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きょう、(小説 三好長慶)

近世のきのう、中世のあした。三好長慶の物語

二十八 夜討の段  ――遊佐長教 刺客の手に斃れ、三好長慶 刺客を退け千句を詠う――

二十八 夜討の段

 

いまは、どんな雑用でも進んで引き受けるべき時だった。

松永久秀の名前が注目されてきている。もともと長慶の祐筆として政務の奥深いところに関わっていた。それに加えて、近頃では戦の指揮まで任されるようになってきているのだ。久秀本人はあまり戦が得意ではないという話だったが、あの松永長頼の兄であるという事実と、長頼の元から借り受けてきた侍大将たちが彼の采配に重みと果断を与えている。

石成友通にとっては、まずは久秀に並ぶことが目標である。共に三好家の新参者で、頼るべき後ろ盾などを持っていない。逆に言えば、実力だけで長慶に取りたてられた者たちだった。それだけに、実力で差をつけられると挽回の余地がなくなってしまう。

実務の力では、久秀以上だという自負はあった。申次や調整ごとなどについて、二人の質や速さを比較したことがある。調べたところ、久秀が九件を処理する間に自分は十件をさばくことができていた。質だって自分の方がきめ細かい気がする。そのことに長慶や長逸、基速たちがいつ気づいてくれるか。

長慶に自分の顔と名前を印象付けるのは何より大事だ。しかし、この点においては祐筆を務める久秀の方が圧倒的に有利である。久秀が十回名前を呼ばれる間に、自分は一回か二回呼ばれるかどうか。

狙うべきは、長逸と基速の評価かもしれない。筆頭家臣たる長逸は、ここにきて更に男を上げたと専らの評判だった。公方と六郎がいなくなっても大きな混乱なく京が治まっているのは、彼が各所に目を配っているからだ。冷静沈着に各界の利害を調整し、長慶の意向を踏まえた上で、家臣の才覚や人物を見て仕事を配分する。彼は部下に対しては私情を交えない印象があるから、よい仕事をしていれば必ず目を止めてくれるはずだ。いや、長慶のお気に入りだから表面には出さないが、内心では久秀の言葉づかいや出自を苦々しく思っている節すらあった。

(ならば自分は、言動を丁寧で品のよいものにしなくてはならぬ)

それが久秀との差別化に繋がるだろう。

基速は寝返ってきた伊勢貞孝を抱き込み、政所の政務を上手に壟断しつつある。基速自身がもともと公方の奉公衆に連なる出自だから、飲み込みも早いようだ。伊勢貞孝という男は実に馬鹿な奴で、保身から政所に眠る膨大な証文を三好家に開示してしまっていた。本人は自分を高く売ったつもりなのだろうが、こんなものは数年もすれば我々実務方が吸収できてしまう性質のものだ。長慶が、朝廷や公方の有する前例知識をどれだけ貪欲に学ぼうとしているかを、貞孝は知らなかったのだろう。現に、これまで貞孝たちが示してきた判例を少しだけ民側有利にいじることで、京の町衆たちは強く三好を支持し始めている。

基速は友通の直接の上司であるし、もともと自分には目をかけてくれている。やはり、長逸の関心を引くことだ。そのためならば、地味な警護役を務めることなど何でもない。長逸は、長慶の護衛について特別の思いを持っているようで、常に人が多く集められる。

天文二十年(1551年)の春。今夜、この吉祥院京都府京都市)では長慶と貞孝による宴が開かれている。寝返って日が浅い貞孝は、長慶に気に入られようと必死だった。いまも、公方の機密などをぺらぺらと話しているに違いない。

(わしも、ああいう場に参加できるくらいにならんとなあ)

久秀は書記として同席している。色々考えてはみたが、こうして吉祥院の塀の内側と外側に分けられてしまうと、二人の評価の隔たりを実感してしまう。実務をどれだけ積み上げても、殿の近くに仕えている方が有利なのかな、などと腐ってしまう。

(くそ、つまらん)

立小便をしたくなって、立ち位置から離れた。少し歩けば、人気のない草っ原が広がっている。

すると、草むらから複数の影が飛び出してきた。その体躯は小さい。そして、何かがちゃがちゃという音がして、動きは機敏でなかった。あまり体術が得意でない友通でも、難なく一人を掴まえることができた。

「童か。なんだ、ここで何をしている」

いたいけな瞳。井戸の底のように光が揺らいでいる。

「て、天下の三好さまがいらっしゃってるというから、見物に来たんだよ。な、離しておくれよ」

長慶の行く先々では、しばしば見物人が集まってくる。一瞬、納得して手を緩めかけた。

(待て、こんな夜更けに子どもだけでか。それに、今夜会合を開くことはどこにも漏らしていないはずだ)

訝しんだ友通が、童の着物を探った。何かおかしい。身体には湿った縄を巻きつけ、腰もとには土瓶のような容器。そして、質の悪い油のすえた匂い。

「不審。これは不審。……おおい、集まれ! 誰かある!」

武芸は苦手でも、声の大きさには自信がある。たちまち雑兵たちが駆け寄ってきて、友通の指示通りに他の童を捕らえていった。

 

事件は、友通の考えた以上に重大なものだった。童たちは全員が油を身体じゅうに装備して、自分の身体もろとも火に包み、吉祥院に突入する手筈だったらしい。警戒されにくい子どもを使って、長慶と貞孝を焼き殺そうという策略。聞けば、全員が親に売られた子どもたちだという。

長逸から褒められて有頂天だった友通も、この詳細を知った時はさすがに胸糞が悪くなった。もちろん、公方の仕業であることは言を俟たない。

「わしが偉くなったら、仇を取ってやるからな」

呟き、友通は童たちの塚に手を合わせた。

 

  *

 

ザビエルというキリスト教の宣教師は、京の政情不安に失望して西国に戻っていったという。自分のことを責められているような気がして、長慶の気分は晴れなかった。

堺でザビエルの世話をしていた日比屋に与四郎が聞いたところによれば、大陸の西方で信仰されている審判教には大きく二派があって、そのひとつがキリスト教なのだそうだ。キリスト教は大陸の極西でよく普及していて、有力な海運国が多い。交易網が南蛮諸国や明、日本に広がっていくのに合わせて、キリスト教の教えを広めているということなのだろう。

彼らは日本にやってくる道を持っている。我々はかの地まで出向いていくなど思いもよらぬ。あちらの国主は、大陸の東方までを視野に入れた政をやっているのだろう。稼ぎやすい、教え込みやすい、未開の大地を探し求めているのだろう。畿内の大名が芝生の豪族を相手にするようなものだ。このまま放っておけば、そのうちいいように日本が扱われてしまうかもしれない。

(三十年も前にこのことを予見していた父上と持隆様は、やはり非凡というしかない)

元長も、金色の髪をした細川高国でも思い描いていたのかもしれない。

知れば知るほど、日本の中で内乱などをしている場合ではなかった。かつて九条稙通の祖先がそうしたように、異国の学問、商い、風流、宗教を学び、日本の風土へ取り込んでいくべきではないか……。

「さ、いよいよ斬り合いが始まりますぞ」

下卑た顔で伊勢貞孝が声をかけてきた。能をぼんやりと見ながら他の様々なことを思い浮かべるのは、なかなか楽しいひと時である。その没入を邪魔し、あまつさえ長慶の仇討ちをやんや褒め称えてくる。

“夜討曽我十番斬”は確かに見応えがあった。ばたばたと敵の侍が倒れていくさまは迫力があるし、兄弟の絆が涙を誘いもする。だからこそ、この男と一緒に見たくはなかった。長慶兄弟のこれまでの戦いを、安易な仇討出世譚のように語られたくもなかった。最近知り合った人物の中で、仇討ちや政治のことに触れず、長慶の性根だけを見据えていたのは大林宗套老師だけである。あのような人物は滅多にいない。

火付け騒ぎで台無しになった宴の穴埋めということで、貞孝の屋敷(京都府京都市)に招かれていた。能の出来はすこぶる上等だし、出された豆餅が実にうまい。赤豌豆は下ごしらえで程よく固さが残るように塩茹でされているようで、その食べ触りと塩気が単調になりがちな小豆餡を秀麗な絵巻物語に変えている。これなら、飽きることがない。何個でも食べられそうな、毎日でも食べたいような逸品であった。

「お気に召しましたか。よろしければ、毎日お屋敷にお届けいたしましょう」

しかし、貞孝に上目使いで語りかけられると、その食欲も失せる。有能ではあるのに、惜しい男だった。

貞孝だけではない。公方から寝返ってきた奉行などが引っ切り無しで挨拶に来る。その度に能から目を離し、豆餅を皿に戻さなくてはならない。酒杯を授けるのも、数が増えれば面倒なものである。

また一人、部屋に入って来るのが見えた。顔に見覚えはない。逞しい顔つきの侍だ。

「おや、進士賢光殿も京に留まっておられたか」

意外そうな顔つきで貞孝が言った。でかした。そう思った時、既に賢光は間合いを詰めてきていた。

目を疑うような踏込みと抜刀の速さ。咄嗟に後ろに飛んだ。胸元を薄く斬られている。

「ちっ」

脇息を投げた。賢光の額に当たったが、構わずに迫ってきて二の太刀が閃く。この角度、首筋に。

「すあ」

無理な姿勢に身体を捻り、かろうじて致命の一撃を避けた。しかし、首からは少なくない血が流れ出ている。千切られたような痛みと、焼けつくような熱さ。そして――三太刀目が、来る。

「千熊!」

声。元長の、声。

身体から力が抜けた。賢光の鋭く直線的な踏込みに対し、長慶の緩やかに円を描くような運歩。賢光の裏に入り、手首を取って柔らかく巻き込んでいく。己の重みを活かし、背筋はあくまで伸ばしたままで!

賢光の肉体が宙に浮かぶ。戸惑ったか、受け身もできていない。そのまま後頭部を床板に叩きつけた。

「……!」

何が起こったのか、信じられないよう顔をして賢光が天井を見上げている。長慶も同じだ。この窮地を、自力で抜けられるとは思えなかった。それほどに、賢光の斬撃は激烈だったのだ。琴から話を聞いたことがなければ、確実に仕留められていただろう。まして、元長から仕込まれた武芸がなければ――。

(父上は、まだ早いと仰るのですか)

さっき聞こえた声は、確かに元長のものだった。いまでも、どこかで自分を見てくれているのかもしれない。

首筋にさらしを当てながら夜空を仰ぐ。月も、星も、いつもと同じ光を届けてくれている。

「ぬ、あああ!」

断末魔。人に取り押さえられる前に、賢光が脇差で自分の胸を貫いていた。

 

  *

 

長慶を狙った二度の暗殺事件は、僅か十日で鎌倉にまで伝わってきた。

火付けは未然に防がれ、刺客は供回りが撃退したのだという。長慶は傷を負ったが、命に別状はない。越水城に戻って養生しているそうな。

東国に行けば噂を聞かずに済む、という見通しは甘かった。むしろ、話題の少ない東国の方が噂話を好むきらいがある。東慶寺の中に籠っていても、どこそこ家となになに家が婚姻を結んだだの、某が内応を企んだがすぐに露見しただの、風説が盛んに飛び交っていた。

中でも、畿内を制した三好長慶の話題は喜ばれているようだ。あくまで実権は細川氏綱にあるのだとか、いやいや氏綱も長慶に頭が上がらぬとか、真の首謀は河内の遊佐長教だとか、違うぞ実は朝廷の陰謀であろうとか。公方と六郎の逆襲が恐ろしいぞとか、むしろ長慶がこのまま足利の息の根を止めてしまうだろうとか。誰もが訳知り顔で中央政界の行く末を語りたがる。

鎌倉では、どちらかといえば長慶に期待する声が多かった。この地を治める北条家のしてきたことに似ているからだろう。中央もそうなのだから、関東もそうあっていいはずだ。そういう空気が流れている。理世安民という旗印の意味するところも、北条家の治世と相通じるものがあるらしい。実際、戦が続いている割には、北条領には活気があった。どこか、西宮や堺を思わせるものがあった。

あまねの素性を知る者は、東慶寺比丘尼と、下女に扮した琴だけである。長慶について問われることはない。

――そうは言っても、長慶の噂を聞く度に心が揺れるのはどうしようもなかった。

(千熊丸はどうしてるんだろう。寂しがって、拗ねてなければいいんだけど……)

片方の話を聞いてしまえば、噂にならないもう片方が気にかかる。彼も、そのうち天下を驚かせるようなことをしでかすのだろうか。やがては妻を娶って、子どもをつくるのだろうか……。

 

そんなある日、あまねのもとに客人が訪れた。

知り合いではないが、あまねとの面会を強く希望しているのだという。聞けば、比丘尼はこれまでもその申し出を断ってくれていたそうだが、とうとう押し切られてしまったとのことだった。

世話になっている寺に迷惑をかけるのは本意ではない。あまねは進んで承諾し、麓の門外に構えてある客間へ入った。客人は一人、初老の男である。僧体だが武士に見えなくもない。

「お初にお目にかかる。北条宗哲と申す」

誰だろう。しばらくぽかんとして、はっと気づいて頭を下げた。北条家一門の重鎮だ。

「お、恐れ入ります。あまねと申します」

「はは、ははは。固くならんでくれ。突然押しかけてさぞ迷惑だったろう」

「そんな、そんな……」

「どうしても話を聞いてみたくてな。すまぬが、その方の出自も存じておる」

「……」

ようやく用向きが分かった。北条家の人が、長慶のことを聞き取りにきたのだ。

「辛い思い出なのかもしれぬ。答えたくなければそう言ってくれい」

「いえ……」

宗哲は、長慶とあまねについて知っていることを話し始めた。三好元長のこと。波多野稙通のこと。細川六郎のこと、三好宗三のこと。一向一揆との和睦仲介、天文八年の上洛、太平寺の戦、舎利寺の戦、江口の戦……。それから、長慶の収益基盤である瀬戸内交易について。あまねと千熊丸について。之虎たち弟妹について。長逸や基速を始めとした、家臣について。

驚くべきことに、事実関係は正確を極めていた。昨日今日、長慶について調べ始めた訳ではないことは明白である。宗哲の方も、この辺りについてはあまねに質問すらしなかった。

「聞きたいことは、実はひとつだけなのだ。三好長慶殿が、どのような世を目指しているのかを知りたい」

「目指す、もの」

「そうだ。ただ仇討ちをしてきただけではないのだろう?」

「目指すもの……」

家格と血統の克服。交易を通じた富国。道理を以て世を治め、民を安んずる……。

様々な言葉が去来した。いずれも、長慶自身から聞いたことがある話だ。それが、離れて暮らすいま、空々しく思えてしまうのはなぜだろう。

「……難しかったかな」

「いまにして思えば」

「む」

「あの人は、捨て駒になりたいんだと思います」

「ぬう……」

「そんな人のところに、あたしは息子を置いてきたんですよ」

唇が震えているのが分かる。それ以上の言葉は喉から出てこなかった。

「滅びた後に、民の繁栄が続くなら……。いや、しかし、それでよいのか。武門に生まれた者が……」

自問自答した後、宗哲もまた考え込んでいる。

そのまま、沈黙が続いた。

「――あまね殿。貴重な話を伺うことができた。感謝する」

「いいえ、何も……」

「わしの父は、畿内は手遅れだと仰っていた。だからこそ、この地にやって来たのだと。関東に巣食う病魔を取り除き、理想の国づくりをやりたいのだと」

「……」

「長慶殿が、畿内の治癒に真正面から取り組もうというのなら。それだけで……。や、こんな話ももうよそう。あまね殿、すまなかったな。二度と現れぬと約束する」

「あの人の話以外なら、あたしはいいですよ」

「ははは。こんな年寄りが、尼寺で懸想しているように見られてはまずかろう」

「ふふ、そうですね」

よく分からないが、宗哲は上機嫌だった。様子を伺っていた比丘尼も一安心だろう。

あまねの方も、心に溜まった澱を少しだけ清めることができたような気がした。

 

  *

 

那智の大滝が眼前にあった。

夏の陽光。真っ白な霧となって吹き上がる飛沫。健やかに笑いあう善男善女。

長政と一緒に、初めて旅をしたのがこの場所だった。

これは夢だ。滔々たる二人の夢を包んで。

長政、どこだ。どこにいるのだ。

 

――目が覚めた。

若江城。いつもの朝と同じだった。

布団をまさぐったが、どこも汚れていない。その代わり、涙が頬を濡らしていた。

 

その日の夜。久しぶりに訪ねてきた珠阿弥に酒の相手をさせて、そのまま身体を揉ませることにした。

「だいぶん回復されましたねえ。肌に張りが戻っている」

「煩いごとが減ったからな。面倒は婿殿がやってくれる。わしは気ままなものよ」

長慶は実に便利な男だった。彼が睨みを利かせている限り、長教は平穏無事である。当主の首を再びすげ替えたが、誰も長教に意見すらしなかった。新当主の畠山高政は生意気顔の小僧だったが、長教の前ではきちんとおとなしくできている。

「お殿様は、ますます偉くなられたのでしょうね」

「なぜそう思う」

「くふふ。部屋の匂いで分かりますよ。この香木は、値の張る代物だ」

「くく、さすがは元盗賊だな」

天下獲りという名を捨て、利権確保という実を取った。畠山領国である河内と紀伊、加えて宗三旧領の淀川流域で私服を肥やしても、相当程度まで長慶は黙認してくれている。珠阿弥の言う通り、本来は帝や摂関家でしか使えなかったような貴重品も手に入るようになっていた。

長慶は二度も公方の刺客に襲われている。あの進士賢光の剣から逃れられたのは、奇跡と言っていいだろう。これからも彼は暗殺の恐怖に怯え続けなければならない。こうなってみると、長慶の背後に隠れたいまの立ち位置は、安全で、実に心地のよいものだった。

「今日は、鍼を使いましょうか」

「ううむ、鍼はちと恐いな。腕を疑っている訳ではないが」

「では、一度ご覧に入れましょう。申し、そこな方」

珠阿弥が長教の警護役に声をかけた。彼の身体を使って実演しようということらしい。

「……おもしろい、やってみせよ」

見世物のようなものだ。つまらなければ斬り捨ててしまえばよい。

警護役をうつ伏せに寝かせて、珠阿弥が皮膚の表面をなぞっていく。ある点で指を止め、短い鍼を浅く入れた。血は流れないし、痛みもないようだった。それどころか、日頃はいかめしいその男が、蕩けるように顔を崩している。

「如何でしょう」

「き、気持ちようござる……! もそっと、もそっと」

「鍼にも限りがあります故、あと一本だけ」

もう一本、今度は首筋に鍼が入った。やはり強い快楽が生じるらしい。肉体が軽く痙攣している。

「おい、そんなにいいのか」

「指や灸では届かないところをほぐしますので。よろしければ掌など、危なくないところで試してみますか」

「う、うむ。そうだな、掌ならいいだろう」

珠阿弥が長教の手を取った。右手と左手を揉み比べ、左手を選ぶ。そして、掌側の親指と人差し指の付け根が交わる辺りと、手の甲側の薬指と小指の間に一本ずつ、ごく浅く鍼を入れられた。

たちまち、痺れるような快楽が全身を駆け巡った。鍼が入ったのは左手なのに、下腹の血の流れがよくなったような感触がある。

「むむむ、こ、これほどの」

「お気に召されましたか」

「は、鍼はまだあるのか」

「ええ。よろしければ、右の太腿などに入れさせていただければ、より効能が現れるかと」

「そうしてくれ」

「かしこまりました。――ああ、すみませんが、灯りを消してもよろしいでしょうか。眩しい感じがして、手元が狂うといけません」

「構わん。好きにしろ」

警護役はまだ寝そべっている。珠阿弥は自ら灯りを吹き消して回って、再び長教の身体をさすり始めた。裾を捲られ、予告通り右腿の裏側に鍼が三本入ってくる。深い。今度は首筋と耳の裏に刺激が走った。耐えられず、喘ぎ声を漏らしてしまう。

「……そうそう、実は最近、手前の光を奪った男が死んでしまいまして」

唐突に、何の話だろうか。大事なことのようだったが、上手く考えが纏まらなかった。

「活きのいい坊やだったんですがねえ。長教様もご面識がおありでしょう。ほら、後南朝の女を叩っ斬った」

「……!」

声を出そうとしたが、顎が麻痺している。警護役が動く様子もない。

「こちらにもお鉢が回ってきたということです。三好長慶だけが標的だとでもお思いでしたか?」

「……う、ぐぐ」

手も、足も動かない。背中の上では、ぞっとするような気配がもぞもぞと動いている。

「リイリイ、公方は裏切り者を許さない。お命、いただいていきますね」

固い棒のようなもので、首の骨を砕かれたのが分かった。

 

  *

 

千句興行を大々的に催すことにした。

そうしなければならないだけの理由があった。遊佐長教が暗殺され、河内には暗雲が垂れ込めている。丹波では波多野晴通の支援を受けた三好宗渭や香西元成が京を脅かし始めた。ひとつ判断を誤れば、ようやく安定を取り戻した畿内で激しい争乱が起こるかもしれない。

人心を鎮めるためには、長慶の健在を示すことと、風流の力を借りることである。連歌の中でも、千句は格別の意味を有する。十の百韻を合わせたひとつの千句をつくりあげるためには、相応の力量を有する連歌師を集めねばならない。その他にも会場、食事、手土産、記録、見物客など、仕切らねばならない事項は数多く、それだけ銭も手間も人脈も必要となる。いわば、千句は連歌の大祭であった。

長慶自身、連歌の会にはよく顔を出しているが、千句を主催するのは初めてである。三十にして畿内を治めることになった自分が、ただの武辺者なのか、風流を解する君子たり得るのか。畿内中の文人に注目されていることだろう。

これまでの友誼の甲斐あって、連歌師は一流どころが集まった。宗養、寿慶、昌休といった当代きっての実力者たち。紹巴、理文、家順など、将来を嘱望される若手たち。この布陣に混じって、自分がどれだけの句を付けることができるか。

 

くるとあくといづれか千入花の色――(長慶)

月に霞の匂ふ山の端――(寿慶)

とぶ雁の羽風の名残雪散りて――(宗養)

 

主催者である長慶の発句から始まった。

世の移ろい、自身の開花を匂わせつつも、情景はあくまで優美。そんな句を詠むつもりでいた。手応えはよかった。寿慶、宗養が続けざまに句を付けていく。参加者や見物客のこの千句への期待を高めるには、上々の滑り出しだった。

 

 

水こほる枯野の霜に日は暮れて――(宗養)

みるみる月の影のさやけさ――(玄哉)

むら雲をさそひし風は涼ましく――(長慶)

杉間に霧の残るひとかた――(宥松)

 

清涼と静寂を保ちながら、景が快く移り変わっていく。三百句を終えた時には、成功を確信していた。

第三の百韻において、長慶が詠んだ句は十。寿慶、昌休の十一、宗養の十とほぼ同数。数の上でも付合の上でも、まず見劣りはしていない。一同が長慶を見る目にも、本心からの感嘆が見て取れた。

 

 

深くしも親の教えに任せ来て――(長慶)

すくなる道や神もうけまし――(慶牧)

その神のつたへも絶えぬ言の葉に――(寿慶)

たれか汲みしるさほ川の水――(正悦)

香に匂ふ露や打ち散る梅と見む――(玄哉)

巌の苔も若みどりなり――(宗養)

庭ひろくつくりなしたる春の山――(寿印)

折にふれつつとめるこの殿――(昌休)

 

十日目。“親の教えに任せ来て”と詠みながら、思わず目頭が熱くなった。そのことが千句の終了に趣を添えたらしい。若い紹巴など、座の中でもらい泣きをしている者がいる。首元の傷痕を撫でながら、長慶はゆっくりと閉会を告げた。

「素晴らしい出来栄えになりましたな。これほどの千句はいつ以来か……。今日、この場に立ち会えたことを神仏に感謝しております」

宗養が話しかけてきた。父の宗牧を失ったが、連歌師の名声には些かの翳りも生じていない。いまも、近衛家や三条西家、各地の大名などから厚い寵を寄せられているようだ。

「ふふ、宗養殿に感謝せねば。付け悩んでいる時に、何度も助け船を出してもらいました」

「何を仰いますやら。連歌は野戦、和歌は城攻めに例えられますが、長慶殿は両方がお上手だ」

「や、どうも私は考え過ぎてしまうようです」

宗養は人褒めの巧者である。尼子や北条が宗養を贔屓にするのも、こうした武家にとって親しみやすい物言いが大きいのだろう。

今日の千句は、必ず各所で話題になる。大名や国人は、公方や六郎から届く書状よりも、連歌師や商人から聞いた生々しい噂を信じるものだ。風流で名を上げることで、自然、外交もやり易くなっていく。

何よりも、纏まった時間を歌に捧げることは、いまの長慶にとって数少ない慰めであった。

 

  *

 

“長慶は特別”。そんな言い回しが阿波にも聞こえてきた。

長慶が行ったことは、通常ならば大逆と謗られるべきものである。ところが実際は、武家はもとより公家や坊主までもが長慶の治世を褒め称え、暗殺という外法に手を染めた公方を非難していた。長慶の統治を受け容れたい、しかし長慶の支配には正統性がない。この状況を、人々は“特別”、“特例”と整理することで呑み込み始めたようだ。

長慶は巧みだった。民心の動揺を防ぐため、表向きは可能な限り公方や六郎の前例を踏襲している。ときには細川氏綱を立てて家来のような振る舞いもしてみせる。戦、政務、調略、風流、礼法。あらゆる方面に才を示しながら、あくまで謙虚な姿勢を崩さない。この辺りの塩梅が絶妙なのである。

同じようなことをして、早くも躓いているのが陶晴賢だった。大内義隆が、晴賢によって遂に討たれた。康長によれば中国・九州はいまも混乱の只中にあり、収拾は容易でない見通しである。これは、義隆を自害させてしまったことが大きいのだろう。追放と殺害では、人々の受け止め方はこうも異なる。

(元長よ。お前の息子たちは、これからどこへ向かっていくのだろうな)

義兄を殺した晴賢にある種の敬意を抱いている自分に気づいた時、持隆は空漠たる思いに囚われた。かつて睦みあった主君を弑逆した晴賢の覚悟に、気高く、耽美なものを感じたのだ。一見悪手であったが、このことが将来、晴賢による支配に迫力と納得感を与えるのではないだろうか。晴賢と比べれば、長慶のやり方は甘いと言わざるを得まい。いまはよくとも、いずれ侮られることになりはしないか。公方が放った刺客にもまた、国を治める者の気構えが込められているのではないか……。

(長慶が理の人ならば、誰かが理不尽を補わねばならぬ。――その器量を有する者は)

之虎をおいて他にない。長慶に似て長慶にあらず。もしかすれば、長慶を超え得るただ一人の男。そう、之虎もまた特別な存在なのだ。

さて、ではどうやって。よい思案は浮かばなかった。

気分晴らしに、眉山徳島県徳島市)まで馬を走らせてみることにした。小春日和の今朝、持隆は諸肌を脱いでその上に陣羽織を纏う、いつものいでたちである。胸毛には白いものが増えていたが、身体の丈夫さにはまるで変わりがない。吉野川の船頭や道行く農夫が、気安く声をかけてくる。持隆もそれに手を振って応える。こんな光景が、もう何十年も続いていた。

麓に馬を繋ぎ、僅かな供回りを連れて山頂に登る。眉山は低い山だが、その親しみやすい見晴らしが持隆は好きだった。冗談などを交わしながら、寛いだ時間を愉しむ。

やがて雲行きが怪しくなってきて、下山することにした。その前にと、供回りから離れて用を足す。その時不意に、背後から胸と股間をまさぐられた。

「お久しゅうございます。……持隆様」

この手つき、含み声。間違いない。姿を消していた小少将だ。

再会を祝すかのように、生ぬるい雨が降ってきた。

 

続く