戦国時代の武将、三好長慶を主人公とした小説です。 全50話、1話10~20分でお読みいただけるかと思います。 三好長慶に関心のある方、織田信長以前の戦国時代に関心のある方、歴史小説を好む方、けっこうな量の暇つぶしを求めている方、などにおすすめします…
生まれて初めて小説というものを書いてみた。 その過程で感じたことや考えたことを備忘として残しておきたい。いつか自分で読み返した時に懐かしく思ったり、同じように小説を書いてみようと考えている誰かの参考になったりすればいいなと思う。 大きく3つに…
10年前、「太閤立志伝Ⅴ」の顔グラに一目惚れし、三好長慶という人物に関心を抱いた。 折よく今谷明氏の「戦国三好一族」が復刊されたところで、希少本ながら運よく書店で手に入れることができた。読んだ際に湧きあがったわくわく感はいまでも覚えている。 そ…
※あくまで小説としての年表です。史実でないものも多分に含みます。 三好長慶誕生前 応仁元年(1467年) 之長十歳 ・応仁の乱が始まる 文明十七年(1485年) 之長二十八歳 ・三好之長が土一揆を率いて京界隈を荒らしまわる 明応二年(1493年) 之長三十六歳 …
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五十 聚光の段 「よしなさい。おなごの指は針仕事、水仕事のためにあるものぞ。弟を打つなどもっての外」 「だって、千満丸が私の毬を盗ったんだもの」 「借りただけさあ」 「いね、お聞き。揉め事、嫌なことは愛嬌で解決なさい。おなごが蛮勇に頼ってはいけ…
四十九 静謐の段 天下は静かだった。 ――静かの中には強い怒りが隠れている。三好長慶の存在が、かろうじて暴発を食い止めていた。 教興寺の合戦の後、六万以上に膨れ上がった三好軍はたちまち河内や大和に拡がっていた畠山方を駆逐してみせた。そして、その…
四十八 団欒の段 永禄六年(1563年)春のある日、義輝は慶興の京屋敷へ御成を行った。 とは言っても、以前のように豪勢で大げさなものではない。方違えを口実にしたお忍びの訪問で、供も久乃と少数の護衛だけだった。久しぶりに慶興とゆるり酌み交わしたくな…
四十七 遺言の段 紀伊国、玉置氏の治める手取城(和歌山県日高郡)。ここまで逃げ延びてきたのは高政と宗房の他、僅かな近習だけである。湯川直光も往来右京も死んだ。追撃は激しく、更に大勢が死んだ。 完敗だった。三好家の要、長逸に攻撃を集中するも突破…
四十六 涅槃寂静の段 与四郎から贈られた沙羅はしっかりと根付いてくれていた。 長慶の私室からよく見える位置に植えたのは正解だったと思う。異国の風情を感じるこの樹は、どこか心の背骨を支えてくれるような心地がするのである。飯盛山から西を眺めること…
四十五 葦間の段 畠山・六角勢との睨みあいは半年以上に及んで、永禄五年(1562年)も三月になろうとしていた。 安宅船の楼閣で指揮をするのと籠城戦の指揮をするのとでは、いかにも勝手が違う。さはさりながら、冬康が夕星で放った矢は次々と紀州侍の眉間を…
四十四 再会の段 己の夢をすべて捧げた城が完成しようとしていた。 贅を尽くして塗り込めた白壁。内部を走って鉄壁の迎撃が可能な長屋造りの櫓。張り巡らせた石垣、大寺院も驚くであろう総瓦葺の屋根。そして何より、空前絶後の“四層”天守。この多聞山城(奈…
四十三 落潮の段 本城常光が毛利家への寝返りを検討している。 当然の判断だろうと孫十郎は思う。これまでの常光たちによる働きを無視するかのように、新たな尼子当主である義久は毛利と和議を結んでしまった。それも、公方に懇願して間に入ってもらうという…
四十二 躯の段 あろうことか、浅井賢政の小僧ごときに敗れてしまった。 定頼が臣従させていたあの浅井家である。水攻めという凄まじく銭のかかる手間をかけ、六角家の総力、二万の兵を繰り出したにもかかわらず負けてしまったのだ。 家臣や国人の結束を固め…
四十一 審判の段 永禄三年(1560年)の一月。 雲霞の如き群衆が見物する中、長慶は帝の即位式に伺候、警護役を務めあげた。毛利元就の貢献が大きかったとはいえ、先帝の崩御から僅か三年で即位式を実現させた長慶の手腕は朝廷から高く評価されており、報いと…
四十 統治者責任の段 秋と冬の境目、長慶は体調を崩して十日ほど臥せっていた。 密かな鍛錬の甲斐あって身体は丈夫な方だと思っていたが、齢四十も近くなって長年溜まった疲れが出てきたものかもしれない。おたきや茂三が大騒ぎで看病してくれたこともあり、…
三十九 まろうどの段 「ほんま、あいつら殿のこと舐めてまっせ!」 「おう、左様か」 怒りのあまり馬を駆け通して芥川山城までやって来た。それなのに、長慶ときたらちっとも本気になってはくれない。 「ああもう、思い出すだけで腹立つ! ええんでっか、あ…
三十八 あけぼのの段 心惹かれる招待だった。こういう密会なら進んで出向きたい。人を知る、知恵を得る、誼を通じるには対面こそが最適で、伝聞や書状といった手段にはおのずと限界があるのだ。 何しろあの織田信秀の嫡子である。斯波氏や同族、実弟などとの…
三十七 渦蜜の段 瓜生山を降りて、塗り輿で相国寺に向かう。 輿の周りは義賢が、それを取り囲むように長慶たちが供についている。長慶の気が変われば助かる術はない。一抹の不安はあったが、信用を失ってまで長慶が約束を反故にすることもないはずだった。 …
三十六 虫かごの段 味方の軍勢が京を埋め尽くしている。既にその数は一万五千。しかも、動員した兵は長慶・慶興父子、京周辺の長逸、摂津下郡の久秀だけで、長頼、之虎、冬康、一存、長房など、三好家戦力の大半は温存しているのだ。 対する公方勢は僅かに三…
三十五 ひとつの段 暦の上では秋だが、朽木では早くも雪が積もった。 さく、さくと足音が鳴る。義輝も藤孝も雪国の暮らしに慣れてきており、歩き損ねて転ぶようなことはない。その一方で、前を進む老人は何かがおかしかった。雪を踏む音が聞こえぬ。足跡もほ…
三十四 潮騒の段 大林宗套が睨んでいる。もう何歳だか見当がつかないくらいの老人だが、この迫力はなんなのだろうか。 「何か、お気に障りましたか」 素直に教えを乞う。 老師はすぐには答えず、警策で長慶の股間を突いた。 「むおっ」 「汚い、汚い。御身の…
三十三 大空の段 腹が減っていた。 盗みもやった。追剥もやった。そんなことに手を染めても暮らしは落ち着かないということを思い知った。 親しい配下も、頼もしき郎党も、慈しんだ豚たちもすべて置いてきた。しばらくは若狭の宗渭のところで世話になってい…
三十二 無頼の段 三木城を取り囲む兵は三万を超えている。 長逸の一万、長慶の一万、之虎の一万。既に前年、三木城の支城網は長逸によって壊滅している。近隣の国人や寺社、惣村は四国衆先遣隊の長房が調略を済ませた。別所就治がこの劣勢を覆す手はまったく…
三十一 洟垂れの段 うら寂しい正月だった。 座に連なるのは僅か三十名。六角や朝倉からの援助があるとはいえ、祝いの膳はいかにも貧相である。例年はそれなりに顔を出していた公家や坊主も、今年は誰一人訪れてこない。それどころか、いずれ帝は長慶を武家の…
三十 青春の段 長慶と義輝の緊張を孕んだまま、一先ずは平穏に年が明けた。 天文二十二年(1553年)の春。堺を訪れた長慶は、与四郎が新築した茶湯座敷に招かれていた。屋敷の敷地の片隅にひっそりと建てられた庵は、竹垣や樹木で囲われ、ここが賑やかな市街…
二十九 蝉取の段 これまで見てきた中で一番の怒りようだった。 天文二十一年(1552年)の正月、義輝と長慶の和睦が成った。公方からは、偽りの和睦と聞いている。三好家を安堵させておいて、裏で大掛かりな謀略を描いているとのことだ。無論、なまなかのこと…
二十八 夜討の段 いまは、どんな雑用でも進んで引き受けるべき時だった。 松永久秀の名前が注目されてきている。もともと長慶の祐筆として政務の奥深いところに関わっていた。それに加えて、近頃では戦の指揮まで任されるようになってきているのだ。久秀本人…
二十七 村雨の段 天文十九年(1550年)の初夏になった。 近江は風の国である。穴太(滋賀県大津市)の寺院で臥せっている義晴のところにも、琵琶湖から心地よい風が吹いてくる。この風がなければ、もっと早くに逝っていただろう。 「中尾城(京都府京都市)…
二十六 ウツロの段 宗三は、最後の最後で己を曲げた。六郎の家臣でいることよりも、人の父親であることを選んだのだ。 限界状況に入った宗渭と榎並城を見捨てることができなかった。姿を現した宗三が入城した江口城は榎並城の一支城に過ぎない。榎並城が充分…