きょう、(小説 三好長慶)

近世のきのう、中世のあした。三好長慶の物語

三十三 大空の段  ――三好長慶 元長二十五回忌を機に南宗寺を創建し、松永久秀 武将茶人として名を上げる――

三十三 大空の段

 

腹が減っていた。

盗みもやった。追剥もやった。そんなことに手を染めても暮らしは落ち着かないということを思い知った。

親しい配下も、頼もしき郎党も、慈しんだ豚たちもすべて置いてきた。しばらくは若狭の宗渭のところで世話になっていたが、丹波の戦に加わる気にはどうしてもなれなかった。甘いと言われたが、せめて長慶が生きている間は所払いを守り抜こうと思った。

自分に酔っていたのかもしれない。強がっていただけなのかもしれない。飢えに苦しみ、たちまち後悔するようになった。豚の夢を毎晩見た。鍋を振って黒飯をこしらえている。そうして、長慶と宗渭と、三人で膳を並べているのだ。眠りながら口を動かす。目が覚めてみれば更に腹が減っていた。

惨めに一日一日を生き長らえながら、丹後、但馬、因幡伯耆と彷徨う。当てはない。出雲まで来て、月山富田城を見上げてみたりはした。仕官の口を求めてみようかとも思ったが、畿内勢と戦う羽目になるかもしれないと思うと一歩を踏み出せなかった。

いまは、出雲と石見の国境辺りだろうか。長年、大内家と尼子家が争いを繰り返してきた土地である。前年、大内家は陶晴賢を失った。いずれ中国は毛利元就に、九州は大友義鎮辺りに喰らい尽くされ、大内家というものが消え去ってしまうかもしれない。この土地の者たちは真顔でそんなことを口にしている。畿内出身の孫十郎にとっては、あの大内家がなくなるということが想像もできなかった。

逆に、ここいらの民は足利公方がなくなるなどと考えたこともないだろう。どうやら人は皆、自分の土地のことしか思い描けないらしい。では、拠って立つ土地を失った己はどうしたらいい?

春。抜けるように空は高く、暖かな光が深緑の若芽を照らす。機嫌よく歌う鳥を襲い、炙って、空腹を凌ぐ。色々試してみたが、いまだにどの草や葉っぱが食べられるのか分からない。虫は食べる気にもならぬ。鳥が一番手に入り易く、安全で、うまかった。

川に降りた。喉を潤し、竹筒を満たし、身体を洗って、汚れた衣服や手ぬぐいを洗う。生水を飲んでも近頃は腹を壊さない。そのまま、半裸で河原に寝転がった。

 

物音。だんだん大きくなってくる。走っているようだ。風を切る音が重なった。懐かしい、矢唸りの気配。

起き上がった。川上の方角。茂みが揺れ流れ、やがて黒い影が飛び出してきた。

「猪か」

巨大な。山の主かもしれない。背に矢が二本突き立っているが、致命傷ではないらしい。猪に続いて、三人の男が茂みから出てきた。何かを叫びながら矢を放ち、その一本が猪の後ろ足に刺さった。それでも猪は止まらない。

蹄の音が聞こえてきた。猪ではない。向かい岸の岩山を何かが駆け下りてくる。目を凝らして見上げた。

「ぬう!」

眩しい。銀色に輝いている。馬、否、騎馬武者。信じられぬ。落ちるように坂を走りながら弓矢を構えている。弦の音が孫十郎のところまで届いた。刹那、猪の首を深々と矢が貫く。なんと巧みな騎射か。

騎馬武者がとどめの矢を構える。目が合った。こちらに気づいたようだ。弓。気迫。孫十郎に向いている。馬鹿な。わしはただの通りすがりだぞ。そう思った時には矢が飛んできていた。

「つっ」

痛い。肩口を狙ってきた矢を掴んで止めた。肉には入ったが、深くはない。が、痛いものは痛い。

素手で矢を防いだ孫十郎を見て、騎馬武者は弓の構えを解いた。猪に追いついてきた三人に血抜きを命じ、自身はこちらに近づいてくる。

「毛利の間者かと思ったが……どうも違うようだな」

「違うで済むか! なんてことしやがるんだ」

「ははは、勇ましいの。お主、名はなんという」

騎馬武者はまったく悪びれていない。

「先に詫びろ、それから先に名乗れ」

「ふん、こんなところをうろついているお主が悪い。この本城常光を前に命があっただけでもありがたく思え」

「落ちぶれたとはいえ芥川孫十郎、舐められるのは承服しかねる」

「ほう! 摂津のと金孫十郎か! はっはは、どおりで骨があるはずよ」

馬から降りて、恭しい態度に変わった。どうやら常光は孫十郎の名を知っているらしい。

「……あの猪をわしにも食わせろ。さすれば許してやろう」

「よいとも、よいとも。何かの縁じゃ、せっかくだからわしの館に寄っていってくれ」

飯と寝床にありつける。

真っ先にそう考えた自分が恥ずかしかった。恥ずかしいと感じるだけ、堕ちきってはいないとも思った。

 

  *

 

剣を振るう以外やることのない義輝は、藤孝を供にして旅に出ていた。

旅といっても朽木谷から出て琵琶湖をゆるり一周するだけ、日数にして十日足らずのものに過ぎない。それでも御所から一人で離れたことのない義輝にとっては胸湧き立つ冒険であった。齢は既に二十一歳。心身にますます活力が漲る中、朽木御所の中に逼塞しているのは耐え難かったのである。

藤孝の手引きで抜け出してきたが、三淵晴員・藤英父子や進士晴舎たちは今頃大騒ぎをしているに違いない。若干の後ろめたさを覚えたが、藤孝は義輝がこの旅で視野を広げ、英邁ぶりに磨きをかければよいのだと言ってくれた。

素性を隠し、道行く民と語らう。彼らの素朴で明け透けな物言いは新鮮で、学ぶことが多かった。

商人たちは口を揃えて京を治める長慶を褒め称えた。畿内に平穏が戻ったことで安心して商いに精を出すことができる。やる気さえあれば、堺で珍しいものを仕入れたり、三好家が運営する船に乗って四国へ渡ったりすることも可能なのだという。

農民は皆、六角義賢の凡庸さに辟易としていた。三好家の圧力が増す中、家中は団結するどころか、家臣や国人が銘々で好きなように動いている。長慶に接近する者もいれば、浅井や京極と密談する者、義賢の息子義治に取り入ろうとする者など、まるで統制がとれていない。定頼が存命の頃とは随分違う。公方もそう思っていたが、この点は民にとっても同じらしい。

東国からやって来た僧侶からは重大な噂を耳にした。先日、美濃の父子骨肉の争いに決着がついたというのである。土岐氏から美濃を奪った斎藤利政が、長良川で息子の義龍に討たれた。利政の娘婿、尾張織田信長が救援に駆けつけたが間に合わなかったという。義龍は土岐氏旧臣の支持を得る一方、父殺しの汚名を背負うことになった。これでは美濃に安寧が訪れるのはまだまだ先のことだろう。

近江、美濃、尾張は豊かな国である。豊かな分、中小国人の力が強い。それぞれの国を支配する、強力な大名がいないのが現状だった。つまり、長慶に追われた公方を助けられるような者がいないのだ。民は、誰一人として義輝のことを噂しなかった。公方の都落ちに動揺もしていないし、興味も持っていない。薄々分かっていたことだが、現実を直視するのは辛かった。このまま長慶の政権が長く続き、そのことに抗う大名も現れなければ、本当に足利将軍は忘れ去られた存在になってしまうかもしれぬ。

(余はここにいるのにな)

義輝を見ても誰も反応を示さない。精々、身なりのいい若者だと思うくらいだろう。

着ている服の生地くらいしか、自分と皆は違わないのだ。公方だと知らされなければ、誰も平伏しない。馳せ参じない。敬語を使いもしない。晴員が義輝を御所から出そうとしないのは、この不都合極まりない真実を見せたくなかったからなのか。

涙が出そうになって、琵琶湖に足を入れて木剣を振った。汗を流せば涙は乾く。長い朽木暮らしで身につけた知恵だった。

 

「上様、あれを」

藤孝に声をかけられた。彼の指さす方を見ると、湖岸で女がごろつき二人に絡まれている。女は相手にしていないが、ごろつきどもは無理やり手籠めにでもしかねない勢いだった。

「放っても置けぬな」

「関わりになるのですか」

「一度くらい、自らの手で民を救ってみたい」

木剣を手に近づいていく。こちらに気づいた男たちは乱暴な声を上げた。

「なんだ若造」

「葬式みたいな面しやがって、消えな!」

「はっははは! そいつはいい、おらおら邪魔すんじゃねえよ喪中小僧」

義輝は思わず動きを止めた。何を言われたのか、咄嗟には理解できなかったのだ。この世には、こんな言葉使いをする者がいるのか。

相手は義輝がびくついていると思ったらしい。ますます威張ってがなり立ててくる。続いて、その後頭部を女が朱傘ではっ倒した。

「ぐお!」

驚くごろつき。間髪入れずに義輝が木剣を振るい、たちまち男たちは気を失った。

「危ないところを救っていただきましたねえ」

女が礼を言う。芸人らしいが、都でも見たことのないような美人である。世は広いとあらためて思った。

事情を聴いてみると、舟を出してもらおうと交渉したところ、危うく卑猥な目に遭いかけたということだ。

「破廉恥な。生かしておいては世のためにならぬな」

木剣を置いて腰の刀を抜こうとした。童子切、人間の胴体くらいなら二体同時に断ち切ることができる大業物である。

「ちょ、ちょっとお待ちよ。そこまでするこたあないよ」

「ここで成敗せねば、他のおなごにも害をなす」

「こんなことでいちいち斬っていたら世の中から男がいなくなっちまいますよ」

女が笑みを浮かべながら間合いに入ってきて、斬るように扇子で義輝の胸を撫でる。その仕草と色艶に惑って義輝は刀から手を離した。

「あっ、いたいた。エーイ姐さん」

「何だか様子がおかしいぜ。おねんねしている殿方が二人、またまた絡まれてたのかね」

「姐さんといると揉め事がかえって増えてるんじゃないか」

「起きている方の殿方に助けてもらったってところかな」

呑気そうに女の連れらしい芸人が登場する。

一座は、それぞれお紋、熊吉、勝太郎と名乗った。

 

「さ、さ。菊丸さんも萬吉さんも。ぐーっと、ぐーっと」

「……むう」

「エーイ! いい呑みっぷりだあ!」

赤ら顔になった熊吉が酒を注いでくる。越前で手に入れたとかで、酒は上物である。彼らは東国を廻り、越後に出てからは日本海沿いの経路で京に向かってきたのだという。

お紋は一級の踊り子だった。勝太郎の笛に合わせて優美に舞うかと思えば、五つの手毬を自在に操る曲芸を披露してみせたりもする。湖岸で真っ昼間から始まった宴は殊の外面白いものだった。彼女の舞が終われば、返礼にと藤孝が太鼓を叩く。藤孝も芸達者さでは負けていない。太鼓の音色は瀟洒な調べ、羽毛で腹を撫でられるような名調子である。義輝も手拍子を打っておおいに場を盛りあげた。

「……こんなに愉快な思いをしたのは初めてだ。礼を言うぞ、熊吉よ」

「そうですかい? お侍さんは見たところ立派な生まれのようだし腕も立つ、人柄もよさそうだ。どこでだって楽しく暮らしていけそうじゃないですか」

「く、ははは。そんな甘くはない、世の中は窮屈なものだ。余……わし一人の力では、もうどうにもならぬ」

酒がまわってきた。こんな宴は初めてなのだ。立てなくなろうが杯を重ねたい。

「それでは生きてる甲斐がないでしょう」

「言うではないか。ならば熊吉は如何に生きるというのだ」

酔いに任せて絡んでみた。絡んだ程度のつもりだった。

「ふっふふ。ねえ菊丸さん、見上げてご覧よ。この広い空は誰のものだと思います」

言われた通りに空を見る。酒のせいか、頭がいつもより重い気がした。揺れる視界の中、空はどこまでも青く晴れ渡っている。

「空は……誰のものでもないだろう」

「そう、いまはその通り」

「いまは」

「いずれ、この空は俺様のものだと天下万民に認めさせてみせる。俺は大きくなったら空になりたいのさ! ちっぽけな大地にさようなら、すべてを俺様の手の内にするんだよ!」

熊吉の瞳がきらきらと眩しい。いったい、この小僧は何を話している。

「……大きく出たものだ」

「俺の親父はみみっちい奴でよう! 空を飛ぶだけの力があるのに周りに合わせて地面を這っているのよ。母ちゃんは愛想を尽かして出てっちまうしよう!」

「……」

「俺は空になるんだ。大空に歌い大空に戦う。有象無象の夢はみんな、俺の翼で包んでやらあ」

目が回ってきた。酒だけではない、お紋の舞に、熊吉の法螺話に酔っている。

「熊吉の翼には……何のしがらみもないのだな……」

「ははは、細けえこと……気にすんなよ……菊丸さん……」

ここまでだった。声が遠い、視界が暗い。草むらに大の字となって、義輝は深い眠りに落ちていた。

 

夕暮れ。気がつけばお紋一行の姿はない。藤孝だけが義輝の傍に付き従っていた。

「余は……何者と出会ったのだろう。逢魔が時というやつか」

「新たな驚異、ですかな」

「……」

「分別の枠外を往く者。三好殿によく似ておりました」

「お主も、そう思ったか。しかしまさか……そんなはずはな」

ただの芸人だとは思えないが、正体の掴みようがない。間者にしては目立ち過ぎていたのは確かだ。

「……楽しゅうございましたね」

「出会いとは、よいものだな。心底から思った」

「これで、上様もまた大きくなられますよ」

「大空か……。目指すことは、覚悟することよな」

心地よい風が湖から吹いてきて、酔い醒めの不快感が一掃されてゆく。

もう一度。彼らともう一度会ってみたいと思った。

 

  *

 

龍吉と合流した時から覚悟はしていたが、やはり自分の行動は筒抜けだったらしい。

京から西国街道を南下していくうちに、長逸が、基速が、松永兄弟が、次々と三好家一同が集まってくる。思っていたより皆の態度は温かだった。久秀と長頼などは目が潤んでいる。長逸にはこれ以上白髪を増やさせないでくれと苦笑された。基速からは清潔な衣服を手渡され、山崎の離宮八幡宮京都府乙訓郡)で身なりを整えさせてもらった。

長慶が商人の増員、既存産業への新規参入を奨励していることもあって、山崎の荏胡麻油座は昔の勢いがないと言われている。その一方、京と畿内の政庁と化した芥川の中間に位置する山崎は往来する旅人が急増しており、彼らを相手にする旅籠や履物屋が繁盛していた。

そう、ここから芥川山城は近いのである。長頼たちに土産話をして喜ばせながらも、慶興は父との面会を恐れていた。それは勝正も同じようで、今更ながら池田家に処刑されないかと憂い始めている。龍吉はどうという変わりも見せず、扇子で二人に風を送っていた。

 

「……」

「……」

長慶の私室で、二人は向かい合った。長慶の目は静かに澄んでいて、心情を読み取ることができない。汗が滲む。叱られる覚悟はしているが、どうせならひと思いに怒鳴ってもらいたい。身体を貫くような視線をこのまま向けられ続けると、それだけで心の臓が止まってしまいそうだった。

「息災のようだな」

「……詫びの申しようもありませぬ」

「あまねも、変わりなかったか」

「攫ってくるつもりが敵いませんでした。畢竟、思い知った旅でございました」

「何を学んだ」

「空の広さと、変わらぬ民の暮らしを」

加えて言うなら、長慶の大きさを。どこへ行っても長慶の噂を聞かぬ日はなかった。どんな田舎の民でも長慶の動向に関心を持っていたし、若い連中は長慶に続けと息巻いていた。

「……私も、ひとつ学んだぞ」

「……」

「お前がおらぬ間、頼りない心地がしてならなかった。もう、私を一人にしないでくれ」

「……!」

「よく無事に帰ってきてくれた」

ひれ伏す慶興の背中を軽く叩いて、長慶が部屋から出ていく。顔をごしごしと拭ってから、長慶の座っていたところに掌を当ててみた。幽かな温もりと薫りに、慶興は得も言われぬ幸福を感じ取った。

 

翌日、長慶に顕本寺の清掃を申し出て、受け容れられた。祖父、元長の二十五回忌が迫っている。幸いにして勝正の助命と同道も許された。但し、勝正は別途、池田家に所領の四分の三を返納することになったそうだ。友の名誉を回復するためにも、これからは心機を一転して励まねばならない。

 

  *

 

弘治二年(1556年)六月。長慶は堺の顕本寺にて元長の二十五回忌を執り行った。千人の僧で読経をあげる千部会である。一武人の法要としては古今例を見ない規模だった。

思えば長慶の定めは元長の死から始まったようなものである。元長とつるぎの思いを受け継ぎ、懸命に生き抜いてきた。木沢長政と三好宗三を討ち、細川六郎政権を滅ぼした。世を乱す根源、痩せた秩序の象徴である足利公方も京から追い出した。民は栄え、安寧を喜び、日を追うごとに豊かさを増している。堺公方府はなくなったが、元長の夢見た海外との交易は盛んになるばかりだ。鉄砲という新技術、かつて審判教と呼んでいたキリスト教など、新たな知恵も渡来してきた。いまでは鉄砲なしの戦は考えられないし、キリスト教は九州などで徐々に信者を獲得している。時代は、元長が思い描いた方向に動いているのだ。

あの頃を生きた者たちも同じ思いを抱いたらしい。長逸や康長たち、堺の会合衆法華宗の重鎮など、一定年齢以上の者は誰もが元長の偉業を覚えている。一人ひとりがそれぞれの三好元長を思い起こし、話題は尽きることがない。

鳴り物衆の頭もその一人で、“しまい太鼓”を演らせてほしいと長慶に訴え出てきた。快く許したところ、顕本寺の庭で太鼓、鉦、そして笛の調べが流れ始めた。日頃は勇ましい駆け太鼓や掛かり太鼓を鳴らす者たちである。彼らの太鼓がこのような哀切を帯び得ることを、長慶は今日初めて知った。

経も会話も止んでしまって、全員がしまい太鼓に耳を傾けている。涙を流さぬ者は一人もいなかった。緩やかな調子が一同の心を揺らし続ける。楽器のひと打ちひと吹きごとに元長の姿が蘇った。もう二度と元長に会えないという、当然の事実に胸が締め付けられた。

静寂が戻ってからも、名残を惜しむかのように誰も動こうとしなかった。長慶は弟妹たちと一列に並んで、鳴り物衆に向かって深々と頭を下げた。元長の位牌の前では、孫の慶興が目を瞑って黙考していた。

 

二日後、長慶は与四郎に誘われて“南海庵”を訊ねていた。与四郎の奢りで、珍しいものを食べさせてもらえるという話である。南海庵は堺でも知る人ぞ知る料理屋で、会合衆などの金持ちがここぞという時に大枚をはたいて利用するということだ。落ち着いた色合いに装飾された店内は清潔と緊張が漲っており、主の気構えの高さが伝わってくるようだった。

「二十五回忌でも過分な贈り物をいただいたというのに。悪いな、与四郎」

「気にしないでくれよ、元長殿は私の義父でもあるのだ。それより、年甲斐もなくしてきゃんきゃん泣き声を上げる妻が恥ずかしかった」

「ふふ、いねはあれでいいのさ。夫婦喧嘩も最近は減ったのだろう?」

「まあ、な。稼業も順調だし、茶の方でも少しは名が売れてきた。そのせいか、妙に機嫌がいい」

「めきめき評判を上げる夫と、その出世を喜ぶ妻。理想の夫婦だな」

与四郎が照れて目を伏せた。亡き紹鴎のような渋みを纏ってきているが、長慶にいじられるとはにかんでしまうところがある。主が膳を運んできたことで、助かったというような表情を見せた。

「さすがの千殿でも、これは口にしたことがない味だと思うよ」

「ほう。む……この匂いは」

温めた乳白色の平皿の上に、ひと口大に切り分けられたもの。この質感、照り、香ばしさは。

「肉。牛を焼いたのか」

「ご名答。千殿はいい鼻をしているな」

「しかし……牛の肉が、堺で喜ばれるとは」

「ははは、一食即解」

仕返しとばかりに与四郎がにやつく。言われるままにつまんでみた。……箸が、沈む。

持ち上げた。絹織物の端切れの如く、肉が弓なりにしなる。鼻を溶かすような甘い脂の匂い。口に含み、噛もうとした。噛む必要はなかった。舌で弄ぶだけで肉がときほぐれ、奥から奥から旨味が溢れ出す。塩を中心とした丁寧な下味、濃厚だが後切れよい風味。疲れた身体に活を入れるような怒涛の味攻め。

「これが……牛肉だというのか」

「その笑顔、今日一番だね」

「他のことなどどうでもよくなった」

南蛮の商人から学んだということだが、製法の一切は秘伝。どうやら、日本人の頭では思いもつかない工夫が幾つもなされているようだった。分析など諦めてしまって、熱いうちに食べてしまうのが賢いようだ。

葡萄酒が出された。この赤い酒がこれまた肉の味を膨らませる。気分がよくなって、与四郎との歓談にも花が咲く。慶興の帰着、元長の二十五回忌に続き、最上の一日を過ごすことができた。

 

  *

 

二十五回忌の翌月、久秀は滝山城にて長慶の御成を催した。

三好家による二箇月続いての大行事に、摂津の民が目を見張ったことは言うまでもない。主の御成は家臣にとって最大の栄誉である。ましてやその相手が三好長慶であるから、久秀の気負いも相当のものであった。

もともと摂津下郡は長慶が直接治めていた経緯があるから、土地の有力者と三好家の交誼は厚い。訪れた客たちは久秀の趣向をおおいに喜び、長慶との久方ぶりの語らいを楽しんだ。

注目を集めた演目のひとつは、やはり長慶自身が参加した千句連歌である。

 

難波津の言の葉おおふ霞かな――(長慶)

 

この発句で始まった千句では、長慶と久秀によってある遊びを仕込むことにしていた。“難波”“住吉”“水瀬川”“玉江”“湊川”“初島”“須磨”“生田”“芦屋”“布引滝”“羽束山”。以上、十一の摂津名所を各巻および追加の発句に詠み込んだのである。

三巻、四巻と続く頃には客たちにも意図が分かってくる。摂津を完全な支配下に置いた長慶の業績を称え、千句の形で伝えようという狙いだった。もちろん、これは単なる久秀のおべっかではない。三好家の連歌にはいい歌詠みが集まってくる。彼らは各地の大名や寺社に招かれて全国を行脚する。その過程で、千句の内容は流布されていく。結果、“武”だけではなく、“文”においても長慶の名が知れ渡っていくのだ。

長慶が堺に大林宗套老師を招いて、元長の菩提を弔う寺院を創建することも既に話題になっている。大林宗套は大徳寺の住持であり、禅だけでなく、連歌茶の湯とも深い関係にある。いずれは日ノ本の風流を長慶が先導していくことになるのではないか。こうした取り組みが次々と明らかになる中、そんな声も久秀のところには届いていた。

連歌に加えて、龍吉による猿楽能も反響を呼んでいた。専門の猿楽師を呼ぶこともできたが、かつての平蜘蛛町元締めとして、自分にしかできない出し物を加えておきたかった。東国から戻った龍吉の舞には一層の凄味が満ちていて、初めて彼女を目にした客たちを瞠目させた。

慶興の彷徨を無事に守り抜いた度胸と、平蜘蛛町のすべてを仕切る度量。もはや龍吉は久秀だけでなく、三好家にとってなくてはならぬ存在になってきていた。苦い過去を乗り越え、今日のこの日を美々しく邁進する彼女に、旧友ながら頭が下がる思いである。

龍吉に負けてはいられない。晴れ晴れしい宴の締めくくりは、久秀自身による茶数寄振舞いなのだ。

 

「ぎゃあっはっは、大成功やったのう。皆の衆、わいの点前に感心しきりやったでえ」

「平蜘蛛釜と九十九茄子のお蔭なのでは……」

「やかましわい、道具も持ち主の力や」

「どちらかというと前の持ち主、宗三殿や紹鴎殿を懐かしんでおられたような……」

そこまで言われたところで正虎の後頭部を殴った。本当のことを言えばいいというものではない。

「いてて……。まあ、確かに九十九茄子まで久秀殿が所持していたのですから。誰もが驚いたことは確かでしょうね」

「せやろ! 殿はあんまり茶の湯はやらんさかい、遠慮なく名あ上げられるわ! はあっはは」

「よいのですか、之虎殿に目をつけられても」

「うぐっ……」

「之虎殿も三日月茶壺とかいう大名物を手に入れられたのでしょう。張り合っているように受け取られたら後が怖いと思いますよ」

「そ、そやな。見せびらかし過ぎんのも品がないもんな」

気になることを指摘する奴である。事実、三好家中において久秀は人気がない。長慶に気に入られて成り上がったこと、長慶に対して馴れ馴れしいことが不興を買っているのである。成り上がりの三好の中で成り上がって何が悪い、主が喜ぶように知恵を絞って何が悪いと久秀は思う。しかし、独自の家臣を抱え、自分の領地を持つようになってくると、嫌われ者結構という訳にもいかなくなってくる。客分であり側近でもある正虎は、その辺りの細やかな事情をよく理解していた。

九十九茄子は死の直前に紹鴎が譲ってくれたものだ。茶の手ほどきをしてもらった恩もあり、見舞いに顔を出した時のことである。唐突に、江口の戦い、宗三との最後の会話を事細かに訊ねられた。問われるままに答えていたところ、しまいになぜか九十九茄子を託された。いまだに訳は分からないが、平蜘蛛釜に続いてふたつ目の大名物を手にしたことに違いはない。やってみれば、茶の湯も存外面白いものなのだ。

「せやけど、今回の御成でもよう働いてくれたのう。なんぞ礼せえなあかんな」

「人前に出られない僕に、やりがいのある居場所を与えてくれているだけでもありがたいですよ」

「欲がないやっちゃ。姉ちゃんにも世話になっとるし、いっぺん殿と相談してみるわ」

「恐縮なことです」

考えがないこともない。強い刺激を伴うが、長慶の目指す方向とは合致しているはずだ。

 

  *

 

「はあ、はあ……。一存様、も少し、待って。もう、堪忍……」

「まだまだこれからだぞ。さあ、足を上げろ。腰に力を入れるのだ」

「嫌。うち、駄目になってしまうわ。ああ……あああ」

息も絶え絶えに尚子が喘ぐ。それなりに丈夫とはいえ、公家で育った女である。無尽蔵を誇る一存の体力にはとてもついてこられない。

とはいえ、一存の後をなんとか追ってくるだけ尚子はましだった。存春と熊王丸は石段の遥か下の方で座り込んでしまっている。金毘羅宮香川県仲多度郡)の急坂は年寄りや子どもには酷だったようだ。

「仕方ない。少し、腰を下ろそうか」

「手え引いて……」

「馬鹿、人が見ておるぞ」

「一存様のおつむが珍しいんやわあ。ああ、無理。よう動かへん」

一存にもたれかかるように尚子が座り込む。身内を交えた参拝という態を取ったことを、少し後悔した。ここから香川氏の居城、天霧城(香川県善通寺市仲多度郡)は程近い。三好家と香川家の緊張関係が高まる中、金毘羅宮周辺の有力者を懐柔しておくことは重要なのだ。加えて、瀬戸内の守り神であるこの社を取り込むことは、海上交易に力を入れている三好家にとって戦支度だけに留まらない意味がある。香川氏を降伏させた後には寄進を惜しまないつもりだ。

「か、一存……」

熊王丸を背負って存春がようやく石段を登ってきた。最近はすっかり老け込んでしまい、義父に昔日の覇気はない。そして、それよりも情けないのが息子の熊王丸だった。

「甘やかし過ぎだぞ、尚子」

「やん、そんないけず言わんといてえ。学問には精出してるんやから」

「頭でっかちは戦で役に立たん」

商いや数寄が流行ることは構わない。古典や礼法もあって邪魔にはならない。だが、山野の駆け方、槍の握り方も知らないようでは困る。そんなことだから近頃は武士らしい武士が減ったと言われるのだ。

力が強い。身体が逞しい。その単純かつ明快な素晴らしさを覚えねばならぬ。

「おら……よっ」

「きゃっ」

やおら尚子を掴んで、肩の上に乗せた。続いて片手で存春を持ち上げ、反対の肩で担ぐ。

熊王丸は肩車だ。わしの額から手を離すなよ」

「ち、父上。すごい……」

息子がしがみつく。妻も義父も照れながら甘えている。丹田に気を入れ、一存は坂を駆け上がった。

 

続く