ましてや長慶の指示ではなく、自ら立案してのことである。もともと乏しい久秀の人気はこれで完全に地に落ちてしまった。

一存の変死、慶興の急死、長慶の病臥、何もかもを久秀の陰謀だと信じたい者は多い。不安な時、凡愚ほどくだらない煽動に乗ってしまうものなのだ。進士晴舎辺りによる流言だということは掴んでいるが、やってもいないことの潔白を証明することは難しい。事実、慶興の暗殺は防げたのではないかという自責の念もあった。

だからこその監査である。久秀自身だけでなく、三好家の主だった人物の周辺をとことん洗う。銭の流れ、帳簿と年貢の整合、裁許や賞罰の頻度、人の出入り。慶興の死で終わりとは限らない。未知の謀略が仕組まれている可能性は充分にあるのだ。長頼に止められようと、長逸や長房などに睨まれようと、更なる悲劇の防止に努めることこそが長慶への恩返しだった。

そして、発見した。

「こっらあ……下手したらえげつないことになってたでえ……」

「敵は三好家をよく調べています。この方を抜きにいまの静穏はあり得ない」

「よう見つけたな正虎! さっそく殿に報告や!」

 

大和から飯盛山城は遠くない。

何かにつけてしばしば顔を出すようにしている。それは、長慶のためというより久秀が安心するためだった。数限りない不幸にやつれ、命の力が減衰しようとも、いまだ長慶以上に明晰で頼もしい主はいないのだ。

久秀の報告を聞き、証となる文書数点に目を通した長慶はしばらく沈思して……やがてにたりと笑った。日頃見せない主君の表情に久秀の心はざらざらと惑う。

「ご苦労だった」

「へ! 熊王丸様の擁立を踏まえた一族の不和、いかにもありがちな筋書だす。“当たり”をつけて調べてよかったですわ!」

交易からの資金押領、跡目争いを煽る檄文。偽造とはいえ、敵の工作は細やかな仕事がしてあった。

「これはいい……これは使える……。ふふ、よいことを思いついたわ」

「と……殿?」

「久秀よ。お前の長年の忠義立て……礼を言うぞ」

長慶の様子がおかしい。自分に向かってこんな言い方をする人ではない。

「ちょ、やめてえな……。いっつもみたいに無茶あ言うてくれまへんのか」

「聞け。私はもう、」

「聞きたない!」

床を全力で叩いた。掌がはれはれと痛む、障子の外で祐筆や小姓が動揺する気配を感じる。

「……好きなように暮らしていたお前に、長らくいい子のような振る舞いをさせてしまったな」

「ちゃう! 殿が……殿が、わいを真っ当な男にしてくれたんや」

「この先三好がどうなろうと、天下がどうなろうと……誰に遠慮することもない。もう一度、思うように生きろ」

「……そんなんないわ。殿さん、今更こんな年寄りに向かって好きにやれやて。なんで、熊王丸様に尽くせ、三好を守れ、民草を労われって。なんで……なんで言うてくれまへんのや」

もう駄目だ。老いた涙が後から後から湧いて出て。鼻水まで混じって言葉を継ぐことができない。

「時間の無駄よ。長逸にも長房にも同じことを言おう、銘々で思う存分やってみろ」

「殿さん、あんた薄情や、人でなしや! おお、おおおお……」

始めて出会った時の印象以上に。長慶はいま、どこの誰よりも狂っている。いや、初めから狂っていて、遂に素顔をさらけ出したのか。

縋るような久秀の痛みを一笑に付し、長慶が寝床に帰っていく。なぜだ、なぜこんなことに……。若殿。慶興様さえいてくれたら。わいではあかん、長逸はんでもあかん。もう誰も、殿の跡をよう継がん……。

 

  *

 

「久秀が……長慶にお主のことを讒言したと噂になっている」

「よくよく話題になり易い男です」

「落ち着いている場合か。噂もこれだけ塗り重ねられれば真実になってしまう」

「康長殿は何かを掴んだのでしょう」

「……わしはもう、どうしたらよいのか分からぬ。疲れたな、この世を眺めるのに」

「その割には活躍しておいでだ。河内半国の統治、実にこなれている」

和泉を治める冬康と河内南部を治める康長。二人で会う機会が増えていた。場所は決まってとと屋の宝心庵、互いに茶を振舞いながらである。時には与四郎が混ざることもあった。

「ちょっとお。冬長さんがお見えよ」

いねが呼びに来た。二人の弟の死を乗り越え、再び稼業の切り盛りに汗を流している。

「突然の呼び出しとはな。……まさかとは思うが」

「お気になさり過ぎますな。兄弟で話したいだけでしょう」

長慶による冬康と冬長の召喚。確かに、冬長までわざわざ淡路から呼び出したことは気にかかる。

不安気な康長といつもと変わらぬ喧しさのいねに見送られ、飯盛山城へ向かった。

 

「それで、ご用件とは」

冬長は襖の外で待たされている。長慶の私室、兄と弟の二人きりだった。

「お前に謀反の嫌疑がかかっている」

「……まさか、本気にしている訳ではないでしょう」

「しておらぬ」

世間話も昔語りもしない、単刀直入な長慶の口上。常と異なる不穏が漂っている。

「“三好四兄弟全滅作戦”。そういう風聞は耳にしております」

「そうだ。叔父上ほど引いてはおらず、長逸・久秀・長房ですら頭が上がらぬ才覚。峻雷碧の体現、海の王者、三好家の要……打てば響く男。狙うならば冬康、お前だ」

「ははは。過分なお言葉の数々を」

「なあ冬康よ。未来の形を考えたことがあるか」

やはり分からぬ。害意は感じない、むしろ長慶は慈愛に満ちているのだ。なのに消えない、この不穏。

「宗家を支え、淡路と和泉を育み、富を増やして、外敵を挫く。やがて天下は柔らかな平穏に包まれる」

「ふふ。真っ直ぐだな」

「慶兄は違うのですか」

「ずっと……考えてきた。遥か昔、幼少の頃からだ。そもそも……未来の形は人によって異なる。生まれ、暮らし、家族、夢。それぞれにそれぞれの未来があるのだろう」

「……それで、慶兄の描く未来とは」

「薄明は宵闇の後に、静謐は擾乱の後に。新たな三好長慶を創るため、真なる三好慶興を産むために。私はいま一度、天下を闇夜に包もうと思う。……そう、我が未来の形にお前の姿はなかったのだ」

「――狂ったか、慶兄!」

疾風、“岩切”。遅かった、否、長慶が速すぎた。右腕が天井まで飛んで、遅れて血が噴き出した。

 

続く